荒神山の喧嘩
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* 荒神山の喧嘩 [#o586fbca] ''荒神山の喧嘩''(こうじんやまのけんか)は1866年4月8日に伊勢国荒神山(現・鈴鹿市高塚町の観音寺)で起きた博徒同士の私闘。講談の神田伯山、浪曲の広沢虎造の次郎長伝で有名。荒神山の決闘、荒神山の血闘とも。 ** 概要 [#c5de57ee] #ac(h,open){{ -ともに伊勢国の博徒である[[神戸長吉]]と[[穴太徳次郎]]の間に縄張り争いが起き、[[神戸長吉]]と助っ人22名に対して[[穴太徳次郎]]の一家とその助っ人(黒駒党含む)130余名が荒神山で激突した。 -[[神戸長吉]]側の助っ人であった[[吉良仁吉]]の死の報に兄弟分の[[清水次郎長]]は東海道の博徒480余名を動員。伊勢の神社湾(かみやしろわん)に2隻の船を乗りつけて[[穴太徳次郎]]と後盾である伊勢古市の[[丹波屋伝兵衛]]に決戦を挑むが両者とも謝罪したため和議をする。 -[[清水一家]]と[[穴太徳次郎]]の正式な和解は明治の2年頃行われたとされる。 }} ** 原因 [#x7566b49] -諸説あるが、通説としては[[神戸長吉]]の縄張り内で[[穴太徳次郎]]が賭博を開帳したため、つまり当時勢いのあった[[穴太徳次郎]]側のシマ荒らしが発端で、それに双方の後ろ盾、助っ人が付き決闘に至ったとされる。 また、[[神戸長吉]]、[[穴太徳次郎]]ともに神戸藩周辺の[[黒田屋勇蔵]]の子分であり、桑名藩周辺に勢力を持った[[穴太徳次郎]]が[[黒田屋勇蔵]]の跡目を継承した。[[神戸長吉]]が[[穴太徳次郎]]一派の博徒を斬り、地元神戸を離れ逃亡していた際に、高神山観音寺の賭場を[[穴太徳次郎]]一派が支配下に置いたため、[[神戸長吉]]がその賭場を奪還するため兄弟分・[[寺津間之助]]に助っ人を依頼した。 この説には[[神戸長吉]]側に加勢した[[清水次郎長]]や[[吉良仁吉]]を美化するために脚色が加えられている可能性が残る。 -別説では、もともと北伊勢の高神山観音寺と加佐登神社の高市は相当な規模であり、そこで開帳される賭博は[[神戸伝左衛門]]という博徒が仕切っていた。 この[[神戸伝左衛門]]は[[神戸長吉]]の実父とも親分ともされるが判然としない。 [[神戸伝左衛門]]の跡目を下総からの流れ者[[黒田屋勇蔵]](一説には[[黒田屋一家]]二代目)が継承した。 [[黒田屋勇蔵]]は[[穴太徳次郎]]に跡目を譲ったあと、行方不明または僧侶になったとされる。 [[黒田屋勇蔵]]が去ったあと、観音寺と加佐登神社の縄張りの所有権を、跡目を継承した[[穴太徳次郎]]と[[神戸伝左衛門]]直系の子分である[[神戸長吉]]の双方が主張し、それぞれに縁のあった博徒([[清水次郎長]]、[[黒駒勝蔵]]、[[丹波屋伝兵衛]]ら)がまた対立関係にあったため、それぞれの私欲のため決闘に発展したとする。 ** 決闘後 [#vc54e05b] -手打ち後、[[神戸長吉]]は決闘の最中に逃げ隠れていたことを[[寺津間之助]]、[[清水次郎長]]らに咎められ、破門同様の扱いを受けている。 -[[穴太徳次郎]]は決闘に負け阿波国に逃亡したものの、維新の混乱に乗じて地元に戻り晩年まで博徒として活動した。 -[[清水次郎長]]はこの決闘で更に名を上げ大親分となる。 ** 加わった主な博徒 [#v46815c6] ***神戸長吉側 [#a94915fe] -[[神戸長吉]] -[[久居才次郎]] - [[神戸長吉]]の子分、[[角井門之助]]を殺害 -[[糸屋市五郎]] - [[神戸長吉]]の子分 -[[四日市敬次郎>四日市敬太郎]] - [[神戸長吉]]の子分 -[[神戸宇吉]] - [[神戸長吉]]の子分 -[[吉良仁吉]] - [[吉良一家]]、死亡 -[[松阪米太郎]] - [[吉良一家]] -[[船木幸太郎]] -[[吉良一家]]、死亡 -[[伏見桃太郎]] - [[吉良一家]] -[[小山田丹蔵]] - [[吉良一家]] -[[中畑由五郎]] - [[吉良一家]] -[[清水大政]] - [[次郎長一家>清水一家]] -[[清水小政]] - [[次郎長一家>清水一家]] -[[関東綱五郎]] - [[次郎長一家>清水一家]] -[[樋屋鬼吉>桶屋鬼吉]] - [[次郎長一家>清水一家]] -[[法印大五郎]] - [[次郎長一家]]、死亡説あり -[[増川仙右衛門]] - [[次郎長一家]] -[[大瀬半五郎]] -[[小松七五郎]] - [[次郎長一家>清水一家]] -[[滑栗初五郎>七久里初五郎]] -[[鳥羽熊>鳥羽熊八]] -[[下矢部平吉>北矢部清吉]] -[[半済村庄太郎>半済庄太郎]]・[[半済村安太郎>半済安太郎]]兄弟 -[[三保松五郎]] - [[次郎長一家>清水一家]] -[[奇妙院常五郎]] - [[間ノ川一家>間ノ川一家(長野県)]] -[[大野鶴吉>大野鶴吉(清水一家)]] - [[次郎長一家>清水一家]] -[[こ組栄太]] ***穴太徳次郎側 [#wd831935] -[[穴太徳次郎]] -[[角井門之助]] - [[穴太徳次郎]]子分、死亡 -[[神戸屋嘉助]] - [[穴太徳次郎]]子分 -[[福山喜内]] - 死亡 -[[山部三蔵]](山辺三蔵) -[[鳥山七五郎]](島山七五郎) -[[北条善兵衛]] -[[太田佐平次]] - 助っ人、死亡 -[[黒駒勝蔵]] - [[黒駒一家]] -[[平井亀吉]] - [[平井一家]] **手打式に参加した博徒 [#q0c7e312] -[[清水次郎長]] -[[寺津間之助]] -[[西尾治助]] -[[清水大政]] -[[清水小政]] -[[枡川仙右衛門>増川仙右衛門]] -[[大瀬半五郎]] -[[法印大五郎]] -[[奇妙院大五郎>奇妙院常五郎]] -[[鳥羽熊>鳥羽熊八]] -[[大谷部平吉>北矢部清吉]] -[[桶屋鬼吉]] -[[追分三五郎]] -[[大野鶴吉>大野鶴吉(清水一家)]] -[[三保豚松>三保松五郎]] -[[関東綱五郎]] -[[問屋場大熊]] -[[相撲常>相撲常八]] -[[辻勝五郎]] -[[舞阪富五郎]] -[[田中敬太郎>田中啓次郎]] -[[滑栗初五郎>七久里初五郎]] -[[玉屋玉吉]] -[[高森清兵衛]] -[[豊丘三次]] -[[喬木佐田五郎]] -[[阿智平兵衛]] -[[下條司]] -[[門島兵衛]] -[[阿南諸文]] -[[売木辰三]] -[[平岡留五郎]] -[[飯島熊蔵]] ***仲人・後見人 [#j75e1927] -[[稲木文蔵]] -[[武蔵屋周太郎]] -[[鹽濱吉五郎>塩浜吉五郎]] -[[福田屋勘之助]] - 目明し -[[梅屋栄蔵]] - 目明し ***立会人 [#abb6db98] -[[松坂米太郎>松阪米太郎]] -[[薹屋琴次>台屋琴次]] -[[丹波屋傳兵衛>丹波屋伝兵衛]] ***安濃徳側 [#l4eed916] -[[安濃徳次郎]] -[[山部三蔵]] -[[鳥山七五郎]] ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~
