松阪米太郎

松阪米太郎(まつさかの よねたろう、神谷米太郎(かみや よねたろう)、本名:紙谷重太郎、、紙谷重次郎、天保12年 - 明治28年7月4日)は幕末の侠客、博徒。伊勢紙谷一家初代。吉良仁吉の子分。

略歴

 天野稲次郎分骨墓  天 野 稲 次 郎 墓◆ 松坂ノ米太郎事紙谷重次郎

   伊勢紙谷一家初代

三重県松阪市
戒  名 貞 唱 院 誠 顕 日 重 居 士
歿  年 明治二十八年七月四日 行年五十四歳
墓  所 三重県松阪市仲町 法久寺
菩提寺 松阪市仲町 日蓮宗 法久寺

天保十三年(一八四二)一月十五日、紙谷重兵衛の長男に生まれ、お寺の過去帳には紙屋重次郎で、清水ノ治郎長香典帳には神谷十次郎とある。東京神山ノ栄五郎墓に世話人伊勢松阪・山本米太郎とある。
司法資料『博徒に関する調査』に吉良一家四代目勘造の舎弟分なる神谷米太郎の創始する処にして、米太郎は明治の初年、伊勢の国に赴き、同地の親分黒田屋一家喜代造(祐蔵か)の跡目を相続し、松阪町に住せしが、自己の姓を以って家名とし、神谷一家(紙谷)を名乗れり。とある。
久居ノ才次郎六分、米太郎四分の兄弟分。乾分には松永富五郎、一身田ノ勘五郎、塩浜ノ治郎助、上野ノ鉄五郎などがいた。
米太郎跡目は天野稲次郎が継ぐ。



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