誠友会
五代目誠友会(せいゆうかい)は北海道札幌市中央区南七条西6-2-1に本部を置く暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の二次団体。
略歴
発足から山口組加入まで
- 1957年(昭和32年)、長岡宗一は會津家松葉一家小高・小高龍湖の実子分となった。
- 長岡宗一と小高龍湖は不仲となった。
- 1962年(昭和37年)5月、長岡宗一は小高龍湖に逆破門状を送った。
- 長岡宗一は會津家から破門となり、長友会を結成した。
北海道同志会を結成
- 同年、「長友会」会長・長岡宗一、愚連隊・石間春夫、愚連隊・谷内二三男が五分の兄弟盃を交わし、三派を統合して「北海道同志会」を結成。初代会長に長岡宗一が就任。
この北海道同志会を起源としている。
- 同年10月、長岡宗一は三代目山口組・柳川組の谷川康太郎と五分の兄弟分となった。
三代目山口組・柳川組に加入
- 同年暮れ、長岡宗一、石間春夫、谷内二三男は柳川組組長・柳川次郎の舎弟となった。
北海道同志会は三代目山口組・柳川組北海道支部の看板を掲げ、長岡宗一が支部長に就任した。
- 1964年(昭和39年)、谷川康太郎が柳川組二代目を継承。
- 1965年(昭和40年)、長岡宗一が引退し、石間春夫が支部長に就任した。
二代目柳川組の解散
- 1969年(昭和44年)、二代目柳川組が解散した。
- 谷内二三男は、独断で柳川組北海道支部から脱退し、源清田一家・萩原敬士の舎弟となった。
萩原敬士や源清田長江四代目・塚本修翠、本郷清らを通して小高龍湖に詫びを入れ許された。
- 1970年(昭和45年)、谷内二三男は、旧柳川組北海道支部を「北海道誠友会」と改称した。
谷内二三男が会長に、長岡宗一の実子分・田村武志が副会長に就任。石間春夫は服役中であったため相談役とされた。石間春夫は一連の経緯を知らされていなかった。
- 北海道誠友会は、「山口組とは縁を持たない」という条件で、北海道のヤクザ組織から設立を認められた。
- 同年6月、石間春夫が出所、北海道誠友会から脱退して「北誠会」を結成した。
- 谷内二三男が病気により引退し、田村武志が「二代目北海道誠友会」会長に就任した。
初代誠友会の結成
山口組加入へ
- 誠友会と山口組の接触は1984年から進められており、四代目山口組・一会会長の野澤儀太郎が、札幌刑務所の病舎で石間春夫と面会。この時加入話は持ち出さなかったものの、同年秋には当時若頭補佐の渡辺芳則と桂木正夫が面会し、年明けには若頭である中山勝正と会う手筈になっていた。
- 1985年(昭和60年)1月27日に、中山勝正が一和会の襲撃で急死すると、これをきっかけに石間春夫は山口組入りを決意する。なお直後私文書偽造により懲役4年の判決を受け、宮城刑務所に収監される。
加えて当時、初代誠友会が加入していた「北海道同行会」の会規に「内地の広域組織は同行会には入れない」とする条項があったものの、初代誠友会の姿勢は不透明であった。
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山口組加入から三代目まで
- 1989年(平成1年)1月21日午前0時40分、石間春夫は満期釈放で宮城刑務所から出所。
- 同日午後、初代誠友会本部で石間春夫の放免祝いが行われ、渡辺芳則や4人の山口組直系組長などが参加した。
- 同年2月、室蘭市で初代誠友会と飯島安達連合睦会との抗争が勃発。
- 同年9月27日午前2時50分ごろ、札幌抗争が勃発。
二代目
- 同年4月、田村武志が誠友会の二代目を継承。五代目山口組直参に昇格。
- 誠友会に於いて総長名乗りは初代・石間春夫一代限りとした事から、二代目以降は会長となる。
- 2001年(平成13年)10月18日、田村武志が病死。69歳没。
三代目
- 2002年(平成14年)、船木一治が三代目を継承。
- 2012年(平成24年)4月、六代目山口組幹部に就任。
- 2013年(平成25年)3月30日、三代目会長・船木一治が死去。
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四代目
- 同年5月、渡部隆が誠友会の四代目を継承し、六代目山口組直参に昇格。
- 2024年(令和6年)3月7日、四代目・渡部隆が持病により75歳で死去。
五代目
- 2024年(令和6年)3月17日、誠友会本部で臨時招集が開かれ、関谷弘志の五代目継承及び新人事の内諾を山口組本家より得られた旨の発表が行われた。
