平井一家

十一代目平井一家(ひらいいっか)は愛知県豊橋市仁連木町152-3に本部を置き、愛知県豊橋市仁連木町152-4に本家を置き愛知県豊橋市つつじヶ丘1丁目14-2に別宅を置く暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の二次団体。

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略歴

  • 旧本家・愛知県豊橋市上地町110は売却済み。
  • 幕末の頃、博徒・小中山七五三蔵が三河国宝飯郡平井村に平井一家を成す。
  • 元力士の雲風亀吉こと平井亀吉小中山七五三蔵の子分となり跡目を継ぐ。
  • 東海道の吉田宿(現在の豊橋市)、御油宿(現在の豊川市御油町)、赤坂宿(現在の豊川市赤坂町)といった宿場を中心に渥美郡、宝飯郡、八名郡を主な縄張りとした。
  • 平井亀吉は甲斐国八代郡上黒駒村(現在の山梨県笛吹市御坂町上黒駒)の博徒・黒駒勝蔵と兄弟分となり、勝蔵が駿河国有渡郡清水町の清水次郎長清水一家初代)と対立していたため亀吉も次郎長と何度も争った。
  • 1866年(慶応2年)、伊勢国河曲郡神戸町(現在の三重県鈴鹿市神戸付近)の神戸長吉伊勢神戸一家初代)と伊勢国員弁郡穴太村(現在の三重県員弁郡東員町穴太付近)の穴太徳次郎神戸屋一家初代)が争った荒神山の喧嘩では徳次郎側に加勢した。
  • 亀吉は全国に侠名を馳せ各地に多数の兄弟分がいた。また、伊豆国、甲斐国、相模国、武蔵国に子分3,000人を抱えた大親分大場久八大場一家初代)の舎弟でもあった。
  • 1868年(慶応4年)、亀吉は戊辰戦争(北越戦争)に従軍した後、士族に登用された。ともに従軍した博徒に尾張国愛知郡北熊村(現在の長久手市北熊)出身で東春日井郡水野村(現在の瀬戸市水野地域)の吉五郎一家の跡目北熊實左衛門(後の北熊一家初代)がいた。
  • 明治維新後、平民に戻された亀吉は名古屋に移り住んだ。
  • 亀吉が名古屋にいる間、一家は亀吉の末弟善六が預かっていたが、縄張りは他の一家に荒らされ、善六は次郎長につながる形原斧八の刺客に殺害された。
  • 亀吉の次弟下地常吉(後の平井一家二代目)が流罪から戻り形原一家へ報復し一家を再興した。
  • 常吉が亀吉の跡目を継ぐが、以降も亀吉は平井一家に影響力を持っていた。
  • 平井一家と清水一家は、信濃国下高井郡中野村(現在の長野県中野市)の間ノ川一家(間川又五郎一家、相川一家)の二代目・相川平三、浜松の斉藤善五郎(後の国領屋一力一家初代)、名古屋の津坂音吉の仲裁で和解した。
  • 以来、三代目・清水善吉、四代目・富安伊作、五代目・小川浅蔵、六代目・久保田文一、七代目・判冶玉吉と継承された。
  • 河澄政照が八代目を継承。
    後に河澄政照は全国に名の通る大親分として多数の抗争の仲裁を行った。

愛豊同志会を結成

運命共同会を結成

中京五社会を結成

十一代目

  • 同年、薄葉政嘉が十一代目を継承し、六代目山口組若中として直参に昇格。
  • 2014年11月、六代目山口組幹部に昇格。
  • 2019年10月、六代目山口組若頭補佐に昇格。
  • 2022年6月、平井一家傘下組員が関与した新型コロナ対策の給付金詐欺事件の証拠を隠したとして、薄葉政嘉と本部長の「九代目玉屋組」組長・原譲一が証拠隠滅容疑で逮捕された。
  • 同年9月、実際は自分専用で使う防弾仕様の車を傘下組員名義で登録し、車検を通したなどとして、薄葉政嘉ら3人が電磁的公正証書原本不実記録などの疑いで逮捕された。
  • 同月、コロナ禍で売り上げが減少している愛知県内の6つの露天商組合から「みかじめ料」としてあわせて現金115万円を脅し取ったとして、薄葉政嘉ら6人が恐喝容疑などで逮捕された。
  • 同年10月、コロナ禍でイベントが少なくなり、露天商からの「みかじめ料」が減ったことから、露天商組合が持つ事務所と土地を売却させ、その売却金500万円を脅し取ったとして、薄葉政嘉ら3人が恐喝の疑いで逮捕された。
  • 2023年7月、2019年8月、内縁関係にある女に「ディズニーランドに行きたい」とねだられ、千葉県浦安市にある暴力団員の宿泊を拒否している隣接のホテルで、宿泊代金1室約20万円の部屋に宿泊したとして、薄葉政嘉ら3人が詐欺の疑いで逮捕された。
  • 同年11月21日、愛知県豊橋市などを拠点とする露天商で構成される「愛知県東部街商協同組合」が、総裁・薄葉政嘉に対し、2019年以降に支払った「みかじめ料」の2020万6000円の返還を求める損害賠償請求訴訟を起こした。
  • 2024年1月27日、平井一家の組織的な危機的状況の中、薄葉政嘉は女性と東京ディズニーランドで遊覧し、ホテルに宿泊して逮捕され、また、山口組東海ブロックの資金使い込みなどにより、六代目山口組若頭補佐から幹部に降格され、東海ブロック長も解任された。この時の資金使い込みを埋め合わせたのが、三代目弘道会会長の竹内照明と言われている。
  • 同年3月、十一代目平井一家内部で頻発する金銭トラブルや、平井一家の運営費などの使い込みなど組織運営の方針転換を強制されたことにより、多数の最高幹部・若中・傘下組員などが音信不通となり、一部の幹部は自ら断指して脱退するなどし、これらの者は除籍や絶縁とされた。
    脱退した組織は、五代目松本組、八代目三虎組・九代目玉屋組、二代目政統会、十一代目虎屋組で、いずれも絶縁。
    脱退後、五代目松本組・八代目三虎組・九代目玉屋組は独立組織となり、平井一家の総数は十数名程しか残っていない。平井一家の組織運営は困難な状況に陥っている。

平井一家系譜

 祖  - 小中山七五三蔵
初 代 - 平井亀吉
二代目 - 下地常吉
三代目 - 清水善吉
四代目 - 富安伊作(下五井二代目)
五代目 - 小川浅蔵(小中山七五三蔵実子)
六代目 - 久保田文一
七代目 - 判冶玉吉
八代目 - 河澄政照運命共同会代表)
九代目 - 藤川卓樹稲川会直参)
十代目 - 岸上剛史(六代目山口組幹部・組長付)
十一代目 - 薄葉政嘉 (六代目山口組幹部)

十一代目平井一家組織図

総 裁 - 薄葉政嘉(六代目山口組幹部)
最高顧問 - 西村寛童(十六代目金瓶楼一家総長)
慶弔委員長 - 北 憲児北興業組長)
舎 弟 - 豊田康志
本部責任者 - 林 結城(九代目三虎組組長)
本家付 - 大場圭一
幹 事 - 中村好博北興業若頭)



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