#author("2022-10-31T14:14:20+09:00;2022-10-31T11:26:52+09:00","","")
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* 平井一家[#v219a603]
&size(16){''十一代目平井一家''(ひらいいっか)は[[愛知県豊橋市仁連木町152-3:https://maps.app.goo.gl/dZZer3misgigPQQL7]]に本部を置き、[[愛知県豊橋市上地町110:https://maps.app.goo.gl/csh9k4iQu9J7W6CQA]]に本家を置く暴力団で、指定暴力団・六代目[[山口組]]の二次団体。};
#ref(山口組/山口組.jpg,right,nowrap,画像)
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#contents
** 略歴 [#e8476f9f]
-幕末の頃、博徒・[[小中山七五三蔵]]が三河国宝飯郡平井村に''平井一家''を成す。
-元力士の雲風亀吉こと[[平井亀吉]]が[[小中山七五三蔵]]の子分となり跡目を継ぐ。
-東海道の吉田宿(現在の豊橋市)、御油宿(現在の豊川市御油町)、赤坂宿(現在の豊川市赤坂町)といった宿場を中心に渥美郡、宝飯郡、八名郡を主な縄張りとした。
-[[平井亀吉]]は甲斐国八代郡上黒駒村(現在の山梨県笛吹市御坂町上黒駒)の博徒・[[黒駒勝蔵]]と兄弟分となり、勝蔵が駿河国有渡郡清水町の[[清水次郎長]]([[清水一家]]初代)と対立していたため亀吉も次郎長と何度も争った。
-1866年(慶応2年)、伊勢国河曲郡神戸町(現在の三重県鈴鹿市神戸付近)の[[神戸長吉]]([[伊勢神戸一家]]初代)と伊勢国員弁郡穴太村(現在の三重県員弁郡東員町穴太付近)の[[穴太徳次郎]]([[神戸屋一家]]初代)が争った[[荒神山の喧嘩]]では徳次郎側に加勢した。
-亀吉は全国に侠名を馳せ各地に多数の兄弟分がいた。また、伊豆国、甲斐国、相模国、武蔵国に子分3,000人を抱えた大親分[[大場久八]]([[大場一家]]初代)の舎弟でもあった。
-1868年(慶応4年)、亀吉は戊辰戦争(北越戦争)に従軍した後、士族に登用された。ともに従軍した博徒に尾張国愛知郡北熊村(現在の長久手市北熊)出身で東春日井郡水野村(現在の瀬戸市水野地域)の吉五郎一家の跡目[[北熊實左衛門]](後の[[北熊一家]]初代)がいた。
-明治維新後、平民に戻された亀吉は名古屋に移り住んだ。
-亀吉が名古屋にいる間、一家は亀吉の末弟善六が預かっていたが、縄張りは他の一家に荒らされ、善六は次郎長につながる[[形原斧八]]の刺客に殺害された。
-亀吉の次弟[[下地常吉]](後の平井一家二代目)が流罪から戻り[[形原一家]]へ報復し一家を再興した。
-常吉が亀吉の跡目を継ぐが、以降も亀吉は平井一家に影響力を持っていた。
-平井一家と[[清水一家]]は、信濃国下高井郡中野村(現在の長野県中野市)の[[間ノ川一家]](間川又五郎一家、相川一家)の二代目・[[相川平三]]、浜松の[[斉藤善五郎]](後の[[国領屋一力一家>一力一家]]初代)、名古屋の[[津坂音吉]]の仲裁で和解した。
-以来、三代目・清水善吉、四代目・富安伊作、五代目・小川浅蔵、六代目・久保田文一、七代目・[[判冶玉吉]]と継承された。
-八代目を[[河澄政照]]が継承。後に[[河澄政照]]は全国に名の通る大親分として多数の抗争の仲裁を行った。
-昭和42、3年頃、[[河澄政照]]は平井一家を中心に地元豊橋や近隣東三河の団体を結集して[[愛豊同志会]]を結成した。[[三虎一家]]や[[虎屋一家]]、[[三州熊屋>熊屋]]などの[[的屋]]も参画した。
