住吉会
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* 住吉会 [#cea6ae28] ''住吉会''(すみよしかい)は[[東京都新宿区新宿7-26-7 ビクセル新宿507号室:https://maps.app.goo.gl/eY5o646LJkkeCLrd8]]に本部を置く指定暴力団。 #ref(住吉会.jpg,right,nowrap,住吉会) ** 主要施設 [#ca013f13] #ac(h,open){{ -芝浦事務所 - [[東京都港区芝浦1-10-7:https://maps.app.goo.gl/T1g51PEVThrmHGhg7]] -住共済会館 - [[埼玉県日高市大字高萩999-2:https://maps.app.goo.gl/stycfLBycoCZuquS8]] }} ** 概要 [#odd94b04] #ac(h,open){{ -前身は''港会''・''住吉会''・''住吉連合''・''住吉連合会''・''住吉会''。 -[[道仁会]]と兄弟会であり、五代目[[工藤會]]とは親戚である。 -勢力範囲は、警察白書では八代目住吉会継承以降、北海道から九州地方まで全国規模の1都1道2府31県に勢力を持つ博徒組織。 -平常時は名称を住吉会と表記し、催し事つまり襲名並びに慶弔の書上げには、九代目住吉会と表記されている様である。 }} ** 略歴 [#hc9e0212] *** 住吉一家〜港会 [#n5542776] #ac(h,alt){{ -明治初期、[[伊東松五郎]]が東京芝浦一帯に''[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]''初代を名乗る。住吉の名称は[[伊東松五郎]]の出身地である東京日本橋住吉町(現在の日本橋人形町)からつけられた。 -1918年(大正7年)、[[中里一家]]総長・[[堺定吉>宝珠花左団次]]の若衆・[[倉持直吉]](別名・荏田村秀)が[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]二代目を継承した。 -1948年、[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]の縄張りを借りていた[[高木組>高木組(東京都)]]([[高木康太]]組長)代貸の[[阿部重作]]が[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]三代目を継承した。 -1950年、[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]の[[浦上信之]]一派(銀座警察)にGHQから団体等規正令による解散命令が発令された。 -1956年、浅草・妙清寺で営まれた[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]・[[大日本興行]]の葬儀の席で[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]・[[向後>向後睦会]]初代・[[向後平]](高円寺派)らと[[大日本興行]]会長・[[高橋輝男]](銀座派)らが銃撃戦を行い両者が死亡した(浅草妙清寺事件)。 -1958年、[[阿部重作]]の声掛けにより、博徒・[[的屋]]・愚連隊の28団体の連合体として''[[港会]]''(みなとかい)を結成。[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]貸元(代貸とも)・[[青田富太郎]](後の[[幸平一家]]十代目総長)が港会会長に就いた。 -1958年〜1959年頃、[[幸平一家]]九代目総長・[[本橋政夫]]、[[圡支田一家>土支田一家]]七代目総長・[[杉原繁雄]]、[[滝野川一家]]四代目総長・[[福原陸三]]、[[二本木小川一家]]四代目総長・[[西沢福司]]が[[友愛会]]を結成した。 -1962年、[[阿部重作]]が引退。[[阿部重作]]の兄弟分・[[磧上義朝]]の実弟で[[上萬一家]]貸元・[[磧上会]]会長・[[磧上義光]]が[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]四代目を継承した。 }} *** 住吉会〜住吉連合〜住吉連合会[#vba33540] #ac(h,alt){{ -1964年、港会は''住吉会''に改称した。[[青田富太郎]]の後に港会会長に就いていた[[磧上義光]]が住吉会会長に就いた。 -同年6月20日、[[磧上義光]]が親睦団体・[[関東会>関東親睦会]]の二代目会長に就任した。 -1965年、第一次頂上作戦により[[磧上義光]]が逮捕され、同年住吉会は解散した。 -同年、[[友愛会]]が解散した。 -1967年、[[磧上義光]]が死去。同年、[[中里一家]]四代目・[[堀政夫]]が[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]五代目を継承した。 -1969年、旧住吉会が再集結し''住吉連合''が結成。[[堀政夫]]が住吉連合代表に就いた。 -旧・[[友愛会]]の[[幸平一家]]、[[圡支田一家>土支田一家]]、[[滝野川一家]]が住吉連合に加入した。 -1972年、北関東の博徒の連合組織[[親和会>親和会(住吉会)]]が住吉連合に加入した。 -1974年、福島・茨城の博徒の連合組織[[丸唐会]]が住吉連合に加入した。 -1978年から1983年、住吉連合・[[幸平一家]]・[[池田会>池田会(幸平一家)]]が[[極東関口会>極東会]][[三浦連合会>松山連合会(極東会)]]と抗争事件を起こした(池袋抗争)。 -1979年、石巻市の[[西方]]二代目が住吉連合に加入した。 -1982年、住吉連合は''住吉連合会''に改称した。[[堀政夫]]が住吉連合会会長に就いた。 -1986年、北海道釧路市の[[三心会>富田一家]]が住吉連合会に加入した。 -1988年、[[堀政夫]]が住吉連合会総裁に退き、[[日野一家]]四代目総長・[[川口喨史]]が住吉連合会会長に就いた。 -1989年、住吉連合会傘下の[[小林会>小林会(住吉会)]]が[[寄居真会>紘龍一家]]本部を完全占拠し、抗争事件を起こした(住吉連合会と[[寄居一家>寄居]]の抗争)。 -1990年1月11日、住吉連合会本部長の[[小林楠扶]]死去。 -1990年5月未明、住吉連合会会長の[[川口喨史]]が死去。 -同年、住吉連合会理事長で、[[向後>向後睦会]]二代目・[[西口茂男]]が新会長に就いた。住吉連合会理事長に[[沼澤春男]]、総本部長に[[鈴木康夫]]体制。 -同年10月、住吉連合会総裁である[[堀政夫]]が死去。 -1991年3月、暴力団に対する法整備を改正し、暴力団新法が公布された。 }} *** 六代目[#w406df60] #ac(h,alt){{ -1991年、住吉連合会は''住吉会''に改称した。[[西口茂男]]が住吉会会長に就いた。同時に[[西口茂男]]が[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]六代目を継承し、会長代行を[[沼澤春男]]が就いた。[[西口茂男]]は組織固めの強化として、それまで連合組織であった住吉会を縦割りの直参組織に改組し、各傘下団体の長と親子・兄弟盃を交わした。 -東北地方の老舗組織を、武力制圧等は一切せず、各組織自らの意思考えで加盟を決めた組織を歓迎した。 -同年、東北地方最大の[[的屋]]組織であった[[共和会]]・[[西海家総連合会>西海家]]が住吉会に加入した。同年、[[共和会]]・[[東京盛代錦戸連合会>錦戸会]]が住吉会に加入した。 -同年、宮城県古川市の[[東京盛代盛永会>川崎会]]が住吉会に加入した。 -1992年1月、[[義人党>武蔵屋一家]]が解散し旧勢力[[武蔵屋一家]]十代目として住吉会に加入した。 -同年3月、暴対法が施行され、''[[指定暴力団]]''に指定された。 }} *** 七代目[#w406df60] #ac(h,alt){{ -1998年、[[西口茂男]]が住吉会会長を退き、[[小林会>小林会(住吉会)]]二代目・[[福田晴瞭]]が会長に就いた。 -2001年、[[二率会]]が解散し、[[二率会]]・[[東京小金井一家>小金井一家]]の新宿・[[十二社>十二社一家]]・渋谷・[[府中>府中一家]]・[[四軒寺>四軒寺一家]](吉祥寺)等の都内勢力が住吉会に加入した。 -同年8月、東京都の葬儀場で[[向後睦会]]会長・[[向後>向後睦会]]四代目・[[熊川邦男]]と[[滝野川一家]]七代目総長・[[遠藤浩司]]が[[稲川会]]・七代目[[大前田一家>前橋一家]]組員に射殺された(四ツ木斎場事件)。 -2002年9月21日、新宿区歌舞伎町の大型喫茶店「パリジェンヌ」で、午後19時頃に[[幸平一家]]十二代目組員と東北系中国マフィアが話し合いの場を持っていたのだが、話し合いが決裂、東北系中国マフィア側がテーブルに拳銃を置き、「撃ってみろ」と挑発。組員側の1人が、その拳銃に手をかけた瞬間、東北系中国マフィア側が拳銃を取り出し組員に向け一斉射撃。組員側の1人が即死、1人が重傷を負った。翌月の10月、主犯の運転手を務めた東北系中国マフィアが新宿区上落合の路上にて、全身14カ所以上の刺し傷を負った惨殺死体で発見された(パリジェンヌ事件)。 -2003年1月、[[幸平一家]]十二代目・[[矢野睦会]]組員が[[稲川会]]・[[大前田一家>前橋一家]]幹部を銃撃、巻き添えになった一般人が死亡した(前橋スナック乱射事件)。 -同年、住吉会傘下の[[親和会>親和会(住吉会)]]が五代目[[山口組]]・[[弘道会]]と抗争事件を起こした([[北関東抗争]])。 -2004年10月24日、三代目[[中村会]]幹部・[[片桐 俊>片桐俊]]が、五代目[[山口組]]・[[貴広会]]幹部2名を浅草ビューホテル内の喫茶店で射殺した(浅草発砲事件)。 -2005年、[[福田晴瞭]]が[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]七代目を継承した。 -2007年2月5日、東京港区西麻布の路上で住吉会・[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]・[[小林会>小林会(住吉会)]]三代目会長秘書・[[直井組]]組長代行・[[杉浦良一]]が、六代目[[山口組]]・五代目[[國粹会]]組員により射殺された(麻布抗争)。 -2008年、住吉会・[[伊勢野会>武州伊勢野一家]]が、六代目[[山口組]]・二代目[[小西一家]]・二代目[[堀政連合]]傘下の[[鈴木寛茂]]相談役を刺殺し、[[住吉会]]・[[三角一家]]八代目を含めた抗争事件に突入した([[埼玉抗争]]・ふじみ野抗争事件)。 -[[福田晴瞭]]は、[[住吉会]]会長、[[住吉一家]]七代目総長の要職には就いたが、組織自体の権限は高円寺([[西口茂男]])が実権を把握していた。[[住吉連合会]]前本部長で早世した[[小林楠扶]]への義理立てだったのかもれないが、[[住吉会]]八代目を、高円寺は成田に継承させ、銀座を特別相談役にさせた。 }} *** 八代目[#w406df60] #ac(h,alt){{ -2014年、[[住吉会]]会長代行・六代目[[共和一家]]総長・[[関功]]が会長に就いた。 -2017年9月、高円寺・[[西口茂男]]が死去。通夜告別式は西口家の意向により、身内のみの完全密葬で執り行われた。 -特殊詐欺事件が頻発し、逮捕された犯人グループに組員も加担してる事件が目立ち始め、組織犯罪処罰法と犯罪収益処罰法の適用、使用者責任として数億単位で損害賠償を求められる訴訟が多くなった。 -2019年頃から、東京都多摩地区、新宿区歌舞伎町、神奈川県北東部・湘南地域・群馬県中部・西部地域で住吉会・十三代目[[幸平一家]]系と[[稲川会]]系二次団体との衝突が頻発し、両組織による発砲事件や殺害事件に発展していく。 -2021年2月、十三代目[[幸平一家]]総長・[[加藤英幸]]の尽力により、[[道仁会]]四代目会長・[[小林哲治]]と、八代目[[住吉会]]会長・[[関功]]が熟慮協議を重ね、九州親睦団体・[[四社会]]承認のもと、業界初となる[[道仁会]]と住吉会は「五分の兄弟会」の親戚縁組を交わした。