- 同月31日、関谷弘志が六代目山口組若中として直参に昇格。
- 同年5月9日、誠友会本部で、関谷弘志と組員の盃直しの儀式が執り行われた。
北海道同志会~北誠会までの系譜
北海道同志会(柳川組北海道支部)
初 代 - 長岡宗一
二代目 - 石間春夫
北海道誠友会
初 代 - 谷内二三男
二代目 - 田村武志
北誠会
石間春夫
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誠友会系譜
初 代 - 石間春夫(五代目山口組舎弟)
二代目 - 田村武志(五代目山口組若中)
三代目 - 船木一治(六代目山口組幹部)
四代目 - 渡部 隆(六代目山口組若中)
五代目 - 関谷弘志
五代目誠友会組織図
会長
関谷弘志(六代目山口組若中)
最高顧問
高橋哲雄
最高幹部(執行五役)
若 頭 - 兼松義幸(二代目渡部会会長)
舎弟頭 - 漆原健二(漆原組組長)
本部長 - 宮本正英(二代目小仲組組長)
幹事長 - 北川靖典(二代目束田会会長)
副本部長 - 古賀将史(二代目島田組組長)
執行部
舎弟頭補佐 - 千 富士夫(千組組長)
舎弟頭補佐 - 宮井静夫(宮井組組長)
若頭補佐・慶弔委員長 - 種田隆広 (種田組組長)
若頭補佐 - 内片誠治 (内片組組長)
若頭補佐 - 田中一彦 (二代目山元組組長)
若頭補佐 - 板川政美 (板川組組長)
若頭補佐 - 黒澤道遠 (黒澤組組長)
若頭補佐 - 緒方洋亮 (緒方組組長)
若頭補佐 - 佐藤史仁 (二代目藤森組組長)
若頭補佐 - 清水徳行 (三代目山勝組組長)
顧問
金澤雅典(金澤組組長)
野本健二(野本組組長)
島田耕平(島田総業組長)
成田和人(成田組組長)
相談役
工藤隆則 (工藤組組長)
飛山仁志
中山良作 - 服役中
舎弟
豊吉清貴(豊吉組組長)
薄田豊美(薄田会会長)
富田道弘(富田組組長)
武井真也(武井組組長)
幹部
慶弔委員 - 関根広明(二代目関根組組長)
徳田 剛(三代目田村組組長)
山本道寛(寛組組長)
成田冬馗(四代目高橋組組長)
若中
慶弔委員 - 松下 孝(松下組組長)
慶弔委員 - 三浦隆志(三浦組組長)
慶弔委員 - 今野靖治(今野組組長)
香川國洋(三代目西村会会長)
漆原龍三(健道組組長)
佐々木圭悟(二代目飛山組組長)
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- 会長 関谷弘志(六代目山口組若中) 最高顧問 高橋哲雄 最高幹部(執行五役) 若 頭 - 兼松義幸(二代目渡部会会長) 舎弟頭 - 漆原健二(漆原組組長) 本部長 - 宮本正英(二代目小仲組組長) 幹事長 - 北川靖典(二代目束田会会長) 副本部長 - 古賀将史(二代目島田組組長) 舎弟頭補佐(執行部) 舎弟頭補佐 - 千 富士夫(千組組長) 舎弟頭補佐 - 宮井静夫(宮井組組長) 顧問 金澤雅典(金澤組組長) 野本健二(野本組組長) 島田耕平(島田総業組長) 成田和人(成田組組長) 若頭補佐(執行部) 若頭補佐 - 内片誠治 (内片組組長) 若頭補佐・慶弔委員長 - 種田隆広 (種田組組長) 若頭補佐 - 黒澤道遠 (黒澤組組長) 若頭補佐 - 田中一彦 (二代目山元組組長) 若頭補佐 - 佐藤史仁(二代目藤森組組長) 若頭補佐 - 緒方洋亮 (緒方組組長) 若頭補佐 - 板川政美 (板川組組長) 若頭補佐 - 清水徳行 (三代目山勝組組長) 舎弟 豊吉清貴(豊吉組組長) 薄田豊美(薄田会会長) 富田道弘(富田組組長) 武井真也(武井組組長) 幹部 慶弔委員 - 関根広明(二代目関根組組長) 徳田 剛(三代目田村組組長) 山本道寛(寛組組長) 成田冬馗(四代目高橋組組長) 若中 慶弔委員 - 松下 孝(松下組組長) 慶弔委員 - 三浦隆志(三浦組組長) 慶弔委員 - 今野靖治(今野組組長) 香川國洋(三代目西村会会長) 漆原龍三(健道組組長) 佐々木圭悟(二代目飛山組組長) 相談役 工藤隆則 (工藤組組長) 飛山仁志 中山良作 - 服役中 -- 誠友会
- 誰かが役職の序列改竄してましたし、若頭補佐の序列も改竄されてましたので元に戻して置きました。更に若頭補佐らの経歴も改竄されてます。 -- 誠友会
- 五代目体制は、相談役が末席です。舎弟頭補佐と若頭補佐の間に顧問です。 -- 誠友会
- 若頭補佐は、板川組長、清水会長を除いて、四代目体制から引き続き若頭補佐です。2024年3月に就任した訳ではないです。 -- 誠友会