宅見若頭射殺事件
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* 宅見勝若頭射殺事件 [#udc74922] ''宅見勝若頭射殺事件''は、1997年8月28日に五代目[[山口組]]若頭・[[宅見勝]]が、五代目[[山口組]]・[[中野会]]組員に射殺された[[山口組]]の内部抗争事件。 ** 事件の発端 [#j3d77be7] -この事件は1996年に起きた「''[[中野会会長襲撃事件]]''」が発端とされる。 -1996年7月10日京都府八幡市の理髪店で、散髪中だった五代目[[山口組]]若頭補佐で[[中野会]]会長・[[中野太郎]]が、四代目[[会津小鉄>会津小鉄会]]系組員に銃撃される事件が発生。 [[中野太郎]]のボディガードが拳銃で応戦し、[[会津小鉄>会津小鉄会]]系組員2人を射殺。[[中野太郎]]は無傷だった。 -同日、四代目[[会津小鉄>会津小鉄会]]若頭・[[図越利次]]ら最高幹部が[[山口組]]総本部を訪れ、[[中野太郎]]襲撃を詫びた。 [[山口組]]若頭・[[宅見勝]]は事態拡大を防ぐため、[[中野太郎]]に一切の事前報告なく[[会津小鉄>会津小鉄会]]側の謝罪を受け入れ迅速に和解した。 -当事者である[[中野太郎]]の意向を確認をせずに、[[宅見勝]]が和解したことに[[中野太郎]]が激高し、報復として[[宅見勝]]の射殺事件につながったとされる。 「''[[中野会会長襲撃事件]]''」を参照。 ** 射殺事件発生まで [#m65d1b0e] -1997年7月、[[中野会]]若頭補佐・[[吉野和利]]が総指揮をとり、東京都と大阪府の[[中野会]]傘下組織から、[[宅見勝]]の行動を探るための「偵察部隊」と襲撃するための「襲撃部隊」をそれぞれ選抜した。 当初は東京で[[宅見勝]]を襲撃する予定だったが居場所が掴めずに断念、大阪で襲撃することになった。 -同年8月27日、[[宅見勝]]が大阪市内のホテルを訪問することがわかったが、[[中野太郎]]も同席することがわかったため襲撃は見合わされた。 -同年8月28日、[[宅見勝]]は昼食を摂るため、[[山口組]]総本部長・[[岸本才三]]と副本部長・[[野上哲男]]の2人と共に、JR新神戸駅に隣接する新神戸オリエンタルホテル(現・ANAクラウンプラザホテル神戸)のティーラウンジに向かった。 ** 宅見若頭射殺事件 [#q4ce045f] -1997年8月28日午後3時20分ごろ、[[宅見勝]]・[[岸本才三]]・[[野上哲男]]の3人は、ティーラウンジの一番奥のテーブルに着いた。 その直後、[[中野会]]の襲撃部隊が38口径と45口径の拳銃で[[宅見勝]]を銃撃。 [[宅見勝]]は7発の銃弾を受け、神戸市立中央病院に緊急搬送されたが、約1時間後の午後4時32分に銃撃による失血により死亡した。 [[宅見勝]]と同席していた[[岸本才三]]・[[野上哲男]]の2人は無事だった。 -襲撃の際、ラウンジの隣のテーブルに座っていた一般客の男性歯科医師が、流れ弾に当たって負傷し病院へ運ばれたが、事件から6日後の9月3日に死亡した。 ** 事件後 [#g21b6258] -1997年8月31日、[[宅見勝]]の告別式が行われた。 同日、[[山口組]]組長・[[渡辺芳則]]は[[中野太郎]]を破門とした。 -同年9月3日、流れ弾に当たった男性歯科医師が死亡したため、[[渡辺芳則]]は[[中野太郎]]を破門から絶縁に変更した。 -[[中野太郎]]は事件への関与を認めず絶縁に納得できないとして、[[中野会]]は解散せず独立組織となった。 -その後、宅見若頭射殺事件の報復と思われる襲撃で、[[中野会]]幹部らが殺害されたことなどにより[[中野会]]の組織力が低下。 -2003年、[[中野太郎]]が脳梗塞で倒れた。 -2004年10月26日、別の詐欺事件で執行猶予判決を受け、その後の捜査で、宅見若頭射殺事件に関与した疑いで指名手配されていた容疑者の1人が大阪府豊中市内で逮捕された。 -2005年8月7日、[[中野太郎]]は大阪府警に解散届を提出、[[中野会]]は解散した。 -2006年6月30日、実行犯の1人として指名手配されていた男が神戸市の六甲アイランドで病死体で発見された。 -2013年6月5日、兵庫県警は殺人・銃刀法違反容疑で指名手配されており、本件における最後の逃亡者であった、実行犯の指揮役の財津組組長・財津晴敏を逮捕した。 -2013年6月27日、神戸地検は財津晴敏を殺人と銃刀法違反の罪で起訴した。 -2021年1月10日、[[中野太郎]]は肺炎により84歳で死去。 ** 裁判 [#dec73859] -実行犯のうち1人は逮捕されず、その後、病死が確認された。 *** 実行犯2人の刑事裁判 [#c689fcc1] -1999年10月26日、神戸地裁は実行犯2人に、求刑通り懲役20年の判決を言い渡した。 -2000年6月5日、大阪高裁は被告側の控訴を棄却し、実行犯1人は上告せず確定した。 -2002年1月16日、最高裁第2小法廷でもう1人の実行犯の上告を棄却し、刑が確定した。 *** 実行犯1人の刑事裁判 [#yfe47da7] -2000年1月21日、神戸地裁は実行犯1人に、求刑通り懲役20年の判決を言い渡した。 -同年7月11日、大阪高裁は被告側の控訴を棄却し、実行犯1人は上告せず確定した。 *** 財津組組長・財津晴敏の刑事裁判 [#pe052f98] -2014年3月14日、神戸地裁は裁判員裁判で、求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。 -同年7月10日、大阪高裁は財津晴敏の控訴を棄却。 -同年11月26日、最高裁で財津晴敏の無期懲役が確定した。 ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~
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* 宅見勝若頭射殺事件 [#udc74922] ''宅見勝若頭射殺事件''は、1997年8月28日に五代目[[山口組]]若頭・[[宅見勝]]が、五代目[[山口組]]・[[中野会]]組員に射殺された[[山口組]]の内部抗争事件。 ** 事件の発端 [#j3d77be7] -この事件は1996年に起きた「''[[中野会会長襲撃事件]]''」が発端とされる。 -1996年7月10日京都府八幡市の理髪店で、散髪中だった五代目[[山口組]]若頭補佐で[[中野会]]会長・[[中野太郎]]が、四代目[[会津小鉄>会津小鉄会]]系組員に銃撃される事件が発生。 [[中野太郎]]のボディガードが拳銃で応戦し、[[会津小鉄>会津小鉄会]]系組員2人を射殺。[[中野太郎]]は無傷だった。 -同日、四代目[[会津小鉄>会津小鉄会]]若頭・[[図越利次]]ら最高幹部が[[山口組]]総本部を訪れ、[[中野太郎]]襲撃を詫びた。 [[山口組]]若頭・[[宅見勝]]は事態拡大を防ぐため、[[中野太郎]]に一切の事前報告なく[[会津小鉄>会津小鉄会]]側の謝罪を受け入れ迅速に和解した。 -当事者である[[中野太郎]]の意向を確認をせずに、[[宅見勝]]が和解したことに[[中野太郎]]が激高し、報復として[[宅見勝]]の射殺事件につながったとされる。 「''[[中野会会長襲撃事件]]''」を参照。 ** 射殺事件発生まで [#m65d1b0e] -1997年7月、[[中野会]]若頭補佐・[[吉野和利]]が総指揮をとり、東京都と大阪府の[[中野会]]傘下組織から、[[宅見勝]]の行動を探るための「偵察部隊」と襲撃するための「襲撃部隊」をそれぞれ選抜した。 当初は東京で[[宅見勝]]を襲撃する予定だったが居場所が掴めずに断念、大阪で襲撃することになった。 -同年8月27日、[[宅見勝]]が大阪市内のホテルを訪問することがわかったが、[[中野太郎]]も同席することがわかったため襲撃は見合わされた。 -同年8月28日、[[宅見勝]]は昼食を摂るため、[[山口組]]総本部長・[[岸本才三]]と副本部長・[[野上哲男]]の2人と共に、JR新神戸駅に隣接する新神戸オリエンタルホテル(現・ANAクラウンプラザホテル神戸)のティーラウンジに向かった。 ** 宅見若頭射殺事件 [#q4ce045f] -1997年8月28日午後3時20分ごろ、[[宅見勝]]・[[岸本才三]]・[[野上哲男]]の3人は、ティーラウンジの一番奥のテーブルに着いた。 その直後、[[中野会]]の襲撃部隊が38口径と45口径の拳銃で[[宅見勝]]を銃撃。 [[宅見勝]]は7発の銃弾を受け、神戸市立中央病院に緊急搬送されたが、約1時間後の午後4時32分に銃撃による失血により死亡した。 [[宅見勝]]と同席していた[[岸本才三]]・[[野上哲男]]の2人は無事だった。 -襲撃の際、ラウンジの隣のテーブルに座っていた一般客の男性歯科医師が、流れ弾に当たって負傷し病院へ運ばれたが、事件から6日後の9月3日に死亡した。 ** 事件後 [#g21b6258] -1997年8月31日、[[宅見勝]]の告別式が行われた。 同日、[[山口組]]組長・[[渡辺芳則]]は[[中野太郎]]を破門とした。 -同年9月3日、流れ弾に当たった男性歯科医師が死亡したため、[[渡辺芳則]]は[[中野太郎]]を破門から絶縁に変更した。 -[[中野太郎]]は事件への関与を認めず絶縁に納得できないとして、[[中野会]]は解散せず独立組織となった。 -その後、宅見若頭射殺事件の報復と思われる襲撃で、[[中野会]]幹部らが殺害されたことなどにより[[中野会]]の組織力が低下。 -2003年、[[中野太郎]]が脳梗塞で倒れた。 -2004年10月26日、別の詐欺事件で執行猶予判決を受け、その後の捜査で、宅見若頭射殺事件に関与した疑いで指名手配されていた容疑者の1人が大阪府豊中市内で逮捕された。 -2005年8月7日、[[中野太郎]]は大阪府警に解散届を提出、[[中野会]]は解散した。 -2006年6月30日、実行犯の1人として指名手配されていた男が神戸市の六甲アイランドで病死体で発見された。 -2013年6月5日、兵庫県警は殺人・銃刀法違反容疑で指名手配されており、本件における最後の逃亡者であった、実行犯の指揮役の財津組組長・財津晴敏を逮捕した。 -2013年6月27日、神戸地検は財津晴敏を殺人と銃刀法違反の罪で起訴した。 -2021年1月10日、[[中野太郎]]は肺炎により84歳で死去。 ** 裁判 [#dec73859] -実行犯のうち1人は逮捕されず、その後、病死が確認された。 *** 実行犯2人の刑事裁判 [#c689fcc1] -1999年10月26日、神戸地裁は実行犯2人に、求刑通り懲役20年の判決を言い渡した。 -2000年6月5日、大阪高裁は被告側の控訴を棄却し、実行犯1人は上告せず確定した。 -2002年1月16日、最高裁第2小法廷でもう1人の実行犯の上告を棄却し、刑が確定した。 *** 実行犯1人の刑事裁判 [#yfe47da7] -2000年1月21日、神戸地裁は実行犯1人に、求刑通り懲役20年の判決を言い渡した。 -同年7月11日、大阪高裁は被告側の控訴を棄却し、実行犯1人は上告せず確定した。 *** 財津組組長・財津晴敏の刑事裁判 [#pe052f98] -2014年3月14日、神戸地裁は裁判員裁判で、求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。 -同年7月10日、大阪高裁は財津晴敏の控訴を棄却。 -同年11月26日、最高裁で財津晴敏の無期懲役が確定した。 ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~
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