首領三名と[[四社会]]の粘り強い協議の結果八代目[[住吉会]]の発展改革を実現させたが、負の遺産として次世代への継承を拒み続け、それでも[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]の総長職を誰にも譲らず頑として退かない[[福田晴瞭]]を、権限無しで一人親方のまま完全格下げを幹部総会で決定、[[関功]]は会長職を退き[[住吉会]]では一代限り代表へと就いた。ここで九代目[[住吉会]]へ移行する。 }} *** 九代目[#w406df60] #ac(h,alt){{ -2021年4月20日、新役員改正と組織改革により、[[関功]]が会長から一代限り代表となった。主な特徴として代表職、代理職を新設し、事実上住吉会は代表、代理、役員のみで構成される組織となり、外部からも分かりずらい組織形式となった。その理由が、組織の若返りは理解しつつも、己の[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]七代目総長の立場は頑として誰にも譲らせない[[福田晴瞭]]により、古今大住吉の象徴としていた[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]を完全に切り離し格下げされた。 その事から、主要なる象徴は一代限り[[住吉会]]代表、絶対的中核組織を[[小川修司]](七代目[[共和一家]]総長)が九代目住吉会会長として襲名した。 -同年5月13日、七代目[[共和一家]]本部にて、住吉会・[[道仁会]]・五代目[[工藤會]]での懇親会が行われた。現在勾留中の[[野村悟]]総裁、[[田上文雄]]会長、[[菊池啓吾]]理事長の代理として、五代目[[工藤會]]最高幹部が出席した。 -同年10月20日、同年4月から[[小川修司]]会長の住吉会体制となっていたが、新型コロナ感染拡大や東京オリンピックなどに配慮していた「九代目住吉会会長代目継承盃」の儀式が、警視庁、千葉県警、埼玉県警の私服捜査員が20人ほど敷地内で待機し、厳戒態勢の中で埼玉県日高市の関連施設にて執り行われた。 -2022年5月31日午前、千葉県いすみ市内の別荘で、静養中であった代表・[[関功]]が倒れているのを世話人が発見、千葉県内の病院に救急搬送されたが、医師の懸命な処置を施したが、同日正午過ぎ脳溢血によりに死亡が確認された。享年76歳。 -同年6月3日・4日・5日、[[共和一家>共和一家(住吉会)]]本部で[[関功]]の住吉会葬儀が営まれ、全国27団体の組織代表や最高幹部らが参列した。 3日は東日本の主要組織を中心に多くの組織からトップが弔問に訪れ、4日には西日本を中心とした多くの主要組織のトップらが参列した。 出迎えには住吉会、[[共和一家>共和一家(住吉会)]]ともに後継となった会長・[[小川修司]]が中心となり、2日間にわたり全国の首領が集結する盛大な葬儀となった。5日は住吉会会葬とし、盛大に関を送り出した。 -同年7月20日、埼玉県日高市の関連施設にて[[関功]]の四十九日法要が執り行われ、会長・[[小川修司]]をはじめ、執行部を含む幹部ら約350人が参列した。 -2023年6月20日、九代目住吉会継承披露書状には、執行部が刷新される大型新人事を発表。新役員改正により、一代限りの代理職を廃止し、九代目住吉会会長を頂点とした体制を強化した。 -古くからの連合体意識が残る組織から組織一本化へと強化を図る為、一家一門が協議し、会長・[[小川修司]]と、各一家の当代が舎弟、親子盃を執り行う方向で合意した。 -同年9月18日、埼玉県日高市の関連施設で、''親 九代目住吉会会長・[[小川修司]]''と、上席含め盃無し10名・舎弟8名・若中59名・参与2名による義兄弟・親子血縁盃儀式が執り行われた。 -2024年10月17日未明、[[指定暴力団]]・[[住吉会]]が本部事務所を置く東京都新宿区新宿のマンション2部屋について、東京地裁(吉川健治裁判長)は、組員らの使用を禁じた仮処分決定に違反した場合、1日当たり100万円の間接強制金を支払うよう[[住吉会]]側に命じる決定を出した。 }} ** 系譜 [#m2419938] 初 代 - [[伊東松五郎]](日本橋住吉町貸元) 二代目 - [[倉持直吉]](初代[[中里一家]]若衆) 三代目 - [[阿部重作]](芝浦[[高木組]]代貸) 四代目 - [[磧上義光]](旧[[住吉会]]会長・[[磧上会]]会長) 五代目 - [[堀 政夫>堀政夫]]([[中里一家]]四代目総長) 六代目 - [[西口茂男]]([[向後>向後睦会]]二代目会長) 七代目 - [[福田晴瞭]]([[小林会>小林会(住吉会)]]二代目会長) 八代目 - [[関 功>関功]](六代目[[共和一家>共和一家(住吉会)]]総長) 九代目 - [[小川修司]](七代目[[共和一家>共和一家(住吉会)]]総長) ** 九代目住吉会組織図 [#hc9e0212] *** 会長 [#c0a5840d] [[小川修司]] *** 上席役員 [#hc9e0212] 特別相談役 - [[加藤英幸]](十三代目[[幸平一家]]総長) 特別会長補佐 - [[児島秀樹]]([[京王会]]会長) *** 最高幹部六役[#c0a5840d] 会長代行 - [[小坂 聡>小坂聡]](十三代目[[幸平一家]]総長代行) 理事長 - [[藤生一男]](九代目[[大前田一家>大前田一家(住吉会)]]総長) 幹事長・東京西南地区統括長 - [[津波宏志]](六代目[[向後睦会]]会長) 本部長・東京城北地区統括長 - [[近藤耀靖]](二代目[[東京共和会]]会長) 総務長 - [[相良福一]](三代目[[小林会>小林会(住吉会)]]代表) 組織統括長 - [[入里林一]](十三代目[[幸平一家]]幹事長) *** 執行役員[#c0a5840d] 組織委員長・東関東地区統括長 - [[大多和賢治]](八代目[[共和一家>共和一家(住吉会)]]総長) 渉外委員長 - [[金 亨東>金亨東]](十三代目[[幸平一家]]筆頭幹事長補佐) 統括委員長・北海道・東北地区統括長 - [[水戸龍哉]](九代目[[西海家>西海家(住吉会)]]総長) 運営委員長・埼玉地区統括長 - [[時田康雄]](六代目[[川越平塚一家]]総長) 総務委員長・北関東地区統括長 - [[田中政明]](初代[[田中会>田中会(住吉会)]]会長) 諮問委員長 - [[時田雅章]](四代目[[中村会>中村会(住吉会)]]会長) 