矢納本家

矢納本家(やのほんけ)は愛知県名古屋市南区又は愛知県名古屋市中区に本部を置き、愛知県名古屋市南区豊田4-3-28に本家を置いた的屋系暴力団。導友会に加盟していた。全盛期の構成員は約500名。

略歴

  • 桜井系統か。
  • 中区栄または中区大須広小路を庭場にしていたとされる。
  • 大須の露店を取り仕切っていた。
  • 矢納武雄は伊勢の武家出身で居合抜きを特技とした。
  • 大正8年頃、山田軍次郎が二代目を継承。
  • 昭和19年(または昭和22年秋頃)、矢納一家は若い者が兵隊に徴用され居なくなったので解散した。
  • 応召されていた者が復員して来たので終戦後矢納睦会が設立され中島善作がその会長になった。また、戦後の矢納睦会会長に高島三次とする資料あり。
  • 高島三次は浅野大助代官町一派)、黒宮義一中京神志会)、高橋寿々男?中京福田会)、和田政助愛知熊屋本家)らと中京七人衆と呼ばれる親分であった。
  • 昭和23年1月、中島善作が四代目を継承したか。
  • 五代目・速水六郎は名古屋神農界の重鎮。導友会に参画した。

矢納本家系譜

初 代 - 矢納武雄
二代目 - 山田軍次郎
三代目 - 伊藤太市
四代目 - 中島善作
五代目 - 速水六郎

矢納本家組織図

総 長 - 速水六郎導友会特別最高顧問)



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