第六次沖縄抗争
の編集
Top
/
第六次沖縄抗争
[
トップ
] [
編集
|
差分
|
バックアップ
|
添付
|
リロード
] [
新規
|
一覧
|
検索
|
最終更新
|
ヘルプ
|
ログイン
]
-- 雛形とするページ --
(no template pages)
* 第六次沖縄抗争 [#gb8fb8d1] ''第六次沖縄抗争''(だい6じおきなわこうそう)は、1990年から1992年にかけて沖縄県で起きた、三代目[[旭琉会]]の分裂による[[旭琉会]]と[[沖縄旭琉会]]の抗争事件。 ** 概要 [#l3341068] -1983年5月、[[旭琉会]]は内部抗争が原因で1982年10月に殺害された二代目会長・多和田真山の後を受け、[[翁長良宏]]が三代目会長に就任し、三代目[[旭琉会]]が発足。 三代目[[旭琉会]]は、会長・[[翁長良宏]]と、理事長・[[富永清]]の組織体制で運営され、その後7年間は平和が保たれていた。 -1990年(平成2年)3月24日、那覇空港において五代目[[山口組]]組長・[[渡辺芳則]]が、沖縄県警に入県を阻止された事件の対応策を巡り、会長・[[翁長良宏]]派と、理事長・[[富永清]]派との間で対立が表面化。 -同年5月、総長会において[[翁長良宏]]が、[[山口組]]と五分の親戚付き合いをするという意向を示したのに対し、[[辻一家]]総長・[[泉操]]が反発したため、[[翁長良宏]]の独断で[[泉操]]を絶縁処分とした。 *** 抗争の要因 -[[富永一家]]組員が、[[旭琉会]]会長付の幹部に対して拳銃を向けるトラブルが発生。 このトラブルで、同幹部が所属する[[大城一家]]総長・[[大城孝章]]が適切な対応を取らなかったことを[[翁長良宏]]が怒ったが、その件を[[大城孝章]]の依頼で[[富永清]]が[[翁長良宏]]に意見したことから、翁長派、富永派への分裂動向が色濃くなっていった。 このトラブルでは、双方共に拳銃発砲等の抗争事件は発生しなかったが、那覇市牧志の[[旭琉会]]会長・[[翁長良宏]]宅、沖縄市諸見里の理事長・[[富永清]]宅には多くの組員が集結し、組事務所には窓に鉄板を張り巡らすなどの措置が講じられた。 -同月8日、[[大城一家]]の組事務所から拳銃が押収された。 -同年7月20日、内紛時に主流派から反主流派に寝返った[[丸長一家]]・[[巴組]]幹部・[[与那満]]が拳銃所持で逮捕された。押収された拳銃は実弾が装填されたままですぐに発射できる状態であった。 -同年9月13日、主流派の[[丸長一家]]から反主流派の[[富永一家]]に寝返った[[巴組]]組長・[[金城宏]]と組員らは、[[丸長一家]]総長・[[仲程光男]]を殺害を企て、那覇市西2丁目の光国産業へ押し掛けたが[[仲程光男]]が不在であったため、[[丸長一家]]幹部・[[仲程盛昌]]([[仲程光男]]の実弟)に対し、至近距離から拳銃を発射する殺人未遂事件が発生した。 沖縄県内で拳銃が使用された事件は、1988年(昭和63年)10月の琉球銀行屋慶名支店での拳銃使用強盗事件以来約2年ぶり、暴力団同士の事件では1987年(昭和62年)6月の沖縄市胡屋在のパブラウンジ・スペインでの発砲事件以来、約3年3か月ぶりだった。 -この殺人未遂事件で主流派は、反主流派に寝返った組員による組織的な犯行で、反主流派からの宣戦布告と断定した。 しかし反主流派は、この事件はあくまでも発砲事件を起こした[[金城宏]]と[[仲程光男]]との個人的な遺恨であるとして宣戦布告を否定し、事件当日に組織参与らを通じて会長・[[翁長良宏]]への理解を求めようと働きかけたり、手術のため本土で入院していた理事長・[[富永清]]自身が、電話でこの事件を[[翁長良宏]]に説明しようとしたが、[[翁長良宏]]は「本件は反主流派の組織的犯行である」と決め付け、弁解を拒絶。 