審議委員長 - [[高瀬輝明]](七代目[[領家一家>領家一家(住吉会)]]総長) 風紀委員長 - [[河本正宝]](初代[[四軒寺一家]]総長代行) 懲罰委員長 - [[稲葉和三]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]幹事長・[[山越一家]]八代目総長) 事務局長・東京城東地区統括長 - [[松山博文]](六代目[[江島一家]]総長) 事務長 - [[仁木昌弘]](六代目[[鶴川一家]]総長) *** 最高顧問 [#c0a5840d] [[福田晴瞭]]([[住吉一家]]七代目総長) *** 特別常任相談役 [#l15f0638] [[長久保征夫]](三代目[[青田会]]会長・初代[[府中一家]]総長) [[永井 實>永井實]](六代目[[中里一家]]総長) [[村田吉弘]](初代[[四軒寺一家]]総長) [[佐藤鉄栄]](十三代目[[幸平一家]]総長舎弟・上板橋貸元・[[佐藤睦会]]会長) *** 舎弟 [#g73f9f1e] [[内山文男]](六代目[[丸唐会]]会長相談役、六代目[[大塚一家]]総長) [[関 秀夫>関秀夫]](四代目[[牧友睦]]会長) [[中野 勉>中野勉]](六代目[[奥州山口一家]]総長) [[山口 徹>山口徹(武州前川一家)]](十代目[[武州前川一家]]総長) [[高橋勝郎]](二代目[[西和一家]]総長) [[洗 亨>洗亨]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]会長) [[井桁勇司]](八代目[[馬橋一家]]総長) *** 執行幹部 [#v1b936a8] 代行補佐 - [[上﨑将貴>上崎将貴]](二代目[[十二社一家>十二社睦会]]総長) 代行補佐 - [[山川光則]](四代目[[稲毛一家]]総長) [[岩田光芳]](九代目[[三角一家]]総長) [[松戸一郎]](三代目[[大日本興行]]会長) [[山田 孝>山田孝(丸唐会)]](六代目[[丸唐会]]会長) [[福田孝夫]](六代目[[丸唐会]]会長代行・二代目[[國分睦]]総長) 会長付 - [[鎌田俊昭]](四代目[[中村会>中村会(住吉会)]]会長代行) 会長付 - [[土屋研二]](十三代目[[幸平一家]]筆頭代行補佐・[[加藤連合会]]本部長、[[聡仁組]]組長) 会長付 - [[柴田智生]](三代目[[沼澤会]]会長) 会長付 - [[小島 洋>小島洋]](八代目[[平塚一家>平塚一家(大宮)]]総長) *** 直参 [#oad14efe] [[梅田幸三]](四代目[[花田会]]会長) [[鈴木義治]]([[鈴木組>鈴木組(住吉会)]]組長) [[明 南秀>明南秀]](九代目[[滝野川一家]]総長) [[杉沼 登>杉沼登]](七代目[[廣瀬一家]]総長) [[桑子利雄]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]会長代行・[[須永一家]]十二代目総長) [[渡辺幸雄]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]渉外委員長・[[泉一家]]八代目総長) [[山野井保夫]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]懲罰委員長・[[武士一家]]八代目総長) [[渡辺進次]](八代目[[音羽一家]]総長) [[山内 登>山内登]](十代目[[山ヶ井戸一家]]総長) [[齋藤 治>齋藤治]](四代目[[親和会]]理事長・[[勘助一家]]十三代目総長) [[児玉信夫]](八代目[[波木一家]]総長) [[竹内佳広]](三代目[[中原会]]会長) [[山本豊佳]](八代目[[日野一家]]総長)- 勾留中 [[斎藤貞夫]](四代目[[親和会]]事務局長・[[田野一家]]八代目総長) [[小山 博>小山博]](二代目[[田中同人会]]会長) [[大塚 尚>大塚尚]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]慶弔委員長・[[光京家一家]]四代目総長) [[曲山憲一]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]本部長・[[稲葉一家>稲葉一家(親和会)]]八代目総長) [[酒井功芳]](四代目[[稲葉興業会]]会長) [[猪刈隆文]](四代目[[丸唐会]]常任相談役・七代目[[小柳一家]]総長) [[篠田重正]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]組織委員長・[[下馬木一家]]八代目総長) [[遠藤勝広]](四代目[[丸唐会]]常任相談役・六代目[[小名一家]]総長) [[荒井謙一]](四代目[[長者町]]会長) [[宮田康弘]]([[大和田田久保一家]]六代目総長) [[小田倉隆]](四代目[[広川会]]会長) [[田村輝典]]([[福中]]三代目総長) [[鈴木精一]](二代目[[青心会]]会長) [[宮崎英治]](十一代目[[武蔵屋一家]]総長) [[遠藤喜男]](六代目[[丸唐会]]本部長・五代目[[神谷一家>神谷一家(丸唐会)]]総長) [[浜口和秀]](二代目[[武州伊勢野一家]]総長) [[須賀祥行]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]審議委員長・[[栃木一家]]四代目総長) [[石破正大]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]風紀委員長・[[大和屋一家]]七代目総長) 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* 住吉会 [#cea6ae28] ''住吉会''(すみよしかい)は[[東京都新宿区新宿7-26-7 ビクセル新宿507号室:https://maps.app.goo.gl/eY5o646LJkkeCLrd8]]に本部を置く指定暴力団。 #ref(住吉会.jpg,right,nowrap,住吉会) ** 主要施設 [#ca013f13] #ac(h,open){{ -芝浦事務所 - [[東京都港区芝浦1-10-7:https://maps.app.goo.gl/T1g51PEVThrmHGhg7]] -住共済会館 - [[埼玉県日高市大字高萩999-2:https://maps.app.goo.gl/stycfLBycoCZuquS8]] }} ** 概要 [#odd94b04] #ac(h,open){{ -前身は''港会''・''住吉会''・''住吉連合''・''住吉連合会''・''住吉会''。 -[[道仁会]]と兄弟会であり、五代目[[工藤會]]とは親戚である。 -勢力範囲は、警察白書では八代目住吉会継承以降、北海道から九州地方まで全国規模の1都1道2府31県に勢力を持つ博徒組織。 -平常時は名称を住吉会と表記し、催し事つまり襲名並びに慶弔の書上げには、九代目住吉会と表記されている様である。 }} ** 略歴 [#hc9e0212] *** 住吉一家〜港会 [#n5542776] #ac(h,alt){{ -明治初期、[[伊東松五郎]]が東京芝浦一帯に''[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]''初代を名乗る。住吉の名称は[[伊東松五郎]]の出身地である東京日本橋住吉町(現在の日本橋人形町)からつけられた。 -1918年(大正7年)、[[中里一家]]総長・[[堺定吉>宝珠花左団次]]の若衆・[[倉持直吉]](別名・荏田村秀)が[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]二代目を継承した。 -1948年、[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]の縄張りを借りていた[[高木組>高木組(東京都)]]([[高木康太]]組長)代貸の[[阿部重作]]が[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]三代目を継承した。 -1950年、[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]の[[浦上信之]]一派(銀座警察)にGHQから団体等規正令による解散命令が発令された。 -1956年、浅草・妙清寺で営まれた[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]・[[大日本興行]]の葬儀の席で[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]・[[向後>向後睦会]]初代・[[向後平]](高円寺派)らと[[大日本興行]]会長・[[高橋輝男]](銀座派)らが銃撃戦を行い両者が死亡した(浅草妙清寺事件)。 -1958年、[[阿部重作]]の声掛けにより、博徒・[[的屋]]・愚連隊の28団体の連合体として''[[港会]]''(みなとかい)を結成。[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]貸元(代貸とも)・[[青田富太郎]](後の[[幸平一家]]十代目総長)が港会会長に就いた。 -1958年〜1959年頃、[[幸平一家]]九代目総長・[[本橋政夫]]、[[圡支田一家>土支田一家]]七代目総長・[[杉原繁雄]]、[[滝野川一家]]四代目総長・[[福原陸三]]、[[二本木小川一家]]四代目総長・[[西沢福司]]が[[友愛会]]を結成した。 -1962年、[[阿部重作]]が引退。[[阿部重作]]の兄弟分・[[磧上義朝]]の実弟で[[上萬一家]]貸元・[[磧上会]]会長・[[磧上義光]]が[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]四代目を継承した。 }} *** 住吉会〜住吉連合〜住吉連合会[#vba33540] #ac(h,alt){{ -1964年、港会は''住吉会''に改称した。[[青田富太郎]]の後に港会会長に就いていた[[磧上義光]]が住吉会会長に就いた。 -同年6月20日、[[磧上義光]]が親睦団体・[[関東会>関東親睦会]]の二代目会長に就任した。 -1965年、第一次頂上作戦により[[磧上義光]]が逮捕され、同年住吉会は解散した。 -同年、[[友愛会]]が解散した。 -1967年、[[磧上義光]]が死去。同年、[[中里一家]]四代目・[[堀政夫]]が[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]五代目を継承した。 -1969年、旧住吉会が再集結し''住吉連合''が結成。[[堀政夫]]が住吉連合代表に就いた。 -旧・[[友愛会]]の[[幸平一家]]、[[圡支田一家>土支田一家]]、[[滝野川一家]]が住吉連合に加入した。 -1972年、北関東の博徒の連合組織[[親和会>親和会(住吉会)]]が住吉連合に加入した。 -1974年、福島・茨城の博徒の連合組織[[丸唐会]]が住吉連合に加入した。 -1978年から1983年、住吉連合・[[幸平一家]]・[[池田会>池田会(幸平一家)]]が[[極東関口会>極東会]][[三浦連合会>松山連合会(極東会)]]と抗争事件を起こした(池袋抗争)。 -1979年、石巻市の[[西方]]二代目が住吉連合に加入した。 -1982年、住吉連合は''住吉連合会''に改称した。[[堀政夫]]が住吉連合会会長に就いた。 -1986年、北海道釧路市の[[三心会>富田一家]]が住吉連合会に加入した。 -1988年、[[堀政夫]]が住吉連合会総裁に退き、[[日野一家]]四代目総長・[[川口喨史]]が住吉連合会会長に就いた。 -1989年、住吉連合会傘下の[[小林会>小林会(住吉会)]]が[[寄居真会>紘龍一家]]本部を完全占拠し、抗争事件を起こした(住吉連合会と[[寄居一家>寄居]]の抗争)。 -1990年1月11日、住吉連合会本部長の[[小林楠扶]]死去。 -1990年5月未明、住吉連合会会長の[[川口喨史]]が死去。 -同年、住吉連合会理事長で、[[向後>向後睦会]]二代目・[[西口茂男]]が新会長に就いた。住吉連合会理事長に[[沼澤春男]]、総本部長に[[鈴木康夫]]体制。 -同年10月、住吉連合会総裁である[[堀政夫]]が死去。 -1991年3月、暴力団に対する法整備を改正し、暴力団新法が公布された。 }} *** 六代目[#w406df60] #ac(h,alt){{ -1991年、住吉連合会は''住吉会''に改称した。[[西口茂男]]が住吉会会長に就いた。同時に[[西口茂男]]が[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]六代目を継承し、会長代行を[[沼澤春男]]が就いた。[[西口茂男]]は組織固めの強化として、それまで連合組織であった住吉会を縦割りの直参組織に改組し、各傘下団体の長と親子・兄弟盃を交わした。 -東北地方の老舗組織を、武力制圧等は一切せず、各組織自らの意思考えで加盟を決めた組織を歓迎した。 -同年、東北地方最大の[[的屋]]組織であった[[共和会]]・[[西海家総連合会>西海家]]が住吉会に加入した。同年、[[共和会]]・[[東京盛代錦戸連合会>錦戸会]]が住吉会に加入した。 -同年、宮城県古川市の[[東京盛代盛永会>川崎会]]が住吉会に加入した。 -1992年1月、[[義人党>武蔵屋一家]]が解散し旧勢力[[武蔵屋一家]]十代目として住吉会に加入した。 -同年3月、暴対法が施行され、''[[指定暴力団]]''に指定された。 }} *** 七代目[#w406df60] #ac(h,alt){{ -1998年、[[西口茂男]]が住吉会会長を退き、[[小林会>小林会(住吉会)]]二代目・[[福田晴瞭]]が会長に就いた。 -2001年、[[二率会]]が解散し、[[二率会]]・[[東京小金井一家>小金井一家]]の新宿・[[十二社>十二社一家]]・渋谷・[[府中>府中一家]]・[[四軒寺>四軒寺一家]](吉祥寺)等の都内勢力が住吉会に加入した。 -同年8月、東京都の葬儀場で[[向後睦会]]会長・[[向後>向後睦会]]四代目・[[熊川邦男]]と[[滝野川一家]]七代目総長・[[遠藤浩司]]が[[稲川会]]・七代目[[大前田一家>前橋一家]]組員に射殺された(四ツ木斎場事件)。 -2002年9月21日、新宿区歌舞伎町の大型喫茶店「パリジェンヌ」で、午後19時頃に[[幸平一家]]十二代目組員と東北系中国マフィアが話し合いの場を持っていたのだが、話し合いが決裂、東北系中国マフィア側がテーブルに拳銃を置き、「撃ってみろ」と挑発。組員側の1人が、その拳銃に手をかけた瞬間、東北系中国マフィア側が拳銃を取り出し組員に向け一斉射撃。組員側の1人が即死、1人が重傷を負った。翌月の10月、主犯の運転手を務めた東北系中国マフィアが新宿区上落合の路上にて、全身14カ所以上の刺し傷を負った惨殺死体で発見された(パリジェンヌ事件)。 -2003年1月、[[幸平一家]]十二代目・[[矢野睦会]]組員が[[稲川会]]・[[大前田一家>前橋一家]]幹部を銃撃、巻き添えになった一般人が死亡した(前橋スナック乱射事件)。 -同年、住吉会傘下の[[親和会>親和会(住吉会)]]が五代目[[山口組]]・[[弘道会]]と抗争事件を起こした([[北関東抗争]])。 -2004年10月24日、三代目[[中村会]]幹部・[[片桐 俊>片桐俊]]が、五代目[[山口組]]・[[貴広会]]幹部2名を浅草ビューホテル内の喫茶店で射殺した(浅草発砲事件)。 -2005年、[[福田晴瞭]]が[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]七代目を継承した。 -2007年2月5日、東京港区西麻布の路上で住吉会・[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]・[[小林会>小林会(住吉会)]]三代目会長秘書・[[直井組]]組長代行・[[杉浦良一]]が、六代目[[山口組]]・五代目[[國粹会]]組員により射殺された(麻布抗争)。 -2008年、住吉会・[[伊勢野会>武州伊勢野一家]]が、六代目[[山口組]]・二代目[[小西一家]]・二代目[[堀政連合]]傘下の[[鈴木寛茂]]相談役を刺殺し、[[住吉会]]・[[三角一家]]八代目を含めた抗争事件に突入した([[埼玉抗争]]・ふじみ野抗争事件)。 -[[福田晴瞭]]は、[[住吉会]]会長、[[住吉一家]]七代目総長の要職には就いたが、組織自体の権限は高円寺([[西口茂男]])が実権を把握していた。[[住吉連合会]]前本部長で早世した[[小林楠扶]]への義理立てだったのかもれないが、[[住吉会]]八代目を、高円寺は成田に継承させ、銀座を特別相談役にさせた。 }} *** 八代目[#w406df60] #ac(h,alt){{ -2014年、[[住吉会]]会長代行・六代目[[共和一家]]総長・[[関功]]が会長に就いた。 -2017年9月、高円寺・[[西口茂男]]が死去。通夜告別式は西口家の意向により、身内のみの完全密葬で執り行われた。 -特殊詐欺事件が頻発し、逮捕された犯人グループに組員も加担してる事件が目立ち始め、組織犯罪処罰法と犯罪収益処罰法の適用、使用者責任として数億単位で損害賠償を求められる訴訟が多くなった。 -2019年頃から、東京都多摩地区、新宿区歌舞伎町、神奈川県北東部・湘南地域・群馬県中部・西部地域で住吉会・十三代目[[幸平一家]]系と[[稲川会]]系二次団体との衝突が頻発し、両組織による発砲事件や殺害事件に発展していく。 -2021年2月、十三代目[[幸平一家]]総長・[[加藤英幸]]の尽力により、[[道仁会]]四代目会長・[[小林哲治]]と、八代目[[住吉会]]会長・[[関功]]が熟慮協議を重ね、九州親睦団体・[[四社会]]承認のもと、業界初となる[[道仁会]]と住吉会は「五分の兄弟会」の親戚縁組を交わした。首領三名と[[四社会]]の粘り強い協議の結果八代目[[住吉会]]の発展改革を実現させたが、負の遺産として次世代への継承を拒み続け、それでも[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]の総長職を誰にも譲らず頑として退かない[[福田晴瞭]]を、権限無しで一人親方のまま完全格下げを幹部総会で決定、[[関功]]は会長職を退き[[住吉会]]では一代限り代表へと就いた。ここで九代目[[住吉会]]へ移行する。 }} *** 九代目[#w406df60] #ac(h,alt){{ -2021年4月20日、新役員改正と組織改革により、[[関功]]が会長から一代限り代表となった。