導友会
五代目導友会(どうゆうかい)は愛知県あま市西今宿山伏一7-3に本部を置き、愛知県あま市西今宿梶村三69に導友実業㈱を置く暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の三次団体。上部団体は三代目弘道会。前身は松波会。
略歴
- 1958年、広小路の鉦と呼ばれた松波鉦之助が名古屋で絶大な勢力を誇り松波会(まつなみかい)を結成した。
- 1961年、松波鉦之助が熱田を拠点にした博徒・三吉一家六代目を継承した。
- 1965年、第一次頂上作戦により松波会が解散。
その後、古川竹男が旧・松波会及び近隣の博徒・的屋を糾合し導友会を結成、同時に三吉一家七代目を継承した。
- 1982年4月、傘下の浜健組が、平野家一家・徳心会と衝突。
浜健組は導友会・光岡組(組長・光岡官成は徳心会会長・光岡徳成の実兄)とも対立した。
- 同年秋、古川竹男が肝臓がんで死去。
- 1985年、4月18日、組織委員長・浜田健嗣(浜健組組長)と常任理事・水谷賢二?(水谷組組長)が名古屋市緑区のゴルフ場で平野家一家・徳心会組員に銃撃され重傷を負った。
4月20日、報復として浜健組組員2名が徳心会事務所を襲撃し徳心会組員1名を射殺した。
- 同年5月、副会長・石塚照雄が導友会二代目及び三吉一家八代目を継承した。この頃が導友会の最盛期で中京地方の三吉一家、吉良一家(光岡組)、浜健組(広小路の健)等の博徒・愚連隊の他、熊屋本家、薬屋連合会、中京神志会、名古屋長者町一家、矢納本家、大沢本家等の的屋(中京神農会)を吸収し1000名の大所帯となった。愛知県の独立団体で最大勢力であった。
- 導友会理事長・光岡組組長・光岡官成が吉良一家八代目を継承した。
- 同年11月12日、古川竹男の墓の開眼式を行うために名古屋市守山区の墓地を訪れた理事長・光岡官成(旧・光岡組、八代目吉良一家総長)が浜健組・小松組組員に射殺された。
11月15日、導友会は浜田健嗣を絶縁処分とした。
- 1986年2月19日、吉良一家系組幹部ら2名が浜健組副組長・小松組組長・小松勲を射殺した。
- 同年、導友会は瀬戸一家、稲葉地一家、平野家一家、運命共同会と親睦団体中京五社会を結成した。
- 同年7月、吉良一家と浜健組の内部抗争が終結。この抗争により導友会の勢力は大きく低下した。
- 1991年、中京五社会が消滅。
- 1990年代、三代目会長・花村昭和が五代目山口組・益田(啓)組の舎弟頭として山口組傘下入りした。
- 1997年2月、益田(啓)組が解散すると五代目山口組・弘道会に移籍した。
- 大府市の三代目導友会内鈴木組組長・鈴木善晴が司善興業として弘道会直参に昇格した。
- 星野昌紘が四代目を継承した。
- 鈴木吉実が五代目を継承した。名古屋市からあま市へ本部を移転した。
松波会系譜
初 代 - 松波鉦之助(三吉一家六代目)
導友会系譜
初 代 - 古川竹男(三吉一家七代目)
二代目 - 石塚照雄(三吉一家八代目)
三代目 - 花村昭和(吉良一家七代目)
四代目 - 星野昌紘(吉良一家・星野組組長)
五代目 - 鈴木吉実
組織図
組 長 - 鈴木吉実(三代目弘道会幹部)
若 頭 - 松岡 稔(三代目弘道会若中・松岡組組長)
副会長 - 東 幸央(東組組長)
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- 吉良一家や三吉一家は名跡だけで光岡組で良いのですよ。光岡官成は吉良一家の八代目で光岡組々長。吉良一家総長以外に役職者はおりませんでした。 --
- 大府の鈴木さんは導友会の石塚氏が会を稲川会へ加入させようとしたので会が分裂して益田組に移籍して益田組解散に伴い弘道会へ移籍ですね。 --