平井一家
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* 平井一家 [#i8699693] ''十一代目平井一家''(ひらいいっか)は[[愛知県豊橋市仁連木町152-3:https://maps.app.goo.gl/dZZer3misgigPQQL7]]に本部を置き、愛知県豊橋市仁連木町152-4に本家を置く暴力団で、指定暴力団・六代目[[山口組]]の二次団体。 #ref(山口組/山口組.jpg,right,nowrap,画像) ** 主な施設 [#t423c8dc] -旧本家・[[愛知県豊橋市上地町110:https://maps.app.goo.gl/csh9k4iQu9J7W6CQA]](売却済) -本部・[[愛知県豊橋市仁連木町152-3:https://maps.app.goo.gl/dZZer3misgigPQQL7]] -本家・愛知県豊橋市仁連木町152-4 -関連施設・愛知県豊橋市西口町西ノ口8-5 ** 略歴 [#s5992e9f] *** 発足から山口組加入まで [#ee8f0889] #ac(h,alt){{ -幕末の頃、博徒・[[小中山七五三蔵]]が三河国宝飯郡平井村に''平井一家''を成す。 -元力士の雲風亀吉こと[[平井亀吉]]が[[小中山七五三蔵]]の子分となり跡目を継ぐ。 -東海道の吉田宿(現在の豊橋市)、御油宿(現在の豊川市御油町)、赤坂宿(現在の豊川市赤坂町)といった宿場を中心に渥美郡、宝飯郡、八名郡を主な縄張りとした。 -[[平井亀吉]]は甲斐国八代郡上黒駒村(現在の山梨県笛吹市御坂町上黒駒)の博徒・[[黒駒勝蔵]]と兄弟分となり、勝蔵が駿河国有渡郡清水町の[[清水次郎長]]([[清水一家]]初代)と対立していたため亀吉も次郎長と何度も争った。 -1866年(慶応2年)、伊勢国河曲郡神戸町(現在の三重県鈴鹿市神戸付近)の[[神戸長吉]]([[伊勢神戸一家]]初代)と伊勢国員弁郡穴太村(現在の三重県員弁郡東員町穴太付近)の[[穴太徳次郎]]([[神戸屋一家]]初代)が争った[[荒神山の喧嘩]]では徳次郎側に加勢した。 -亀吉は全国に侠名を馳せ各地に多数の兄弟分がいた。また、伊豆国、甲斐国、相模国、武蔵国に子分3,000人を抱えた大親分[[大場久八]]([[大場一家]]初代)の舎弟でもあった。 -1868年(慶応4年)、亀吉は戊辰戦争(北越戦争)に従軍した後、士族に登用された。ともに従軍した博徒に尾張国愛知郡北熊村(現在の長久手市北熊)出身で東春日井郡水野村(現在の瀬戸市水野地域)の吉五郎一家の跡目[[北熊實左衛門]](後の[[北熊一家]]初代)がいた。 -明治維新後、平民に戻された亀吉は名古屋に移り住んだ。 -亀吉が名古屋にいる間、一家は亀吉の末弟善六が預かっていたが、縄張りは他の一家に荒らされ、善六は次郎長につながる[[形原斧八]]の刺客に殺害された。 -亀吉の次弟[[下地常吉]](後の平井一家二代目)が流罪から戻り[[形原一家]]へ報復し一家を再興した。 -常吉が亀吉の跡目を継ぐが、以降も亀吉は平井一家に影響力を持っていた。 -平井一家と[[清水一家]]は、信濃国下高井郡中野村(現在の長野県中野市)の[[間ノ川一家]](間川又五郎一家、相川一家)の二代目・[[相川平三>間ノ川平蔵]]、浜松の[[斉藤善五郎]](後の[[国領屋一力一家>一力一家]]初代)、名古屋の[[津坂音吉]]の仲裁で和解した。 -以来、三代目・清水善吉、四代目・富安伊作、五代目・小川浅蔵、六代目・久保田文一、七代目・[[判冶玉吉]]と継承された。 -[[河澄政照]]が八代目を継承。 後に[[河澄政照]]は全国に名の通る大親分として多数の抗争の仲裁を行った。 *** 愛豊同志会を結成 -1967年(昭和42年)頃、八代目・[[河澄政照]]は平井一家を中心に地元豊橋や近隣東三河の団体を結集し''[[愛豊同志会>政心同志会]]''を結成した。 [[三虎一家]]や[[虎屋一家>虎屋組]]([[寅屋一家>虎屋組]])、[[三州熊屋>熊屋]]などの[[的屋]]も参画した。 *** 運命共同会を結成 -1979年(昭和54年)4月、当時勢力を延ばしていた三代目[[山口組]]・[[弘田組>弘道会]]に対抗し、[[愛豊同志会>政心同志会]]、[[中京浅野会>浅野会(弘道会)]]、[[鉄心会]]と共に''[[運命共同会]]''を結成、[[河澄政照]]が代表に就いた。 -1983年(昭和58年)7月26日、[[中京浅野会>浅野会(弘道会)]]と[[瀬戸一家]]の抗争のもつれから[[河澄政照]]が射殺された。 -[[愛豊同志会>政心同志会]]は[[政心同志会]]に改称し、会長には[[虎屋一家>虎屋組]]([[寅屋一家>虎屋組]])の[[藤川卓史>藤川卓樹]]のち平井一家九代目総裁)が就任した。 *** 中京五社会を結成 -1986年(昭和61年)、[[運命共同会]]、[[稲葉地一家]]、[[平野家一家]]、[[導友会]]、[[瀬戸一家]]が、反[[山口組]]同盟として親睦団体・''[[中京五社会]]''を結成。 -1991年、[[運命共同会]]傘下・[[鉄心会]]の一部組員が[[弘道会]]への移籍を求め、運命共同会は移籍を求めた鉄心会組員約60名を破門した。 -同年1月、[[鉄心会]]の一部組員を破門にしたことから[[名古屋抗争]]が勃発。 -同年2月12日、[[弘道会]]と[[運命共同会]]は和解。 -[[政心同志会]]の[[岸上剛史]]は十代目[[平井一家]]総裁として五代目[[山口組]]に加入し直参となった。 また[[藤川卓樹]]は[[稲川会]]・[[藤川組]]として直参となった。 それに伴い[[運命共同会]]は瓦解。また[[中京五社会]]も瓦解した。 -2009年、[[岸上剛史]]が死去。 }} *** 十一代目略歴 [#u7a3b27c] #ac(h,open){{ -同年、[[薄葉政嘉]]が十一代目を継承し、六代目[[山口組]]若中に昇格。 -2014年11月、六代目[[山口組]]幹部・組長付に昇格。 -2019年10月、六代目[[山口組]]若頭補佐に昇格。 -2022年6月、平井一家傘下組員が関与した新型コロナ対策の給付金詐欺事件の証拠を隠したとして、[[薄葉政嘉]]と本部長の「九代目[[玉屋組]]」組長・[[原譲一]]が証拠隠滅容疑で逮捕された。 -同年9月、実際は自分専用で使う防弾仕様の車を傘下組員名義で登録し、車検を通したなどとして、[[薄葉政嘉]]ら3人が電磁的公正証書原本不実記録などの疑いで逮捕された。 -同月、コロナ禍で売り上げが減少している愛知県内の6つの露天商組合から「みかじめ料」としてあわせて現金115万円を脅し取ったとして、[[薄葉政嘉]]ら6人が恐喝容疑などで逮捕された。 -同年10月、コロナ禍でイベントが少なくなり、露天商からの「みかじめ料」が減ったことから、露天商組合が持つ事務所と土地を売却させ、その売却金500万円を脅し取ったとして、[[薄葉政嘉]]ら3人が恐喝の疑いで逮捕された。 -2023年7月、2019年8月、千葉県浦安市にある暴力団員の宿泊を拒否している隣接のホテルで、宿泊代金1室約20万円の部屋に宿泊したとして、[[薄葉政嘉]]ら3人が詐欺の疑いで逮捕された。 -同年11月21日、愛知県豊橋市などを拠点とする露天商で構成される「愛知県東部街商協同組合」が、総裁・[[薄葉政嘉]]に対し、2019年以降に支払った「みかじめ料」の2020万6000円の返還を求める損害賠償請求訴訟を起こした。 -2024年1月27日、平井一家の危機的状況の中、[[薄葉政嘉]]は女性と東京ディズニーランドで遊覧し、ホテルに宿泊して逮捕され、また、[[山口組]]東海ブロックの会費使い込みなどにより、六代目[[山口組]]若頭補佐から幹部に降格され、東海ブロック長も解任された。埋め合わせたのは五分の兄弟分の三代目[[弘道会]]会長の[[竹内照明]]と言われている。 -同年3月、十一代目[[平井一家]]内部で頻発する金銭トラブルや、運営費などの使い込みなど組織運営の方針転換を強制されたことにより、多数の最高幹部・若中・傘下組員などが音信不通となり、一部の幹部は断指して脱退し、これらの者は除籍や絶縁とされた。 脱退した組織は、十一代目[[虎屋組]]、五代目[[松本組>松本組(愛知県)]]、八代目[[三虎組>三虎組(愛知県)]]、九代目[[玉屋組]]、二代目[[政統会]]で、いずれも絶縁。 }} ** 平井一家系譜[#ec9f7876] 祖 - [[小中山七五三蔵]] 初 代 - [[平井亀吉]] 二代目 - [[下地常吉]] 三代目 - [[清水善吉]] 四代目 - [[富安伊作]]([[下五井>平井一家下五井]]二代目) 五代目 - [[小川浅蔵]]([[小中山七五三蔵]]実子) 六代目 - [[久保田文一]] 七代目 - [[判冶玉吉]] 八代目 - [[河澄政照]]([[運命共同会]]代表) 九代目 - [[藤川卓樹]]([[稲川会]]直参) 十代目 - [[岸上剛史]](六代目[[山口組]]幹部・組長付) 十一代目 - [[薄葉政嘉]] ** 十一代目平井一家組織図 [#cf819b6b] ***総裁 [#aa595ef1] [[薄葉政嘉]](六代目[[山口組]]幹部) ***最高幹部 [#u6ab41ba] 若 頭 - [[西村寛童]](十六代目[[金瓶楼一家]]総長) 舎弟頭 - [[豊田康志]] ([[豊田組]]組長) 本部長 - [[北 憲児>北憲児]]([[北興業]]組長) 若頭補佐・慶弔委員長 - [[林 結城>林結城]](九代目[[三虎組>三虎組(平井一家)]]組長) 若頭補佐・関東責任者 - [[宮城正樹]]([[浅草宮城組]]会長) 若頭補佐 - [[大場圭一]]([[大場総業]]会長) ***舎弟 [#wf89c736] [[井上 勲>井上勲]](十代目[[玉屋組]]組長) ***幹部 [#a786c728] 事務局長 - [[西村智弘]](十六代目[[金瓶楼一家]]総長代行) 本部責任者・関西責任者 - [[中村好博]]([[北興業]]若頭) ***直参待遇 [#d339fa73] [[結城慎也]]([[北興業]]若頭補佐) ***幹事 [#g79d5de8] [[花岡愛次]] ([[北興業]]組長秘書) ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~
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* 平井一家 [#i8699693] ''十一代目平井一家''(ひらいいっか)は[[愛知県豊橋市仁連木町152-3:https://maps.app.goo.gl/dZZer3misgigPQQL7]]に本部を置き、愛知県豊橋市仁連木町152-4に本家を置く暴力団で、指定暴力団・六代目[[山口組]]の二次団体。 #ref(山口組/山口組.jpg,right,nowrap,画像) ** 主な施設 [#t423c8dc] -旧本家・[[愛知県豊橋市上地町110:https://maps.app.goo.gl/csh9k4iQu9J7W6CQA]](売却済) -本部・[[愛知県豊橋市仁連木町152-3:https://maps.app.goo.gl/dZZer3misgigPQQL7]] -本家・愛知県豊橋市仁連木町152-4 -関連施設・愛知県豊橋市西口町西ノ口8-5 ** 略歴 [#s5992e9f] *** 発足から山口組加入まで [#ee8f0889] #ac(h,alt){{ -幕末の頃、博徒・[[小中山七五三蔵]]が三河国宝飯郡平井村に''平井一家''を成す。 -元力士の雲風亀吉こと[[平井亀吉]]が[[小中山七五三蔵]]の子分となり跡目を継ぐ。 -東海道の吉田宿(現在の豊橋市)、御油宿(現在の豊川市御油町)、赤坂宿(現在の豊川市赤坂町)といった宿場を中心に渥美郡、宝飯郡、八名郡を主な縄張りとした。 -[[平井亀吉]]は甲斐国八代郡上黒駒村(現在の山梨県笛吹市御坂町上黒駒)の博徒・[[黒駒勝蔵]]と兄弟分となり、勝蔵が駿河国有渡郡清水町の[[清水次郎長]]([[清水一家]]初代)と対立していたため亀吉も次郎長と何度も争った。 -1866年(慶応2年)、伊勢国河曲郡神戸町(現在の三重県鈴鹿市神戸付近)の[[神戸長吉]]([[伊勢神戸一家]]初代)と伊勢国員弁郡穴太村(現在の三重県員弁郡東員町穴太付近)の[[穴太徳次郎]]([[神戸屋一家]]初代)が争った[[荒神山の喧嘩]]では徳次郎側に加勢した。 -亀吉は全国に侠名を馳せ各地に多数の兄弟分がいた。また、伊豆国、甲斐国、相模国、武蔵国に子分3,000人を抱えた大親分[[大場久八]]([[大場一家]]初代)の舎弟でもあった。 -1868年(慶応4年)、亀吉は戊辰戦争(北越戦争)に従軍した後、士族に登用された。ともに従軍した博徒に尾張国愛知郡北熊村(現在の長久手市北熊)出身で東春日井郡水野村(現在の瀬戸市水野地域)の吉五郎一家の跡目[[北熊實左衛門]](後の[[北熊一家]]初代)がいた。 -明治維新後、平民に戻された亀吉は名古屋に移り住んだ。 -亀吉が名古屋にいる間、一家は亀吉の末弟善六が預かっていたが、縄張りは他の一家に荒らされ、善六は次郎長につながる[[形原斧八]]の刺客に殺害された。 -亀吉の次弟[[下地常吉]](後の平井一家二代目)が流罪から戻り[[形原一家]]へ報復し一家を再興した。 -常吉が亀吉の跡目を継ぐが、以降も亀吉は平井一家に影響力を持っていた。 -平井一家と[[清水一家]]は、信濃国下高井郡中野村(現在の長野県中野市)の[[間ノ川一家]](間川又五郎一家、相川一家)の二代目・[[相川平三>間ノ川平蔵]]、浜松の[[斉藤善五郎]](後の[[国領屋一力一家>一力一家]]初代)、名古屋の[[津坂音吉]]の仲裁で和解した。 -以来、三代目・清水善吉、四代目・富安伊作、五代目・小川浅蔵、六代目・久保田文一、七代目・[[判冶玉吉]]と継承された。 -[[河澄政照]]が八代目を継承。 後に[[河澄政照]]は全国に名の通る大親分として多数の抗争の仲裁を行った。 *** 愛豊同志会を結成 -1967年(昭和42年)頃、八代目・[[河澄政照]]は平井一家を中心に地元豊橋や近隣東三河の団体を結集し''[[愛豊同志会>政心同志会]]''を結成した。 [[三虎一家]]や[[虎屋一家>虎屋組]]([[寅屋一家>虎屋組]])、[[三州熊屋>熊屋]]などの[[的屋]]も参画した。 *** 運命共同会を結成 -1979年(昭和54年)4月、当時勢力を延ばしていた三代目[[山口組]]・[[弘田組>弘道会]]に対抗し、[[愛豊同志会>政心同志会]]、[[中京浅野会>浅野会(弘道会)]]、[[鉄心会]]と共に''[[運命共同会]]''を結成、[[河澄政照]]が代表に就いた。 -1983年(昭和58年)7月26日、[[中京浅野会>浅野会(弘道会)]]と[[瀬戸一家]]の抗争のもつれから[[河澄政照]]が射殺された。 -[[愛豊同志会>政心同志会]]は[[政心同志会]]に改称し、会長には[[虎屋一家>虎屋組]]([[寅屋一家>虎屋組]])の[[藤川卓史>藤川卓樹]]のち平井一家九代目総裁)が就任した。 *** 中京五社会を結成 -1986年(昭和61年)、[[運命共同会]]、[[稲葉地一家]]、[[平野家一家]]、[[導友会]]、[[瀬戸一家]]が、反[[山口組]]同盟として親睦団体・''[[中京五社会]]''を結成。 -1991年、[[運命共同会]]傘下・[[鉄心会]]の一部組員が[[弘道会]]への移籍を求め、運命共同会は移籍を求めた鉄心会組員約60名を破門した。 -同年1月、[[鉄心会]]の一部組員を破門にしたことから[[名古屋抗争]]が勃発。 -同年2月12日、[[弘道会]]と[[運命共同会]]は和解。 -[[政心同志会]]の[[岸上剛史]]は十代目[[平井一家]]総裁として五代目[[山口組]]に加入し直参となった。 また[[藤川卓樹]]は[[稲川会]]・[[藤川組]]として直参となった。 それに伴い[[運命共同会]]は瓦解。また[[中京五社会]]も瓦解した。 -2009年、[[岸上剛史]]が死去。 }} *** 十一代目略歴 [#u7a3b27c] #ac(h,open){{ -同年、[[薄葉政嘉]]が十一代目を継承し、六代目[[山口組]]若中に昇格。 -2014年11月、六代目[[山口組]]幹部・組長付に昇格。 -2019年10月、六代目[[山口組]]若頭補佐に昇格。 -2022年6月、平井一家傘下組員が関与した新型コロナ対策の給付金詐欺事件の証拠を隠したとして、[[薄葉政嘉]]と本部長の「九代目[[玉屋組]]」組長・[[原譲一]]が証拠隠滅容疑で逮捕された。 -同年9月、実際は自分専用で使う防弾仕様の車を傘下組員名義で登録し、車検を通したなどとして、[[薄葉政嘉]]ら3人が電磁的公正証書原本不実記録などの疑いで逮捕された。 -同月、コロナ禍で売り上げが減少している愛知県内の6つの露天商組合から「みかじめ料」としてあわせて現金115万円を脅し取ったとして、[[薄葉政嘉]]ら6人が恐喝容疑などで逮捕された。 -同年10月、コロナ禍でイベントが少なくなり、露天商からの「みかじめ料」が減ったことから、露天商組合が持つ事務所と土地を売却させ、その売却金500万円を脅し取ったとして、[[薄葉政嘉]]ら3人が恐喝の疑いで逮捕された。 -2023年7月、2019年8月、千葉県浦安市にある暴力団員の宿泊を拒否している隣接のホテルで、宿泊代金1室約20万円の部屋に宿泊したとして、[[薄葉政嘉]]ら3人が詐欺の疑いで逮捕された。 -同年11月21日、愛知県豊橋市などを拠点とする露天商で構成される「愛知県東部街商協同組合」が、総裁・[[薄葉政嘉]]に対し、2019年以降に支払った「みかじめ料」の2020万6000円の返還を求める損害賠償請求訴訟を起こした。 -2024年1月27日、平井一家の危機的状況の中、[[薄葉政嘉]]は女性と東京ディズニーランドで遊覧し、ホテルに宿泊して逮捕され、また、[[山口組]]東海ブロックの会費使い込みなどにより、六代目[[山口組]]若頭補佐から幹部に降格され、東海ブロック長も解任された。埋め合わせたのは五分の兄弟分の三代目[[弘道会]]会長の[[竹内照明]]と言われている。 -同年3月、十一代目[[平井一家]]内部で頻発する金銭トラブルや、運営費などの使い込みなど組織運営の方針転換を強制されたことにより、多数の最高幹部・若中・傘下組員などが音信不通となり、一部の幹部は断指して脱退し、これらの者は除籍や絶縁とされた。 脱退した組織は、十一代目[[虎屋組]]、五代目[[松本組>松本組(愛知県)]]、八代目[[三虎組>三虎組(愛知県)]]、九代目[[玉屋組]]、二代目[[政統会]]で、いずれも絶縁。 }} ** 平井一家系譜[#ec9f7876] 祖 - [[小中山七五三蔵]] 初 代 - [[平井亀吉]] 二代目 - [[下地常吉]] 三代目 - [[清水善吉]] 四代目 - [[富安伊作]]([[下五井>平井一家下五井]]二代目) 五代目 - [[小川浅蔵]]([[小中山七五三蔵]]実子) 六代目 - [[久保田文一]] 七代目 - [[判冶玉吉]] 八代目 - [[河澄政照]]([[運命共同会]]代表) 九代目 - [[藤川卓樹]]([[稲川会]]直参) 十代目 - [[岸上剛史]](六代目[[山口組]]幹部・組長付) 十一代目 - [[薄葉政嘉]] ** 十一代目平井一家組織図 [#cf819b6b] ***総裁 [#aa595ef1] [[薄葉政嘉]](六代目[[山口組]]幹部) ***最高幹部 [#u6ab41ba] 若 頭 - [[西村寛童]](十六代目[[金瓶楼一家]]総長) 舎弟頭 - [[豊田康志]] ([[豊田組]]組長) 本部長 - [[北 憲児>北憲児]]([[北興業]]組長) 若頭補佐・慶弔委員長 - [[林 結城>林結城]](九代目[[三虎組>三虎組(平井一家)]]組長) 若頭補佐・関東責任者 - [[宮城正樹]]([[浅草宮城組]]会長) 若頭補佐 - [[大場圭一]]([[大場総業]]会長) ***舎弟 [#wf89c736] [[井上 勲>井上勲]](十代目[[玉屋組]]組長) ***幹部 [#a786c728] 事務局長 - [[西村智弘]](十六代目[[金瓶楼一家]]総長代行) 本部責任者・関西責任者 - [[中村好博]]([[北興業]]若頭) ***直参待遇 [#d339fa73] [[結城慎也]]([[北興業]]若頭補佐) ***幹事 [#g79d5de8] [[花岡愛次]] ([[北興業]]組長秘書) ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~
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