主な特徴として代表職、代理職を新設し、事実上住吉会は代表、代理、役員のみで構成される組織となり、外部からも分かりずらい組織形式となった。その理由が、組織の若返りは理解しつつも、己の[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]七代目総長の立場は頑として誰にも譲らせない[[福田晴瞭]]により、古今大住吉の象徴としていた[[住吉一家>住吉一家(住吉会)]]を完全に切り離し格下げされた。 その事から、主要なる象徴は一代限り[[住吉会]]代表、絶対的中核組織を[[小川修司]](七代目[[共和一家]]総長)が九代目住吉会会長として襲名した。 -同年5月13日、七代目[[共和一家]]本部にて、住吉会・[[道仁会]]・五代目[[工藤會]]での懇親会が行われた。現在勾留中の[[野村悟]]総裁、[[田上文雄]]会長、[[菊池啓吾]]理事長の代理として、五代目[[工藤會]]最高幹部が出席した。 -同年10月20日、同年4月から[[小川修司]]会長の住吉会体制となっていたが、新型コロナ感染拡大や東京オリンピックなどに配慮していた「九代目住吉会会長代目継承盃」の儀式が、警視庁、千葉県警、埼玉県警の私服捜査員が20人ほど敷地内で待機し、厳戒態勢の中で埼玉県日高市の関連施設にて執り行われた。 -2022年5月31日午前、千葉県いすみ市内の別荘で、静養中であった代表・[[関功]]が倒れているのを世話人が発見、千葉県内の病院に救急搬送されたが、医師の懸命な処置を施したが、同日正午過ぎ脳溢血によりに死亡が確認された。享年76歳。 -同年6月3日・4日・5日、[[共和一家>共和一家(住吉会)]]本部で[[関功]]の住吉会葬儀が営まれ、全国27団体の組織代表や最高幹部らが参列した。 3日は東日本の主要組織を中心に多くの組織からトップが弔問に訪れ、4日には西日本を中心とした多くの主要組織のトップらが参列した。 出迎えには住吉会、[[共和一家>共和一家(住吉会)]]ともに後継となった会長・[[小川修司]]が中心となり、2日間にわたり全国の首領が集結する盛大な葬儀となった。5日は住吉会会葬とし、盛大に関を送り出した。 -同年7月20日、埼玉県日高市の関連施設にて[[関功]]の四十九日法要が執り行われ、会長・[[小川修司]]をはじめ、執行部を含む幹部ら約350人が参列した。 -2023年6月20日、九代目住吉会継承披露書状には、執行部が刷新される大型新人事を発表。新役員改正により、一代限りの代理職を廃止し、九代目住吉会会長を頂点とした体制を強化した。 -古くからの連合体意識が残る組織から組織一本化へと強化を図る為、一家一門が協議し、会長・[[小川修司]]と、各一家の当代が舎弟、親子盃を執り行う方向で合意した。 -同年9月18日、埼玉県日高市の関連施設で、''親 九代目住吉会会長・[[小川修司]]''と、上席含め盃無し10名・舎弟8名・若中59名・参与2名による義兄弟・親子血縁盃儀式が執り行われた。 -2024年10月17日未明、[[指定暴力団]]・[[住吉会]]が本部事務所を置く東京都新宿区新宿のマンション2部屋について、東京地裁(吉川健治裁判長)は、組員らの使用を禁じた仮処分決定に違反した場合、1日当たり100万円の間接強制金を支払うよう[[住吉会]]側に命じる決定を出した。 }} ** 系譜 [#m2419938] 初 代 - [[伊東松五郎]](日本橋住吉町貸元) 二代目 - [[倉持直吉]](初代[[中里一家]]若衆) 三代目 - [[阿部重作]](芝浦[[高木組]]代貸) 四代目 - [[磧上義光]](旧[[住吉会]]会長・[[磧上会]]会長) 五代目 - [[堀 政夫>堀政夫]]([[中里一家]]四代目総長) 六代目 - [[西口茂男]]([[向後>向後睦会]]二代目会長) 七代目 - [[福田晴瞭]]([[小林会>小林会(住吉会)]]二代目会長) 八代目 - [[関 功>関功]](六代目[[共和一家>共和一家(住吉会)]]総長) 九代目 - [[小川修司]](七代目[[共和一家>共和一家(住吉会)]]総長) ** 九代目住吉会組織図 [#hc9e0212] *** 会長 [#c0a5840d] [[小川修司]] *** 上席役員 [#hc9e0212] 特別相談役 - [[加藤英幸]](十三代目[[幸平一家]]総長) 特別会長補佐 - [[児島秀樹]]([[京王会]]会長) *** 最高幹部六役[#c0a5840d] 会長代行 - [[小坂 聡>小坂聡]](十三代目[[幸平一家]]総長代行) 理事長 - [[藤生一男]](九代目[[大前田一家>大前田一家(住吉会)]]総長) 幹事長・東京西南地区統括長 - [[津波宏志]](六代目[[向後睦会]]会長) 本部長・東京城北地区統括長 - [[近藤耀靖]](二代目[[東京共和会]]会長) 総務長 - [[相良福一]](三代目[[小林会>小林会(住吉会)]]代表) 組織統括長 - [[入里林一]](十三代目[[幸平一家]]幹事長) *** 執行役員[#c0a5840d] 組織委員長・東関東地区統括長 - [[大多和賢治]](八代目[[共和一家>共和一家(住吉会)]]総長) 渉外委員長 - [[金 亨東>金亨東]](十三代目[[幸平一家]]筆頭幹事長補佐) 統括委員長・北海道・東北地区統括長 - [[水戸龍哉]](九代目[[西海家>西海家(住吉会)]]総長) 運営委員長・埼玉地区統括長 - [[時田康雄]](六代目[[川越平塚一家]]総長) 総務委員長・北関東地区統括長 - [[田中政明]](初代[[田中会>田中会(住吉会)]]会長) 諮問委員長 - [[時田雅章]](四代目[[中村会>中村会(住吉会)]]会長) 審議委員長 - [[高瀬輝明]](七代目[[領家一家>領家一家(住吉会)]]総長) 風紀委員長 - [[河本正宝]](初代[[四軒寺一家]]総長代行) 懲罰委員長 - [[稲葉和三]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]幹事長・[[山越一家]]八代目総長) 事務局長・東京城東地区統括長 - [[松山博文]](六代目[[江島一家]]総長) 事務長 - [[仁木昌弘]](六代目[[鶴川一家]]総長) *** 最高顧問 [#c0a5840d] [[福田晴瞭]]([[住吉一家]]七代目総長) *** 