小田秀組
小田秀組(おだひでぐみ)は大阪府に本部を置いていた暴力団で、三代目山口組の二次団体であった。
略歴
- 1958年、小田秀臣が小田組(後の小田秀組)を結成し、大阪の愚連隊明友会に参加した。
- 1960年8月9日、明友会事件が勃発した。その後、小田秀臣は三代目山口組若頭・地道行雄の舎弟となった。
- 1964年、小田秀臣は三代目山口組組長・田岡一雄の盃を受け、若衆となった。
- 1984年6月5日、山口組直系組長会で、竹中正久は、山口組四代目組長就任の挨拶をした。小田秀臣を含む山本広を支持する直系組長は直系組長会に出席しなかった。
- 小田秀組は一和会に参画予定であったが、小田秀組若頭・松山政雄(松山組組長)、舎弟頭代行・山田輝雄(山田組組長)、舎弟・盛政之助(盛政組組長)、本部長・森田昌夫(森田組組長)が四代目山口組直参となり、小田秀組は解散した。
系譜
小田秀臣
組織図
組 長 - 小田秀臣
若 頭 - 松山政雄
舎弟頭 - 山田輝雄
本部長 - 森田昌夫
- この項目は書きかけ項目です。
- 役職や名称等、人事の変更などで必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
※誹謗中傷や悪戯、あらし行為、悪質な売名行為、他サイトの宣伝などは厳禁とし、それらを行った者に関しては厳重な処罰の対象とし、悪質編集者リストへ一定期間掲載させて頂きますのでご注意下さい。
- 編集される際は「テキスト整形のルール(詳細版)」をご覧ください。
- 編集を依頼される場合は下記の【このページの編集依頼】または【メールで編集依頼】から依頼して下さい。
【このページの編集依頼】