常滑一家
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* 常滑一家 [#d8ef0be1] ''十一代目常滑一家''(とこなめいっか)は[[愛知県知多郡武豊町ヒジリ田133-6 知多総合企画:https://maps.app.goo.gl/3isN4QnY8G9CGvCD9]]に本部を置く暴力団で、指定暴力団・六代目[[山口組]]の四次団体。上部団体は三代目[[弘道会]]・三代目[[髙山組>高山組(弘道会)]]。 ** 施設 [#hfb612f3] 本部 - [[愛知県知多郡武豊町ヒジリ田133-6 知多総合企画:https://maps.app.goo.gl/BaZi9LEzts52DF6e9]] 十代目本家 - 愛知県名古屋市中川区荒江町 ** 略歴 [#wd7bc32b] ***発足から山口組加入まで [#q83e2645] #ac(h,alt){{ -天保の頃、[[常滑兵太郎]]が興す。 [[保下田久六]]に味方し[[清水次郎長]]と争った。 -[[常滑兵太郎]]没後、実子の大半こと[[中野伊吉>常滑伊吉]]が二代目を継承。 父の跡を継ぎ大いに奮闘し知多郡一帯(知多半島)を費場所にし大勢力を誇った。 齢80にして常滑町に住み料理屋を営んだ。 -[[中野伊吉>常滑伊吉]]の配下には舎弟・[[大村惣太郎]]、子分・[[松本石太郎]]、[[小竹文次郎]]、萩原安兵衛、中川作太郎が傑出していた。 --別説では[[常滑兵太郎]]の後の四代目は仁吉という人物で、傑出した子分に西浦町大里・[[大村惣太郎]]、大野町・萩原安兵衛、東浦町・[[大半>常滑伊吉]]、東浦町・[[小竹文次郎]]、東浦町・伊藤庄太郎がいた。 明治6、7年頃、仁吉は東浦方面の費場所を[[大半>常滑伊吉]]に、西浦方面の費場所を[[大村惣太郎]]に与えた。 明治14、15年頃、仁吉が引退し[[大村惣太郎]]が五代目を継承。 明治30年頃、[[大村惣太郎]]が引退し師崎町・熊五郎が六代目を継承。 2、3年後、熊五郎が引退し常滑町・留五郎が七代目を継承。 明治38、39年頃、留五郎が引退し杉江安五郎が八代目を継承。 -明治15、16年頃、[[中野伊吉>常滑伊吉]]が引退し[[松本石太郎]]が三代目を継ぐ。 三代目の頃、先代配下の有力者が互いに勢力争いをし小派分立する。 --''直系派''は明治27、28年頃[[松本石太郎]]が奥田ノ熊五郎に跡目を譲り、明治37、38年頃、奥田ノ熊五郎は80余歳にして石太郎の配下留吉の子分・杉江安太郎に跡目を譲る。 杉江安太郎は大正10年頃または14年頃死亡。子分・青山梅太郎(明治6年生まれ)が跡目を継ぐ。 青山梅太郎の子分で有名なのは[[松本源太郎]](嘉永3年生まれ)、宮本善次郎(明治9年生まれ)がいた。 --''[[伊藤派>伊藤一家]]''は[[中野伊吉>常滑伊吉]]の子分・[[小竹文次郎]]の系統。文次郎死亡後、子分の伊藤庄太郎または伊藤藤太郎が跡目を継ぎ、大勢力となり[[伊藤一家]]を名乗る。 伊藤庄太郎の有名な子分にカッパ万こと久能万吉(文久元年生まれ)、入口孫太郎、間瀬元四郎(慶応3年生まれ)、郷ノ保こと酒井安太郎がいた。 明治35年頃、伊藤庄太郎が引退し、子分の久能万吉が跡目を継ぐ。 明治41年頃、久能万吉が引退し、子分の弥三郎こと栗原新六(慶応3年生まれ)が跡目を継ぐ。 大正元年頃、栗原新六が引退し、子分または舎弟のショウキ初こと竹内初太郎(明治9年生まれ)が跡目を継ぐ。 竹内初太郎の有名な子分に春次こと岩瀬春次郎(明治23年生まれ)、長玉こと鈴木太郎吉(明治12年生まれ)、斎藤徳太郎(明治4年生まれ)がいた。 間瀬元四郎は[[間瀬一家]]を称し、跡目を子分太安こと間瀬安次郎に譲る。 間瀬安次郎没後、子分・牧野新兵衛(明治18年生まれ)が跡目を継ぐ。 牧野新兵衛の有名な子分に利一こと伊藤利三郎(明治9年生まれ)、間瀬能七(明治28年生まれ)、半谷卯兵衛(明治34年生まれ)がいた。 --''[[大村派>常滑一家大村]]''は[[中野伊吉>常滑伊吉]]の舎弟・[[大村惣太郎]]の系統。 --''[[萩原派>常滑一家萩原]]''は[[中野伊吉>常滑伊吉]]の子分・萩原安太郎の系統。 萩原安太郎死後、実子・萩原三郎が跡目を継ぐ。 -1965年、解散。 -[[山口組]]・[[山田組>山田組(山口組)]]に加入。 }} *** 山口組加入後 [#id7089bd] #ac(h,open){{ -2005年、[[山田組>山田組(山口組)]]が解散すると[[弘道会]]に加入。 -2023年7月14日午後7時20分ごろ、愛知県常滑市の名古屋鉄道常滑駅のロータリーで、若頭・[[中澤秀也]]が認知症の十代目総長・[[磯部伸治]]に対し、「バカ野郎」、「お前また下手打ちしやがって」などと怒鳴りながら頭を平手で叩いたり、足を蹴るなどしたとして、同年8月23日に暴行容疑で逮捕された。[[磯部伸治]]から被害届は出ていないが、目撃者からの通報で警察が捜査し、付近の防犯カメラの映像などから[[中澤秀也]]を特定した。 -同年9月1日、名古屋地検は[[中澤秀也]]を不起訴処分とした。 -同月4日、[[中澤秀也]]が三代目[[弘道会]]から破門。 -2023年12月、上部団体の三代目[[弘道会]]は協議の結果、重度認知症の[[磯部伸治]]を引退させ、家族同意のもと特別養護老人ホームに入所させた。常滑一家は三代目[[髙山組>高山組(弘道会)]]預かりとなった。 -[[松島寛爾]]が代表に就任。 -2024年、[[松島寛爾]]が十一代目を継承。 }} ** 常滑一家系譜 [#kb4e9fa3] *** 旧系譜 [#e07aeb21] 初 代 - [[常滑兵太郎]] 二代目 - 三代目 - 四代目 - 某 仁吉 五代目 - [[大村惣太郎]] 六代目 - 師崎熊五郎 七代目 - 常滑留五郎 八代目 - 杉江安五郎 *** 現系譜 [#wc9ff4d5] 初 代 - [[常滑兵太郎]] 二代目 - [[常滑伊吉]] 三代目 - [[松本石太郎]] 四代目 - 杉江安治郎 五代目 - 青山梅太郎(青山梅五郎) 六代目 - 竹内初太郎 七代目 - 遠山高嶺 八代目 - 土井浩平 九代目 - 上田正明 十代目 - [[磯部伸治]](三代目[[弘道会]]舎弟) 十一代目 - [[松島寛爾]] ** 十一代目常滑一家組織図 [#wfeafdb4] 総 長 - [[松島寛爾]](三代目[[髙山組>高山組(弘道会)]]幹部) 本部長 - [[杉崎 晃>杉崎晃]]([[崎興業]]組長) 舎 弟 - [[斎藤忠則]]([[斎藤興業]]組長) ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~
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* 常滑一家 [#d8ef0be1] ''十一代目常滑一家''(とこなめいっか)は[[愛知県知多郡武豊町ヒジリ田133-6 知多総合企画:https://maps.app.goo.gl/3isN4QnY8G9CGvCD9]]に本部を置く暴力団で、指定暴力団・六代目[[山口組]]の四次団体。上部団体は三代目[[弘道会]]・三代目[[髙山組>高山組(弘道会)]]。 ** 施設 [#hfb612f3] 本部 - [[愛知県知多郡武豊町ヒジリ田133-6 知多総合企画:https://maps.app.goo.gl/BaZi9LEzts52DF6e9]] 十代目本家 - 愛知県名古屋市中川区荒江町 ** 略歴 [#wd7bc32b] ***発足から山口組加入まで [#q83e2645] #ac(h,alt){{ -天保の頃、[[常滑兵太郎]]が興す。 [[保下田久六]]に味方し[[清水次郎長]]と争った。 -[[常滑兵太郎]]没後、実子の大半こと[[中野伊吉>常滑伊吉]]が二代目を継承。 父の跡を継ぎ大いに奮闘し知多郡一帯(知多半島)を費場所にし大勢力を誇った。 齢80にして常滑町に住み料理屋を営んだ。 -[[中野伊吉>常滑伊吉]]の配下には舎弟・[[大村惣太郎]]、子分・[[松本石太郎]]、[[小竹文次郎]]、萩原安兵衛、中川作太郎が傑出していた。 --別説では[[常滑兵太郎]]の後の四代目は仁吉という人物で、傑出した子分に西浦町大里・[[大村惣太郎]]、大野町・萩原安兵衛、東浦町・[[大半>常滑伊吉]]、東浦町・[[小竹文次郎]]、東浦町・伊藤庄太郎がいた。 明治6、7年頃、仁吉は東浦方面の費場所を[[大半>常滑伊吉]]に、西浦方面の費場所を[[大村惣太郎]]に与えた。 明治14、15年頃、仁吉が引退し[[大村惣太郎]]が五代目を継承。 明治30年頃、[[大村惣太郎]]が引退し師崎町・熊五郎が六代目を継承。 2、3年後、熊五郎が引退し常滑町・留五郎が七代目を継承。 明治38、39年頃、留五郎が引退し杉江安五郎が八代目を継承。 -明治15、16年頃、[[中野伊吉>常滑伊吉]]が引退し[[松本石太郎]]が三代目を継ぐ。 三代目の頃、先代配下の有力者が互いに勢力争いをし小派分立する。 --''直系派''は明治27、28年頃[[松本石太郎]]が奥田ノ熊五郎に跡目を譲り、明治37、38年頃、奥田ノ熊五郎は80余歳にして石太郎の配下留吉の子分・杉江安太郎に跡目を譲る。 杉江安太郎は大正10年頃または14年頃死亡。子分・青山梅太郎(明治6年生まれ)が跡目を継ぐ。 青山梅太郎の子分で有名なのは[[松本源太郎]](嘉永3年生まれ)、宮本善次郎(明治9年生まれ)がいた。 --''[[伊藤派>伊藤一家]]''は[[中野伊吉>常滑伊吉]]の子分・[[小竹文次郎]]の系統。文次郎死亡後、子分の伊藤庄太郎または伊藤藤太郎が跡目を継ぎ、大勢力となり[[伊藤一家]]を名乗る。 伊藤庄太郎の有名な子分にカッパ万こと久能万吉(文久元年生まれ)、入口孫太郎、間瀬元四郎(慶応3年生まれ)、郷ノ保こと酒井安太郎がいた。 明治35年頃、伊藤庄太郎が引退し、子分の久能万吉が跡目を継ぐ。 明治41年頃、久能万吉が引退し、子分の弥三郎こと栗原新六(慶応3年生まれ)が跡目を継ぐ。 大正元年頃、栗原新六が引退し、子分または舎弟のショウキ初こと竹内初太郎(明治9年生まれ)が跡目を継ぐ。 竹内初太郎の有名な子分に春次こと岩瀬春次郎(明治23年生まれ)、長玉こと鈴木太郎吉(明治12年生まれ)、斎藤徳太郎(明治4年生まれ)がいた。 間瀬元四郎は[[間瀬一家]]を称し、跡目を子分太安こと間瀬安次郎に譲る。 間瀬安次郎没後、子分・牧野新兵衛(明治18年生まれ)が跡目を継ぐ。 牧野新兵衛の有名な子分に利一こと伊藤利三郎(明治9年生まれ)、間瀬能七(明治28年生まれ)、半谷卯兵衛(明治34年生まれ)がいた。 --''[[大村派>常滑一家大村]]''は[[中野伊吉>常滑伊吉]]の舎弟・[[大村惣太郎]]の系統。 --''[[萩原派>常滑一家萩原]]''は[[中野伊吉>常滑伊吉]]の子分・萩原安太郎の系統。 萩原安太郎死後、実子・萩原三郎が跡目を継ぐ。 -1965年、解散。 -[[山口組]]・[[山田組>山田組(山口組)]]に加入。 }} *** 山口組加入後 [#id7089bd] #ac(h,open){{ -2005年、[[山田組>山田組(山口組)]]が解散すると[[弘道会]]に加入。 -2023年7月14日午後7時20分ごろ、愛知県常滑市の名古屋鉄道常滑駅のロータリーで、若頭・[[中澤秀也]]が認知症の十代目総長・[[磯部伸治]]に対し、「バカ野郎」、「お前また下手打ちしやがって」などと怒鳴りながら頭を平手で叩いたり、足を蹴るなどしたとして、同年8月23日に暴行容疑で逮捕された。[[磯部伸治]]から被害届は出ていないが、目撃者からの通報で警察が捜査し、付近の防犯カメラの映像などから[[中澤秀也]]を特定した。 -同年9月1日、名古屋地検は[[中澤秀也]]を不起訴処分とした。 -同月4日、[[中澤秀也]]が三代目[[弘道会]]から破門。 -2023年12月、上部団体の三代目[[弘道会]]は協議の結果、重度認知症の[[磯部伸治]]を引退させ、家族同意のもと特別養護老人ホームに入所させた。常滑一家は三代目[[髙山組>高山組(弘道会)]]預かりとなった。 -[[松島寛爾]]が代表に就任。 -2024年、[[松島寛爾]]が十一代目を継承。 }} ** 常滑一家系譜 [#kb4e9fa3] *** 旧系譜 [#e07aeb21] 初 代 - [[常滑兵太郎]] 二代目 - 三代目 - 四代目 - 某 仁吉 五代目 - [[大村惣太郎]] 六代目 - 師崎熊五郎 七代目 - 常滑留五郎 八代目 - 杉江安五郎 *** 現系譜 [#wc9ff4d5] 初 代 - [[常滑兵太郎]] 二代目 - [[常滑伊吉]] 三代目 - [[松本石太郎]] 四代目 - 杉江安治郎 五代目 - 青山梅太郎(青山梅五郎) 六代目 - 竹内初太郎 七代目 - 遠山高嶺 八代目 - 土井浩平 九代目 - 上田正明 十代目 - [[磯部伸治]](三代目[[弘道会]]舎弟) 十一代目 - [[松島寛爾]] ** 十一代目常滑一家組織図 [#wfeafdb4] 総 長 - [[松島寛爾]](三代目[[髙山組>高山組(弘道会)]]幹部) 本部長 - [[杉崎 晃>杉崎晃]]([[崎興業]]組長) 舎 弟 - [[斎藤忠則]]([[斎藤興業]]組長) ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~
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