誠友会
四代目誠友会(せいゆうかい)は北海道札幌市中央区南七条西6-2-1に本部を置き、北海道苫小牧市栄町2-2-7に本家を置く暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の二次団体。
略歴
山口組加入までの経緯
- 誠友会と山口組の接触は1984年から進められており、四代目山口組・一会会長の野澤儀太郎が、札幌刑務所の病舎で石間春夫と面会。この時加入話は持ち出さなかったものの、同年秋には当時若頭補佐の渡辺芳則と桂木正夫が面会し、年明けには若頭である中山勝正と会う手筈になっていた。
- 1985年1月27日に、中山勝正が一和会の襲撃で急死すると、これをきっかけに石間春夫は山口組入りを決意する。なお直後私文書偽造により懲役4年の判決を受け、宮城刑務所に収監される。
加えて当時誠友会が加入していた「北海道同行会」の会規に「内地の広域組織は同行会には入れない」とする条項があったものの、誠友会の姿勢は不透明であった。
- 同年4月5日午後3時、四代目山口組本部事務所で開催された定例会にて、誠友会会長・石間春夫の舎弟待遇での山口組加入が発表された。
- 同月18日、山口組の中西一男・岸本才三・桂木正夫らと会見した石間春夫は、北海道同行会に脱退を通告。
- 同年6月14日、脱退の扱いについて北海道同行会臨時総会でも結論は出なかった。
- 同年7月、うやむやの中北海道同行会に残留したまま石間春夫は四代目山口組舎弟となり、誠友会系列の事務所は山菱の代紋を掲げた。
山口組加入後
- 1990年1月4日、北海道神宮近くで、石間春夫が共政会系の右翼団体・維新天誅会会員2人により射殺される。
誠友会系譜
初 代 - 石間春夫(五代目山口組舎弟)
二代目 - 田村武志(五代目山口組若中)
三代目 - 船木一治(六代目山口組幹部)
四代目 - 渡部 隆
四代目誠友会組織図
会長
渡部 隆(六代目山口組若中)
最高幹部
若 頭 - 関谷弘志(二代目山勝会会長)
舍弟頭 - 兼松義幸(二代目渡部会会長)
本部長 - 宮本正英(二代目小仲組組長)
副本部長-高橋義之 (高義組組長)
幹事長 - 漆原健二(漆原組組長)
特別顧問
高橋哲雄
会長室長
古賀将史(二代目島田組組長)
会長補佐
西田文雄(西田組組長)
豊吉清貴(豊吉組組長)
高橋清一(二代目西村会会長)
若頭補佐
内片誠治(内片組組長)
種田隆広(種田組組長)
黒澤道遠(黒澤組組長)
田中一彦(二代目山元組組長)
辻野信晴(辻野組組長)
小池広明(小池組組長)
板川政美(板川組組長)
事務局長
大熊隆二(大熊総業組長)
常任顧問
金澤雅典(金澤組組長)
工藤隆則(工藤組組長)
野本健二(野本組組長)
顧問
薄田豊美(薄田会会長)
島田耕平(島田総業組長)
手塚秀彦(手塚総業組長)
高尾兆二(高尾組組長)
坪岡等一(坪岡組組長)
相談役
中山良作
舎弟頭補佐
森 晃(森組組長)
北川靖典(二代目束田会会長)
千 富士夫(千組組長)
宮井静夫(宮井組組長)
舎弟
飛山仁志(飛山組組長)
武井真也(武井組組長)
富田道弘(富田組組長)
成田和人(成田組組長)
瀬戸琢海(瀬戸組組長)
松下 孝(松孝興業組長)
幹部
山本道寛(寛組組長)
成田冬馗(四代目高橋組組長)
本部責任者
若中
徳田 剛(徳田組組長)
三浦隆志(三浦組組長)
佐藤史仁(二代目藤森組組長)
関根広明(二代目関根組組長)
緒方洋亮(緒方組組長)
今野靖治
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