同年9月19日を期限に「[[富永清]]は堅気になるか、引退するかのどちらかをとれ」と迫った。 -9月17日、主流派はその回答を得ることなく[[富永清]]と[[富永一家]]若頭・[[上江洲丈二]]、殺人未遂事件の実行者・[[金城宏]]の3人を絶縁処分とした。 これに対し[[富永一家]]を中心とする反主流派は、三代目[[旭琉会]]に対し9月19日付けで10名の総長連名の脱会書を提出。脱会した[[富永清]]らは新組織「[[沖縄旭琉会]]」の結成を宣言した。 これにより、三代目[[旭琉会]]と[[沖縄旭琉会]]は分裂抗争に突入した。 *** 抗争に突入 -1990年(平成2年)9月21日、午前10時20分頃、沖縄県那覇市東町で三代目[[旭琉会]]・[[丸長一家]]・[[沖島組]]組員3名が、[[沖縄旭琉会]]久茂地支部事務所を車で偵察中、同事務所から出て来た数名の組員に襲撃されたうえ車で追跡され、拳銃で発砲される事件が発生。 -同日、午後9時20分頃、[[沖縄旭琉会]]組員による犯行と思われる、[[旭琉会]]・[[座安一家]]本家事務所への拳銃発砲事件が発生。 -同日、午後9時45分頃、沖縄県沖縄市照屋3丁目にある味処「とんきん」前で[[旭琉会]]組員による犯行と思われる、[[沖縄旭琉会]]・[[大城一家]]組員・[[大城淳]]への拳銃を使用した殺人未遂事件が発生。 -同日、午後10時45分頃、同じく[[旭琉会]]組員による犯行と思われる、[[沖縄旭琉会]]・[[上里一家]]本家事務所への拳銃発砲事件が発生。 -同月22日、深夜から23日早朝にかけて、[[沖縄旭琉会]]組員による犯行と思われる、沖縄市照屋3丁目の[[座安一家]]本家事務所に拳銃を発砲する事件が発生。 [[沖縄旭琉会]]組員による犯行と思われる、沖縄市松本2丁目の[[旭琉会]]・[[錦志一家]]内誉会事務所への発砲事件が発生。 [[旭琉会]]組員による犯行と思われる、沖縄市上地292番地の[[沖縄旭琉会]]・[[富永一家]]中の町支部事務所への発砲事件が発生。 [[旭琉会]]組員による犯行と思われる、沖縄市中央1丁目の[[沖縄旭琉会]]・[[上里一家]]本家事務所への発砲事件が発生するなど、4件の発砲事件が続発した。 -同月30日、午後5時過ぎ、[[旭琉会]]組員が、那覇市辻の[[沖縄旭琉会]]・[[照屋一家]]事務所に火炎瓶を投げ込んだうえ、拳銃を発砲する事件が発生。 -同年10月3日、午前4時頃、沖縄県宜野湾市真栄原新町の飲食街近くの路上で、対立する組員らを偵察にきた[[沖縄旭琉会]]・[[島袋一家]]組員が射殺される事件が発生。 -同日、東京行きの全日空機に爆発物を持ち込んだとして、[[旭琉会]]・[[丸良一家]]組員が逮捕される事件が発生。 同組員は、本土から爆発物を[[沖縄旭琉会]]側に郵送する目的で旅客機に爆発物を持ち込んでいた。 -同月5日、午後11時頃、[[旭琉会]]・[[丸良一家]]総長宅のあるビルに、[[沖縄旭琉会]]組員が拳銃を乱射する事件が発生。 同時刻頃、[[旭琉会]]側の経営するサウナに、[[沖縄旭琉会]]組員が拳銃を発射する事件が発生。 -同月6日、[[旭琉会]]・[[丸良一家]]組員が、総長宅前で不審車両を発見して車2台で追跡し、午前5時過ぎに不審車両を挟み撃ちにしたが、不審車両から拳銃を発射され見失う事件が発生。 -同月7日、午前5時頃、沖縄県石川市(現在のうるま市)内において、[[沖縄旭琉会]]・[[伊波一家]]事務所に拳銃が発射される事件が発生。 -同月8日、午前9時頃、沖縄県具志川市(現在のうるま市)内の商工会議所前の路上で、[[旭琉会]]・[[錦志一家]]組員が[[沖縄旭琉会]]組員に拳銃で撃たれ重傷を負う事件が発生。 -同月9日、午前4時過ぎ、那覇市内の桜坂中通りにある[[沖縄旭琉会]]・[[島袋一家]]の組員が、腹部を拳銃で撃たれ重傷を負う事件が発生。 同日、午後5時過ぎ、具志川市内の[[旭琉会]]側が経営する事務所に、[[沖縄旭琉会]]・[[富永一家]]組員が乗り込み、[[旭琉会]]・[[錦志一家]]組員を拉致する事件が発生。 -同月10日、午後3時過ぎ、沖縄市内の[[沖縄旭琉会]]・[[富永一家]]事務所に、[[旭琉会]]組員が車で乗りつけ拳銃を発射する事件が発生。 同時刻頃、[[沖縄旭琉会]]・[[富永一家]]組員の運転する車に、オートバイから拳銃が発射される事件が発生。 -同月11日、午前4時頃、那覇市内の[[沖縄旭琉会]]・[[金城一家]]の事務所に4tトラックが突っ込む事件が発生。 -同月12日、午前6時頃、那覇市内の[[沖縄旭琉会]]・[[照屋一家]]事務所入口に立っていた組員が、オートバイで乗り付けた[[旭琉会]]組員に撃たれ死亡する事件が発生。 同日、午前5時過ぎ、沖縄県名護市内で、[[沖縄旭琉会]]系事務所に突っ込む目的で駐車中の大型トレーラーを盗んだ[[旭琉会]]組員が逮捕される事件が発生。 -同月13日、午前0時頃、沖縄市内の[[旭琉会]]・[[座安一家]]の事務所前で、[[座安一家]]組員が背中を拳銃で撃たれ重傷を負う事件が発生。 同日、午前3時頃、那覇市内の[[旭琉会]]・[[丸長一家]]事務所に火炎瓶が投げられる事件が発生。 -同月15日、午後9時頃、那覇市内の那覇ショッピングセンター前の路上で、[[旭琉会]]・[[丸長一家]]組員が乗った車が、後方から来た車から発砲される事件が発生。 -同月18日、午前4時過ぎ、沖縄県北谷町の県道23号線で、信号待ちをしていた[[旭琉会]]・[[大日本維新党]]組員の車に[[沖縄旭琉会]]系組員が拳銃を発砲する事件が発生。 -同月25日、午前0時頃、沖縄市内の路上で[[旭琉会]]・[[丸長一家]]組員の乗った車に、[[沖縄旭琉会]]系組員の運転する車が突入する事件が発生。 同日、午後8時過ぎ、那覇市内の旭琉会・[[丸長一家]]の総長宅横で、車に防弾ガラスを取り付けていた[[丸長一家]]組員が、[[沖縄旭琉会]]系組員に撃たれ負傷する事件が発生。 -同年11月16日、午前3時過ぎ、那覇市内の路上で客待ちをしていた三和交通系列のタクシーに拳銃が発射される事件が発生。 -同月22日、午後6時頃、[[沖縄旭琉会]]系組員が、工事のアルバイト中であった高校生を[[旭琉会]]系組員と間違えて射殺する事件が発生(''高校生射殺事件'')。 -同月23日、午後11時頃、沖縄市内で覆面パトカーに乗った警戒中の私服警察官2名に職務質問された旭琉会・[[錦一家]]組員が、[[沖縄旭琉会]]系組員と勘違いして警察官2名を射殺(''警察官射殺事件'')。事件を目撃した主婦にも発砲して足に重傷を負わせた。 -同月25日、午後11時過ぎ、沖縄県浦添市城間のテナントビル内で、[[旭琉会]]・[[嘉手刈一家]]組員2名が、本土から旭琉会側の支援に入った組員から発砲され死亡する事件が発生。 -1991年(平成3年)8月20日、午前3時30分頃、沖縄市諸見里の[[沖縄旭琉会]]・[[富永一家]]本家事務所内で、当番として警戒にあたっていた組員が、[[旭琉会]]系組員と支援の[[山口組]]系組員に拳銃で撃たれ死亡する事件が発生。 