志太宗家
十一代目志太宗家(しだそうけ)は静岡県藤枝市に本部を置く的屋系暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の三次団体。上部団体は藤友会。
略歴
- 幕末頃、志太一円の祭りの世話人は中山早生であったが、明治初年頃、長楽寺清兵衛が後見人として桜井庄五郎を志太一家初代とした。
性質温厚であったが、稼業人の間では恐れられ、仇名はニッコリの庄五郎といいニッコリ笑って人を斬ったという。
熊切初五郎に跡目を譲り旅に出た。
- 二代目・熊切初五郎の頃、二代目代行・寺田森太郎、熊切一家・初鹿野久三郎らがおり全国三神農の内志太神農会ができた。
- 三代目・巻田弁之助の頃、初鹿野二代目・日野伝吉、松島家初代・杉山茂重、大畑初代・大畑竹蔵、大黒家初代・飯島福太郎、中川初代・中川孟清らがいた。
- 四代目・村松藤太郎の頃、巻田一家・山田宇之助、巻田一家・滝梅吉らがいた。
- 五代目・村松元治の頃、大黒家分家・佐野金太郎、大黒家二代目・杉山惣一、中川二代目・竹内甚平らがいた。
- 六代目・北川善太郎の頃、松島家二代目・神成常吉、中川三代目・原田勇吉らがいた。
- 七代目・滝井栄一の頃、松島家三代目・浦川寛慈、大畑二代目・横山伊平、北川一家・福田乙吉、大黒家三代目・杉山繁雄、中川四代目・大高秀吉らがいた。
- 八代目・蒔田則津の頃、松島家四代目・鈴木昭治、大畑三代目・木村秀雄、大黒家佐野金二代目・松下清吉、中川五代目・河原崎良一、巻田一家山田二代目・山田忠司、熊切一家日野分家・杉山勇らがいた。
- 九代目・田崎智蓮の頃、舎弟・蒔田分家・杉本釤之輔、舎弟・松島家二代目分家・幸之松栄、舎弟・松島家五代目・宮鉄郎、舎弟・大畑四代目・山田誠、舎弟・北川一家福田二代目・福田多己夫、舎弟・大黒家四代目・夏目曻、舎弟・中川六代目・石川政吉、
- かつては一門で志太連合(志太宗家連合会)を組織した独立組織であったが、山口組・後藤組に加入。
- 2008年、後藤組が解散した際、後藤組総本部長・志太宗家十代目・塚本修正が新たに藤友会を結成。六代目山口組の若中に昇格。志太宗家は藤友会傘下に置かれた。
初 代 - 桜井庄五郎
二代目 - 熊切初五郎
三代目 - 巻田弁之助
四代目 - 村松藤太郎
五代目 - 村松元治
六代目 - 北川善太郎
七代目 - 滝井栄一
八代目 - 蒔田則津
九代目 - 田崎智蓮
十代目 - 塚本修正
十一代目 - 稲山朋行
十一代目志太宗家組織図
総 長 - 稲山朋行(藤友会統括委員長)
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