柳川次郎
柳川次郎(別名:柳川魏志 本名:梁元錫(ヤン・ウォンソク) 1923年-1991年12月12日)は日本のヤクザ。三代目山口組若中。柳川組組長。1963年10月引退。
略歴
- 1958年、柳川次郎が柳川組を結成。
- 1959年、柳川次郎が三代目山口組若頭・地道行雄の舎弟となり、山口組傘下となる。
- 山口組きっての武闘派として知られ“殺しの軍団”と呼ばれた。
- 柳川組の全盛期には傘下73団体・組員1700名(準構成員含むと約2800名)を抱え、1道2府10県に進出。山口組の全国への勢力拡大に貢献した。
- 三代目山口組時代に二次団体でありながら広域暴力団に指定された唯一の組織。
- 1969年、第一次頂上作戦の対象とされ、厳しい追及を受けて三代目山口組組長・田岡一雄に無断で解散を宣言。
- 田岡一雄は柳川次郎、谷川康太郎を絶縁。
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