同日、午前5時30分頃、那覇市牧志在の[[旭琉会]]会長・[[翁長良宏]]宅に、2人乗りのオートバイから拳銃3発が撃ち込まれる事件が発生。[[富永一家]]本家事務所内での当番組員射殺事件への報復と目されている。 *** 抗争の終結 -1992年(平成4年)2月、「暴力団対策法」施行直前に両組織から抗争の終結宣言が出されたが、2つの旭琉会が並立、緊張を伴う“冷戦状態”が以後20年余にわたって継続した。 この抗争では高校生1人、警察官2人を含む7人が死亡し、13人の負傷者が出た。 -「暴力団対策法」の施行。四代目[[山口組]]と[[一和会]]の[[山一抗争]]や、この[[第六次沖縄抗争]]を一因としたものであった。 -同年6月、[[旭琉会]]と[[沖縄旭琉会]]が指定暴力団に指定される。 ** 高校生射殺事件 [#u33517b0] -1990年11月22日、フェンスを取り付けるアルバイトをしていた高校生が、三代目[[旭琉会]]組員と間違えられ、[[沖縄旭琉会]]組員に拳銃で射殺された。 実行犯3名はまもなく逮捕されたが、実行を指示した2名は指名手配され、1994年と1995年に逮捕された。実行犯3名については裁判の結果、無期懲役と懲役20年の刑が確定した。 ~ -刑事裁判とは別に、被害者高校生の両親が那覇地方裁判所に、実行犯の[[沖縄旭琉会]]組員3人と、[[沖縄旭琉会]]会長・[[富永清]]、傘下組織の[[島袋一家]]総長・島袋為夫に損害賠償を求める民事訴訟を起こした。 この民事裁判については、実行犯・会長側と被害者側の双方の上告によって最高裁まで争われた。 -2000年12月19日、最高裁第3小法廷(千種秀夫裁判長)で上告審が開かれ、最高裁は会長らの共同不法行為責任を認め、約5750万円の支払いを命じた二審判決を「正当で是認できる。」として支持。双方の上告を棄却し、これによって会長らの敗訴が確定した。 -暴力団抗争の巻き添え死で、暴力団トップの責任を認めた最高裁判決はこれが初となる。 ** 警察官射殺事件 [#k4589294] -1990年11月23日(高校生射殺事件の翌日)、覆面パトカーに乗った警戒中の私服警察官2名が、三代目[[旭琉会]]系[[錦一家]]幹部と同組員に職務質問しようとしたところ、敵対する[[沖縄旭琉会]]組員と勘違いし拳銃で射殺した。 警察官2名は至近距離からそれぞれ3発と1発の銃弾を受けてほぼ即死であった。 [[錦一家]]幹部と同組員は、事件を目撃した主婦を追い払おうとしたところ、誤って拳銃の引き金を引き、主婦に重傷を負わせた。 ~ -[[錦一家]]組員は事件の翌日に逮捕され、裁判で無期懲役(求刑死刑)の判決が下され服役。 -[[錦一家]]幹部は、指名手配されたものの行方は分かっておらず、死亡説もささやかれていたが、1999年10月まで山口県下関市に潜伏していたことが判明、幹部を匿った人物が犯人蔵匿で逮捕された。 -2000年10月頃、指名手配中の[[錦一家]]幹部が京都府内の病院を受診、脊髄に癌が転移して自力歩行が困難な状態であったことが判明。当時の症状より既に沖縄県外で死亡している可能性が高いと見られる ~ -この事件で射殺された警察官2人の遺族ら10人が、実行犯の組員と使用者にあたる[[旭琉会]]最高幹部ら4人に対し、約4億4000万円の慰謝料などを求める民事訴訟を起こした。 -第一審判決で那覇地裁沖縄支部は、被告側に3億2000万円の支払いを命ずるを言い渡した。 -その後、福岡高裁那覇支部の控訴審判決で、金額は減額されたものの約1億3800万円の支払いが再び命ぜられた。 この控訴審判決で確定し、賠償金については2007年12月までに全額完済された。 ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~
