浜田会
浜田会(はまだかい)は福岡県大川市大橋に本部を置いた暴力団。
略歴
- 昭和30年代に、福岡県久留米市の浜田組組長の甥が福岡県大川市で浜田興産を結成。
- 覚醒剤の密輸・密売をシノギとしており、大規模密輸事件や密造事件などに関連していた。
- 福岡県内及び佐賀県に勢力を拡大。
- 久留米の浜田組は、初代浜田組長が叔父にあたる。
- 浜田興産と浜田組が合併し浜田会に改称。
久留米市の浜田組、大川市の小川組、柳川市の鳥巣組などを傘下に置き、昭和50年代の最盛期には、約300名の構成員を誇っていた。
福岡県筑後地方の大川、柳川では圧倒的な勢力を誇り、甘木、久留米、筑後、大野城、八女、福岡市内、佐賀市内にも傘下組織を有していた。
- 会長は尾道俠道会初代・森田幸吉、久留米道仁会初代・古賀磯次、穂波町九州侠友連合会会長・定岡英二らと兄弟分であった。
- 昭和55年、大野城友松会と抗争。
- 昭和58年、佐賀石川一家と抗争。
- 昭和60年、田川太州会と抗争。
いずれの抗争でも死者を出す。
特に石川一家との抗争は激しく、双方に多数の死者を出す。
この石川一家との抗争の手打ち式には、九州全土の代紋頭が集まっており、九州全土の親分が集まった手打ち式は、このほかには山道抗争のみである。
- 平成に入った頃から組員の流失が相次ぐ。
- 平成8年、浜田会の覚醒剤密造を内定していた福岡・宮崎・熊本各県警が、同会会長の関連会社の所有する宮崎県内の施設を捜索する。
- 2001年頃まで約50名ほどで組織運営されていたが、有力幹部の死去や会長の体調不良などが重なり2003年に解散。解散後は古賀圭輔が道仁会・松尾組・小林組に加入。
系譜
初 代 - 浜田義弘
浜田会組織図
会 長 - 浜田義弘
理事長 - 小川美吉
舎 弟 - 鳥巣元広
舎 弟 - 古賀 稔
相談役 - 古賀繁實
理事長補佐 - 浦 盛隆
事務局長 - 古賀曙實
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