倉心会
三代目倉心会(そうしんかい)は大阪府大阪市西成区玉出東2-8-15に本部を置く暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の三次団体。上部団体は四代目倉本組。
略歴
- 1989年、初代倉本組組長・倉本広文は五代目山口組若頭補佐を務め、倉本組は最盛期には2,000人の勢力を擁した。
- 1998年9月、倉本広文が死去。倉本組は跡目継承が行われず、貴広会(会長・津田功一)と倉心会(会長・小條鎮生)に分裂し、それぞれ五代目山口組の二次団体となった。
- 2005年、貴広会が二代目倉本組に改称される。
- 2008年10月、津田力が倉心会の二代目を継承、六代目山口組若中に昇格。
- 2010年、二代目倉本組組長・津田功一が引退し、若頭・河内敏之が三代目を継承した。
- 2015年10月、六代目山口組の分裂騒動で、三代目倉本組組長・河内敏之は六代目山口組か神戸山口組かの選択を追求された。
初代倉本広文は、柳川組出身で初代宅見組副組長を務めた後に四代目山口組若中になった経緯もあり、二代目宅見組への恩もありながら態度保留の対応を示した。
すると六代目山口組執行部から裏切者と恫喝され、六代目山口組は河内敏之を除籍とした。
同年同月、河内敏之は布団の上で横になった状態で、心臓めがけて拳銃の引き金を引き自殺した。
- 同年11月、三代目倉本組と二代目倉心会が合流し、二代目倉心会会長・津田力が倉本組の四代目を継承した。
これにより倉本組は本部を奈良県奈良市西九条町3-2-4から和歌山県和歌山市元寺町西ノ丁25へ移した。
倉心会は四代目倉本組内に置かれ、二代目倉心会では若頭を務めていた須賀義幸が三代目を継承し、四代目倉本組若頭に就任。
- 2017年3月、津田力は六代目山口組若頭補佐に昇格。
- 2021年、須賀義幸は四代目倉本組組長代行に就任。
- 2022年11月2日、須賀義幸がガンにより死去。
- 同月5日、和歌山市内の斎場で通夜が営まれ、山口組大阪南ブロックを中心に多くの直参幹部が参列した。
系譜
初 代 - 小條鎮生
二代目 - 津田 力(四代目倉本組組長)
三代目 - 須賀義幸(四代目倉本組組長代行)
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