タイムスタンプを変更しない
* 第六次沖縄抗争 [#gb8fb8d1] ''第六次沖縄抗争''(だい6じおきなわこうそう)は、1990年から1992年にかけて沖縄県で起きた、三代目[[旭琉会]]の分裂による[[旭琉会]]と[[沖縄旭琉会]]の抗争事件。 ** 概要 [#l3341068] -1983年5月、[[旭琉会]]は内部抗争が原因で1982年10月に殺害された二代目会長・多和田真山の後を受け、[[翁長良宏]]が三代目会長に就任し、三代目[[旭琉会]]が発足。 三代目[[旭琉会]]は、会長・[[翁長良宏]]と、理事長・[[富永清]]の組織体制で運営され、その後7年間は平和が保たれていた。 -1990年(平成2年)3月24日、那覇空港において五代目[[山口組]]組長・[[渡辺芳則]]が、沖縄県警に入県を阻止された事件の対応策を巡り、会長・[[翁長良宏]]派と、理事長・[[富永清]]派との間で対立が表面化。 -同年5月、総長会において[[翁長良宏]]が、[[山口組]]と五分の親戚付き合いをするという意向を示したのに対し、[[辻一家]]総長・[[泉操]]が反発したため、[[翁長良宏]]の独断で[[泉操]]を絶縁処分とした。 *** 抗争の要因 -[[富永一家]]組員が、[[旭琉会]]会長付の幹部に対して拳銃を向けるトラブルが発生。 このトラブルで、同幹部が所属する[[大城一家]]総長・[[大城孝章]]が適切な対応を取らなかったことを[[翁長良宏]]が怒ったが、その件を[[大城孝章]]の依頼で[[富永清]]が[[翁長良宏]]に意見したことから、翁長派、富永派への分裂動向が色濃くなっていった。 このトラブルでは、双方共に拳銃発砲等の抗争事件は発生しなかったが、那覇市牧志の[[旭琉会]]会長・[[翁長良宏]]宅、沖縄市諸見里の理事長・[[富永清]]宅には多くの組員が集結し、組事務所には窓に鉄板を張り巡らすなどの措置が講じられた。 -同月8日、[[大城一家]]の組事務所から拳銃が押収された。 -同年7月20日、内紛時に主流派から反主流派に寝返った[[丸長一家]]・[[巴組]]幹部・[[与那満]]が拳銃所持で逮捕された。押収された拳銃は実弾が装填されたままですぐに発射できる状態であった。 -同年9月13日、主流派の[[丸長一家]]から反主流派の[[富永一家]]に寝返った[[巴組]]組長・[[金城宏]]と組員らは、[[丸長一家]]総長・[[仲程光男]]を殺害を企て、那覇市西2丁目の光国産業へ押し掛けたが[[仲程光男]]が不在であったため、[[丸長一家]]幹部・[[仲程盛昌]]([[仲程光男]]の実弟)に対し、至近距離から拳銃を発射する殺人未遂事件が発生した。 沖縄県内で拳銃が使用された事件は、1988年(昭和63年)10月の琉球銀行屋慶名支店での拳銃使用強盗事件以来約2年ぶり、暴力団同士の事件では1987年(昭和62年)6月の沖縄市胡屋在のパブラウンジ・スペインでの発砲事件以来、約3年3か月ぶりだった。 -この殺人未遂事件で主流派は、反主流派に寝返った組員による組織的な犯行で、反主流派からの宣戦布告と断定した。 しかし反主流派は、この事件はあくまでも発砲事件を起こした[[金城宏]]と[[仲程光男]]との個人的な遺恨であるとして宣戦布告を否定し、事件当日に組織参与らを通じて会長・[[翁長良宏]]への理解を求めようと働きかけたり、手術のため本土で入院していた理事長・[[富永清]]自身が、電話でこの事件を[[翁長良宏]]に説明しようとしたが、[[翁長良宏]]は「本件は反主流派の組織的犯行である」と決め付け、弁解を拒絶。 