小金井小次郎
小金井小次郎(こがねい こじろう、こがねいの こじろう、小金井小治郎、本名:関小次郎、1818年 - 1881年)は幕末から明治の侠客、博徒。小金井一家初代。新門辰五郎の弟分。
略歴
- 武蔵国北多摩郡小金井の名主の次男として生まれる。
- 天保11年(1840年)、武蔵二塚明神前の小平堀端の田折与惣兵衛?一家との大喧嘩で名をあげ、度重なる賭博開帳の罪で嘉永2年(1849年)三宅島送りとなる。
- 明治元年(1868年)、大赦で小金井へ帰り、甲州街道で飯盛り茶屋を営む。
- 府中の大親分藤屋万吉の子分となり、跡目を継ぐ。
島帰りの顔役として羽振りをきかせて東は新宿、南は祭礼で賑わう川崎大師までと縄張りも広く、子分は1200人余りといわれた。
- 弘化3年(1846年)、佃寄場服役中に大火から油倉を守り、神社の再建にも力を尽くすなど義侠の行為も少なくなかった。
- 明治14年6月5日死去。64歳。
- 新門辰五郎、甲州の津向文吉と兄弟分。
- 新門辰五郎の他、高萩万次郎や大場久八の舎弟とも。
検索:小金井ノ小治郎、小金井ノ小次郎
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