-1979年(昭和54年)4月、当時勢力を延ばしていた[[山口組]]・[[弘田組]]に対抗し、[[愛豊同志会]]、[[中京浅野会>浅野会(弘道会)]]、[[鉄心会]]で[[運命共同会]]を結成、[[河澄政照]]が代表に就いた。
-1983年7月26日、[[中京浅野会>浅野会(弘道会)]]と[[瀬戸一家]]の抗争のもつれから[[河澄政照]]が射殺された。
-[[愛豊同志会]]は[[政心同志会]]に改称し、会長には[[虎屋一家]]の藤川卓夫(藤川卓樹、のち平井一家九代目総裁)が就任した。
-1986年、[[運命共同会]]、[[稲葉地一家]]、[[平野家一家]]、[[導友会]]、[[瀬戸一家]]が、反[[山口組]]同盟として親睦団体[[中京五社会]]を結成。
-1991年、[[運命共同会]]傘下・[[鉄心会]]の一部組員が[[弘道会]]への移籍を求め、[[運命共同会]]は、移籍を求めた[[鉄心会]]組員約60名を破門にした。
-同年1月、[[鉄心会]]の一部組員を破門にしたことから[[名古屋抗争]]が勃発。
-同年2月12日、[[弘道会]]と[[運命共同会]]は和解。
-[[政心同志会]]の[[岸上剛史]]は十代目[[平井一家]]総裁として五代目[[山口組]]に加入し直参となった。また[[藤川卓夫]]は[[藤川組]]組長として[[稲川会]]に加入し直参となった。それに伴い[[運命共同会]]は瓦解。また[[中京五社会]]も瓦解した。
-2009年、[[岸上剛史]]が死去。[[薄葉政嘉]]が十一代目を継承。
** 平井一家系譜[#o191659d]
 祖  - [[小中山七五三蔵]]
初 代 - [[平井亀吉]]
二代目 - [[下地常吉]]
三代目 - 清水善吉
四代目 - 富安伊作
五代目 - 小川浅蔵
六代目 - 久保田文一
七代目 - [[判冶玉吉]]
八代目 - [[河澄政照]]
九代目 - [[藤川卓夫]]([[稲川会]]直参)
十代目 - [[岸上剛史]](六代目[[山口組]]幹部)
十一代目 - [[薄葉政嘉]]
** 十一代目平井一家組織図[#cf819b6b]
*** 総裁[#cf819b6b]
[[薄葉政嘉]](六代目[[山口組]]若頭補佐)- 勾留中
*** 最高幹部[#cf819b6b]
若 頭 - [[南 統世作>南統世作]](十一代目[[虎屋組]]組長)- 勾留中
最高顧問 - [[西村寛童]]
統括委員長 - [[松岡政道]](五代目[[松本組>松本組(平井一家)]]組長)- 勾留中
本部長 - [[原 譲一>原譲一]](九代目[[玉屋組]]組長)- 勾留中
若頭代行 - [[北 健児>北憲児]]([[北興業]]組長)
若頭補佐 - [[福田千人]](八代目[[三虎組]]組長)- 勾留中
若頭補佐 - [[西村忠司]](八代目[[井上組>井上組(平井一家)]]組長)- 勾留中
*** 舎弟 [#dc53ac89]
[[豊田康志]]
*** 事務局長[#cf819b6b]
[[成瀬隆一]](十一代目[[虎屋組]]組長代行・[[成瀬組>成瀬組(虎屋組)]]組長)
*** 幹部[#cf819b6b]
総裁付 - [[武田秀志]](八代目[[三虎組]]若頭)
本部責任者 - [[林 結城>林結城]](八代目[[三虎組]]舎弟頭)
本部責任者 - [[大久保俊吾]](五代目[[松本組>松本組(平井一家)]]若頭補佐)
本家付 - [[大石俊樹]]([[政統会]]会長)
本家付 - [[大場圭一]]
*** 若中 [#o99ac819]
[[田口高一]]
[[加藤矢吹]]
[[田口高一]]
[[巻屋 純>巻屋純]]
[[遠藤竜一郎]]
*** 代表幹事 [#c2b87a1a]
[[松岡靖生]](五代目[[松本組>松本組(平井一家)]]若頭)
本家付 - [[松岡明宏]](五代目[[松本組>松本組(平井一家)]]本部長)
[[井上 勲>井上勲]](八代目[[三虎組]]幹部)
[[福田朋彦]](八代目[[三虎組]]幹部)
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