同年9月19日を期限に「[[富永清]]は堅気になるか、引退するかのどちらかをとれ」と迫った。 -9月17日、主流派はその回答を得ることなく[[富永清]]と[[富永一家]]若頭・[[上江洲丈二]]、殺人未遂事件の実行者・[[金城宏]]の3人を絶縁処分とした。 これに対し[[富永一家]]を中心とする反主流派は、三代目[[旭琉会]]に対し9月19日付けで10名の総長連名の脱会書を提出。脱会した[[富永清]]らは新組織「[[沖縄旭琉会]]」の結成を宣言した。 これにより、三代目[[旭琉会]]と[[沖縄旭琉会]]は分裂抗争に突入した。 *** 抗争に突入 -1990年(平成2年)9月21日、午前10時20分頃、沖縄県那覇市東町で三代目[[旭琉会]]・[[丸長一家]]・[[沖島組]]組員3名が、[[沖縄旭琉会]]久茂地支部事務所を車で偵察中、同事務所から出て来た数名の組員に襲撃されたうえ車で追跡され、拳銃で発砲される事件が発生。 -同日、午後9時20分頃、[[沖縄旭琉会]]組員による犯行と思われる、[[旭琉会]]・[[座安一家]]本家事務所への拳銃発砲事件が発生。 -同日、午後9時45分頃、沖縄県沖縄市照屋3丁目にある味処「とんきん」前で[[旭琉会]]組員による犯行と思われる、[[沖縄旭琉会]]・[[大城一家]]組員・[[大城淳]]への拳銃を使用した殺人未遂事件が発生。 -同日、午後10時45分頃、同じく[[旭琉会]]組員による犯行と思われる、[[沖縄旭琉会]]・[[上里一家]]本家事務所への拳銃発砲事件が発生。 -同月22日、深夜から23日早朝にかけて、[[沖縄旭琉会]]組員による犯行と思われる、沖縄市照屋3丁目の[[座安一家]]本家事務所に拳銃を発砲する事件が発生。 [[沖縄旭琉会]]組員による犯行と思われる、沖縄市松本2丁目の[[旭琉会]]・[[錦志一家]]内誉会事務所への発砲事件が発生。 [[旭琉会]]組員による犯行と思われる、沖縄市上地292番地の[[沖縄旭琉会]]・[[富永一家]]中の町支部事務所への発砲事件が発生。 [[旭琉会]]組員による犯行と思われる、沖縄市中央1丁目の[[沖縄旭琉会]]・[[上里一家]]本家事務所への発砲事件が発生するなど、4件の発砲事件が続発した。 -同月30日、午後5時過ぎ、[[旭琉会]]組員が、那覇市辻の[[沖縄旭琉会]]・[[照屋一家]]事務所に火炎瓶を投げ込んだうえ、拳銃を発砲する事件が発生。 -同年10月3日、午前4時頃、沖縄県宜野湾市真栄原新町の飲食街近くの路上で、対立する組員らを偵察にきた[[沖縄旭琉会]]・[[島袋一家]]組員が射殺される事件が発生。 -同日、東京行きの全日空機に爆発物を持ち込んだとして、[[旭琉会]]・[[丸良一家]]組員が逮捕される事件が発生。 同組員は、本土から爆発物を[[沖縄旭琉会]]側に郵送する目的で旅客機に爆発物を持ち込んでいた。 -同月5日、午後11時頃、[[旭琉会]]・[[丸良一家]]総長宅のあるビルに、[[沖縄旭琉会]]組員が拳銃を乱射する事件が発生。 同時刻頃、[[旭琉会]]側の経営するサウナに、[[沖縄旭琉会]]組員が拳銃を発射する事件が発生。 -同月6日、[[旭琉会]]・[[丸良一家]]組員が、総長宅前で不審車両を発見して車2台で追跡し、午前5時過ぎに不審車両を挟み撃ちにしたが、不審車両から拳銃を発射され見失う事件が発生。 -同月7日、午前5時頃、沖縄県石川市(現在のうるま市)内において、[[沖縄旭琉会]]・[[伊波一家]]事務所に拳銃が発射される事件が発生。 -同月8日、午前9時頃、沖縄県具志川市(現在のうるま市)内の商工会議所前の路上で、[[旭琉会]]・[[錦志一家]]組員が[[沖縄旭琉会]]組員に拳銃で撃たれ重傷を負う事件が発生。 -同月9日、午前4時過ぎ、那覇市内の桜坂中通りにある[[沖縄旭琉会]]・[[島袋一家]]の組員が、腹部を拳銃で撃たれ重傷を負う事件が発生。 同日、午後5時過ぎ、具志川市内の[[旭琉会]]側が経営する事務所に、[[沖縄旭琉会]]・[[富永一家]]組員が乗り込み、[[旭琉会]]・[[錦志一家]]組員を拉致する事件が発生。 -同月10日、午後3時過ぎ、沖縄市内の[[沖縄旭琉会]]・[[富永一家]]事務所に、[[旭琉会]]組員が車で乗りつけ拳銃を発射する事件が発生。 同時刻頃、[[沖縄旭琉会]]・[[富永一家]]組員の運転する車に、オートバイから拳銃が発射される事件が発生。 -同月11日、午前4時頃、那覇市内の[[沖縄旭琉会]]・[[金城一家]]の事務所に4tトラックが突っ込む事件が発生。 -同月12日、午前6時頃、那覇市内の[[沖縄旭琉会]]・[[照屋一家]]事務所入口に立っていた組員が、オートバイで乗り付けた[[旭琉会]]組員に撃たれ死亡する事件が発生。 同日、午前5時過ぎ、沖縄県名護市内で、[[沖縄旭琉会]]系事務所に突っ込む目的で駐車中の大型トレーラーを盗んだ[[旭琉会]]組員が逮捕される事件が発生。 -同月13日、午前0時頃、沖縄市内の[[旭琉会]]・[[座安一家]]の事務所前で、[[座安一家]]組員が背中を拳銃で撃たれ重傷を負う事件が発生。 同日、午前3時頃、那覇市内の[[旭琉会]]・[[丸長一家]]事務所に火炎瓶が投げられる事件が発生。 -同月15日、午後9時頃、那覇市内の那覇ショッピングセンター前の路上で、[[旭琉会]]・[[丸長一家]]組員が乗った車が、後方から来た車から発砲される事件が発生。 -同月18日、午前4時過ぎ、沖縄県北谷町の県道23号線で、信号待ちをしていた[[旭琉会]]・[[大日本維新党]]組員の車に[[沖縄旭琉会]]系組員が拳銃を発砲する事件が発生。 -同月25日、午前0時頃、沖縄市内の路上で[[旭琉会]]・[[丸長一家]]組員の乗った車に、[[沖縄旭琉会]]系組員の運転する車が突入する事件が発生。 同日、午後8時過ぎ、那覇市内の旭琉会・[[丸長一家]]の総長宅横で、車に防弾ガラスを取り付けていた[[丸長一家]]組員が、[[沖縄旭琉会]]系組員に撃たれ負傷する事件が発生。 -同年11月16日、午前3時過ぎ、那覇市内の路上で客待ちをしていた三和交通系列のタクシーに拳銃が発射される事件が発生。 -同月22日、午後6時頃、[[沖縄旭琉会]]系組員が、工事のアルバイト中であった高校生を[[旭琉会]]系組員と間違えて射殺する事件が発生(''高校生射殺事件'')。 -同月23日、午後11時頃、沖縄市内で覆面パトカーに乗った警戒中の私服警察官2名に職務質問された旭琉会・[[錦一家]]組員が、[[沖縄旭琉会]]系組員と勘違いして警察官2名を射殺(''警察官射殺事件'')。事件を目撃した主婦にも発砲して足に重傷を負わせた。 -同月25日、午後11時過ぎ、沖縄県浦添市城間のテナントビル内で、[[旭琉会]]・[[嘉手刈一家]]組員2名が、本土から旭琉会側の支援に入った組員から発砲され死亡する事件が発生。 -1991年(平成3年)8月20日、午前3時30分頃、沖縄市諸見里の[[沖縄旭琉会]]・[[富永一家]]本家事務所内で、当番として警戒にあたっていた組員が、[[旭琉会]]系組員と支援の[[山口組]]系組員に拳銃で撃たれ死亡する事件が発生。 同日、午前5時30分頃、那覇市牧志在の[[旭琉会]]会長・[[翁長良宏]]宅に、2人乗りのオートバイから拳銃3発が撃ち込まれる事件が発生。