特別常任相談役 [#l15f0638] [[長久保征夫]](三代目[[青田会]]会長・初代[[府中一家]]総長) [[永井 實>永井實]](六代目[[中里一家]]総長) [[村田吉弘]](初代[[四軒寺一家]]総長) [[佐藤鉄栄]](十三代目[[幸平一家]]総長舎弟・上板橋貸元・[[佐藤睦会]]会長) *** 舎弟 [#g73f9f1e] [[内山文男]](六代目[[丸唐会]]会長相談役、六代目[[大塚一家]]総長) [[関 秀夫>関秀夫]](四代目[[牧友睦]]会長) [[中野 勉>中野勉]](六代目[[奥州山口一家]]総長) [[山口 徹>山口徹(武州前川一家)]](十代目[[武州前川一家]]総長) [[高橋勝郎]](二代目[[西和一家]]総長) [[洗 亨>洗亨]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]会長) [[井桁勇司]](八代目[[馬橋一家]]総長) *** 執行幹部 [#v1b936a8] 代行補佐 - [[上﨑将貴>上崎将貴]](二代目[[十二社一家>十二社睦会]]総長) 代行補佐 - [[山川光則]](四代目[[稲毛一家]]総長) [[岩田光芳]](九代目[[三角一家]]総長) [[松戸一郎]](三代目[[大日本興行]]会長) [[山田 孝>山田孝(丸唐会)]](六代目[[丸唐会]]会長) [[福田孝夫]](六代目[[丸唐会]]会長代行・二代目[[國分睦]]総長) 会長付 - [[鎌田俊昭]](四代目[[中村会>中村会(住吉会)]]会長代行) 会長付 - [[土屋研二]](十三代目[[幸平一家]]筆頭代行補佐・[[加藤連合会]]本部長、[[聡仁組]]組長) 会長付 - [[柴田智生]](三代目[[沼澤会]]会長) 会長付 - [[小島 洋>小島洋]](八代目[[平塚一家>平塚一家(大宮)]]総長) *** 直参 [#oad14efe] [[梅田幸三]](四代目[[花田会]]会長) [[鈴木義治]]([[鈴木組>鈴木組(住吉会)]]組長) [[明 南秀>明南秀]](九代目[[滝野川一家]]総長) [[杉沼 登>杉沼登]](七代目[[廣瀬一家]]総長) [[桑子利雄]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]会長代行・[[須永一家]]十二代目総長) [[渡辺幸雄]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]渉外委員長・[[泉一家]]八代目総長) [[山野井保夫]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]懲罰委員長・[[武士一家]]八代目総長) [[渡辺進次]](八代目[[音羽一家]]総長) [[山内 登>山内登]](十代目[[山ヶ井戸一家]]総長) [[齋藤 治>齋藤治]](四代目[[親和会]]理事長・[[勘助一家]]十三代目総長) [[児玉信夫]](八代目[[波木一家]]総長) [[竹内佳広]](三代目[[中原会]]会長) [[山本豊佳]](八代目[[日野一家]]総長)- 勾留中 [[斎藤貞夫]](四代目[[親和会]]事務局長・[[田野一家]]八代目総長) [[小山 博>小山博]](二代目[[田中同人会]]会長) [[大塚 尚>大塚尚]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]慶弔委員長・[[光京家一家]]四代目総長) [[曲山憲一]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]本部長・[[稲葉一家>稲葉一家(親和会)]]八代目総長) [[酒井功芳]](四代目[[稲葉興業会]]会長) [[猪刈隆文]](四代目[[丸唐会]]常任相談役・七代目[[小柳一家]]総長) [[篠田重正]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]組織委員長・[[下馬木一家]]八代目総長) [[遠藤勝広]](四代目[[丸唐会]]常任相談役・六代目[[小名一家]]総長) [[荒井謙一]](四代目[[長者町]]会長) [[宮田康弘]]([[大和田田久保一家]]六代目総長) [[小田倉隆]](四代目[[広川会]]会長) [[田村輝典]]([[福中]]三代目総長) [[鈴木精一]](二代目[[青心会]]会長) [[宮崎英治]](十一代目[[武蔵屋一家]]総長) [[遠藤喜男]](六代目[[丸唐会]]本部長・五代目[[神谷一家>神谷一家(丸唐会)]]総長) [[浜口和秀]](二代目[[武州伊勢野一家]]総長) [[須賀祥行]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]審議委員長・[[栃木一家]]四代目総長) [[石破正大]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]風紀委員長・[[大和屋一家]]七代目総長) [[浜崎利昭]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]渉外委員長・[[羽黒一家]]六代目総長) [[奥山孝史]](十代目[[圡支田一家>土支田一家]]総長) [[五十嵐裕敏]](四代目[[親和会>親和会(住吉会)]]委員長補佐・[[大島一家>大島一家(親和会)]]十代目総長) [[鈴木喜之]](五代目[[野田一家]]総長) [[徳田 豊>徳田豊]](十代目[[弥根家一家]]総長) [[岩本政男]]([[岩本組>岩本組(住吉会)]]組長) *** 参与 [#y90783cd] [[小倉正治]](六代目[[江島一家]]代表) ** 友好組織[#wd2c6120] ■ [[道仁会]] - 五分の兄弟会 ■ 五代目[[工藤會]] ■ [[関東親睦会]] ■ [[極東会]] ■ 九州親睦団体・[[四社会]] ** 検索用 [#ied897ee] #ac(h,alt){{ 住吉連合会、住吉連合、住吉一家、港会 }} ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~
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