安東美樹
安東美樹(あんどう みき 本名・安巳季 1955年3月10日- )は日本のヤクザ。指定暴力団・六代目山口組若頭補佐、二代目竹中組組長。
略歴
- 東洋信用実業(株)の代表取締役。
- 道仁会四代目会長・小林哲治、六代目共政会会長・荒瀬進とは五分の兄弟分。
- 三代目山口組・信原組・作州連合の出身。
- 1983年(昭和58年)、信原組解散後、作州連合は竹中組へ移籍。安東美樹は安東会を率いて作州連合の若頭を務めた。
- 1984年(昭和59年)、三代目山口組組長・田岡一雄の死により、次期組長の継承問題から山一抗争が勃発。
- 1988年(昭和63年)5月14日、安東美樹と安東会組員4人は、一和会会長・山本広の自宅を自動小銃と爆弾で襲撃。警備中の警官3人を銃撃し重症を負わせ指名手配された。
事件後、安東美樹は竹中組や組長・竹中武らに司直の手が伸びないようにとの計らいから竹中組を脱退した。
- 四代目山口組若頭補佐・一心会会長・桂木正夫の舎弟盃を受け、一心会に移籍。
- 山本広邸の襲撃事件で指名手配中だったが逮捕・起訴され、約20年の懲役を務めた。
- 2011年(平成23年)、出所。
- 2014年(平成26年)4月、安東美樹と同じく信原組から竹中組に移籍した柴田会初代・柴田健吾の引退に伴い、柴田会に移籍。
安東美樹は柴田会と安東会と統合させ柴田会二代目を継承し、六代目山口組若中に昇格。
- 2015年(平成27年)6月、六代目山口組幹部に昇格。
- 同年9月10日、二代目柴田会を「二代目竹中組」に改称し、竹中組の名跡を復活させた。
- 2017年(平成29年)3月、六代目山口組若頭補佐に就任。
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