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* 荒神山の喧嘩 [#o586fbca] ''荒神山の喧嘩''(こうじんやまのけんか)は1866年4月8日に伊勢国荒神山(現・鈴鹿市高塚町の観音寺)で起きた博徒同士の私闘。講談の神田伯山、浪曲の広沢虎造の次郎長伝で有名。荒神山の決闘、荒神山の血闘とも。 ** 概要 [#c5de57ee] #ac(h,open){{ -ともに伊勢国の博徒である[[神戸長吉]]と[[穴太徳次郎]]の間に縄張り争いが起き、[[神戸長吉]]と助っ人22名に対して[[穴太徳次郎]]の一家とその助っ人(黒駒党含む)130余名が荒神山で激突した。 -[[神戸長吉]]側の助っ人であった[[吉良仁吉]]の死の報に兄弟分の[[清水次郎長]]は東海道の博徒480余名を動員。伊勢の神社湾(かみやしろわん)に2隻の船を乗りつけて[[穴太徳次郎]]と後盾である伊勢古市の[[丹波屋伝兵衛]]に決戦を挑むが両者とも謝罪したため和議をする。 -[[清水一家]]と[[穴太徳次郎]]の正式な和解は明治の2年頃行われたとされる。 }} ** 原因 [#x7566b49] -諸説あるが、通説としては[[神戸長吉]]の縄張り内で[[穴太徳次郎]]が賭博を開帳したため、つまり当時勢いのあった[[穴太徳次郎]]側のシマ荒らしが発端で、それに双方の後ろ盾、助っ人が付き決闘に至ったとされる。 また、[[神戸長吉]]、[[穴太徳次郎]]ともに神戸藩周辺の[[黒田屋勇蔵]]の子分であり、桑名藩周辺に勢力を持った[[穴太徳次郎]]が[[黒田屋勇蔵]]の跡目を継承した。[[神戸長吉]]が[[穴太徳次郎]]一派の博徒を斬り、地元神戸を離れ逃亡していた際に、高神山観音寺の賭場を[[穴太徳次郎]]一派が支配下に置いたため、[[神戸長吉]]がその賭場を奪還するため兄弟分・[[寺津間之助]]に助っ人を依頼した。 この説には[[神戸長吉]]側に加勢した[[清水次郎長]]や[[吉良仁吉]]を美化するために脚色が加えられている可能性が残る。 -別説では、もともと北伊勢の高神山観音寺と加佐登神社の高市は相当な規模であり、そこで開帳される賭博は[[神戸伝左衛門]]という博徒が仕切っていた。 この[[神戸伝左衛門]]は[[神戸長吉]]の実父とも親分ともされるが判然としない。 [[神戸伝左衛門]]の跡目を下総からの流れ者[[黒田屋勇蔵]](一説には[[黒田屋一家]]二代目)が継承した。 [[黒田屋勇蔵]]は[[穴太徳次郎]]に跡目を譲ったあと、行方不明または僧侶になったとされる。 [[黒田屋勇蔵]]が去ったあと、観音寺と加佐登神社の縄張りの所有権を、跡目を継承した[[穴太徳次郎]]と[[神戸伝左衛門]]直系の子分である[[神戸長吉]]の双方が主張し、それぞれに縁のあった博徒([[清水次郎長]]、[[黒駒勝蔵]]、[[丹波屋伝兵衛]]ら)がまた対立関係にあったため、それぞれの私欲のため決闘に発展したとする。 ** 決闘後 [#vc54e05b] -手打ち後、[[神戸長吉]]は決闘の最中に逃げ隠れていたことを[[寺津間之助]]、[[清水次郎長]]らに咎められ、破門同様の扱いを受けている。 -[[穴太徳次郎]]は決闘に負け阿波国に逃亡したものの、維新の混乱に乗じて地元に戻り晩年まで博徒として活動した。 -[[清水次郎長]]はこの決闘で更に名を上げ大親分となる。 ** 加わった主な博徒 [#v46815c6] ***神戸長吉側 [#a94915fe] -[[神戸長吉]] -[[久居才次郎]] - [[神戸長吉]]の子分、[[角井門之助]]を殺害 -[[糸屋市五郎]] - [[神戸長吉]]の子分 -[[四日市敬次郎>四日市敬太郎]] - [[神戸長吉]]の子分 -[[神戸宇吉]] - [[神戸長吉]]の子分 -[[吉良仁吉]] - [[吉良一家]]、死亡 -[[松阪米太郎]] - [[吉良一家]] -[[船木幸太郎]] -[[吉良一家]]、死亡 -[[伏見桃太郎]] - [[吉良一家]] -[[小山田丹蔵]] - [[吉良一家]] -[[中畑由五郎]] - [[吉良一家]] -[[清水大政]] - [[次郎長一家>清水一家]] -[[清水小政]] - [[次郎長一家>清水一家]] -[[関東綱五郎]] - [[次郎長一家>清水一家]] -[[樋屋鬼吉>桶屋鬼吉]] - [[次郎長一家>清水一家]] -[[法印大五郎]] - [[次郎長一家]]、死亡説あり -[[増川仙右衛門]] - [[次郎長一家]] -[[大瀬半五郎]] -[[小松七五郎]] - [[次郎長一家>清水一家]] -[[滑栗初五郎>七久里初五郎]] -[[鳥羽熊>鳥羽熊八]] -[[下矢部平吉>北矢部清吉]] -[[半済村庄太郎>半済庄太郎]]・[[半済村安太郎>半済安太郎]]兄弟 -[[三保松五郎]] - [[次郎長一家>清水一家]] -[[奇妙院常五郎]] - [[間ノ川一家>間ノ川一家(長野県)]] -[[大野鶴吉>大野鶴吉(清水一家)]] - [[次郎長一家>清水一家]] -[[こ組栄太]] ***穴太徳次郎側 [#wd831935] -[[穴太徳次郎]] -[[角井門之助]] - [[穴太徳次郎]]子分、死亡 -[[神戸屋嘉助]] - [[穴太徳次郎]]子分 -[[福山喜内]] - 死亡 -[[山部三蔵]](山辺三蔵) -[[鳥山七五郎]](島山七五郎) -[[北条善兵衛]] -[[太田佐平次]] - 助っ人、死亡 -[[黒駒勝蔵]] - [[黒駒一家]] -[[平井亀吉]] - [[平井一家]] **手打式に参加した博徒 [#q0c7e312] -[[清水次郎長]] -[[寺津間之助]] -[[西尾治助]] -[[清水大政]] -[[清水小政]] -[[枡川仙右衛門>増川仙右衛門]] -[[大瀬半五郎]] -[[法印大五郎]] -[[奇妙院大五郎>奇妙院常五郎]] -[[鳥羽熊>鳥羽熊八]] -[[大谷部平吉>北矢部清吉]] -[[桶屋鬼吉]] -[[追分三五郎]] -[[大野鶴吉>大野鶴吉(清水一家)]] -[[三保豚松>三保松五郎]] -[[関東綱五郎]] -[[問屋場大熊]] -[[相撲常>相撲常八]] -[[辻勝五郎]] -[[舞阪富五郎]] -[[田中敬太郎>田中啓次郎]] -[[滑栗初五郎>七久里初五郎]] -[[玉屋玉吉]] -[[高森清兵衛]] -[[豊丘三次]] -[[喬木佐田五郎]] -[[阿智平兵衛]] -[[下條司]] -[[門島兵衛]] -[[阿南諸文]] -[[売木辰三]] -[[平岡留五郎]] -[[飯島熊蔵]] ***仲人・後見人 [#j75e1927] -[[稲木文蔵]] -[[武蔵屋周太郎]] -[[鹽濱吉五郎>塩浜吉五郎]] -[[福田屋勘之助]] - 目明し -[[梅屋栄蔵]] - 目明し ***立会人 [#abb6db98] -[[松坂米太郎>松阪米太郎]] -[[薹屋琴次>台屋琴次]] -[[丹波屋傳兵衛>丹波屋伝兵衛]] ***安濃徳側 [#l4eed916] -[[安濃徳次郎]] -[[山部三蔵]] -[[鳥山七五郎]] ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~
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