倭和会(やまとかい)は大阪府大阪市中央区瓦屋町2-1-6に本部を置いていた六代目山口組の二次団体。旧称「盛力会」。2014年除籍により解散。四代目吉川組などに移籍。
盛力健児(戸籍名・平川一茂)は健竜会の渡辺芳則会長、健心会の杉秀夫会長とともに初代山健組の「三羽烏」と呼ばれた一人。
初代山健組では武闘派として大阪戦争で活躍し、長期服役を余儀なくされた。
五代目山口組が発足すると服役中にも拘わらず直参に昇格。
服役後、渡辺芳則五代目を支えながら組織を拡大。
六代目山口組発足後、後藤組の後藤忠政組長の処遇問題で本家執行部を批判し除籍処分となり、盛力会は名跡を継承できず解散。
盛力会結成当時から最高幹部として尽力していた副会長の飯田倫功が地盤を引き継ぎ、倭和会を結成。六代目山口組の直参に昇格。
盛力会初代 - 盛力健児(六代目山口組若中、五代目山口組若中、二代目山健組舎弟頭補佐、初代山健組若頭補佐)
倭和会初代 - 飯田倫功(六代目山口組若中、初代飯田組組長)
会 長 - 飯田倫功(六代目山口組若中)
舎弟頭 - 唐橋厳(三代目久富連合会会長)
舎弟頭補佐 - 白川斗敷
若頭補佐 - 足立真作(秀真会会長)