[[富永一家]]本家事務所内での当番組員射殺事件への報復と目されている。 *** 抗争の終結 -1992年(平成4年)2月、「暴力団対策法」施行直前に両組織から抗争の終結宣言が出されたが、2つの旭琉会が並立、緊張を伴う“冷戦状態”が以後20年余にわたって継続した。 この抗争では高校生1人、警察官2人を含む7人が死亡し、13人の負傷者が出た。 -「暴力団対策法」の施行。四代目[[山口組]]と[[一和会]]の[[山一抗争]]や、この[[第六次沖縄抗争]]を一因としたものであった。 -同年6月、[[旭琉会]]と[[沖縄旭琉会]]が指定暴力団に指定される。 ** 高校生射殺事件 [#u33517b0] -1990年11月22日、フェンスを取り付けるアルバイトをしていた高校生が、三代目[[旭琉会]]組員と間違えられ、[[沖縄旭琉会]]組員に拳銃で射殺された。 実行犯3名はまもなく逮捕されたが、実行を指示した2名は指名手配され、1994年と1995年に逮捕された。実行犯3名については裁判の結果、無期懲役と懲役20年の刑が確定した。 ~ -刑事裁判とは別に、被害者高校生の両親が那覇地方裁判所に、実行犯の[[沖縄旭琉会]]組員3人と、[[沖縄旭琉会]]会長・[[富永清]]、傘下組織の[[島袋一家]]総長・島袋為夫に損害賠償を求める民事訴訟を起こした。 この民事裁判については、実行犯・会長側と被害者側の双方の上告によって最高裁まで争われた。 -2000年12月19日、最高裁第3小法廷(千種秀夫裁判長)で上告審が開かれ、最高裁は会長らの共同不法行為責任を認め、約5750万円の支払いを命じた二審判決を「正当で是認できる。」として支持。双方の上告を棄却し、これによって会長らの敗訴が確定した。 -暴力団抗争の巻き添え死で、暴力団トップの責任を認めた最高裁判決はこれが初となる。 ** 警察官射殺事件 [#k4589294] -1990年11月23日(高校生射殺事件の翌日)、覆面パトカーに乗った警戒中の私服警察官2名が、三代目[[旭琉会]]系[[錦一家]]幹部と同組員に職務質問しようとしたところ、敵対する[[沖縄旭琉会]]組員と勘違いし拳銃で射殺した。 警察官2名は至近距離からそれぞれ3発と1発の銃弾を受けてほぼ即死であった。 [[錦一家]]幹部と同組員は、事件を目撃した主婦を追い払おうとしたところ、誤って拳銃の引き金を引き、主婦に重傷を負わせた。 ~ -[[錦一家]]組員は事件の翌日に逮捕され、裁判で無期懲役(求刑死刑)の判決が下され服役。 -[[錦一家]]幹部は、指名手配されたものの行方は分かっておらず、死亡説もささやかれていたが、1999年10月まで山口県下関市に潜伏していたことが判明、幹部を匿った人物が犯人蔵匿で逮捕された。 -2000年10月頃、指名手配中の[[錦一家]]幹部が京都府内の病院を受診、脊髄に癌が転移して自力歩行が困難な状態であったことが判明。当時の症状より既に沖縄県外で死亡している可能性が高いと見られる ~ -この事件で射殺された警察官2人の遺族ら10人が、実行犯の組員と使用者にあたる[[旭琉会]]最高幹部ら4人に対し、約4億4000万円の慰謝料などを求める民事訴訟を起こした。 -第一審判決で那覇地裁沖縄支部は、被告側に3億2000万円の支払いを命ずるを言い渡した。 -その後、福岡高裁那覇支部の控訴審判決で、金額は減額されたものの約1億3800万円の支払いが再び命ぜられた。 この控訴審判決で確定し、賠償金については2007年12月までに全額完済された。 ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~
テキスト整形のルールを表示する