#author("2024-10-22T21:59:02+09:00;2024-04-28T22:26:00+09:00","","") #author("2024-10-22T21:59:15+09:00;2024-04-28T22:26:00+09:00","","") *鈴木勝蔵 [#i53abce4] &size(16){''鈴木勝蔵''(すずき かつぞう、通称・坊主勝)は幕末の侠客、博徒。}; ''鈴木勝蔵''(すずき かつぞう、通称・坊主勝)は幕末の侠客、博徒。 **略歴 [#n1ad1ce2] -庵原郡富士川町岩淵の人。 -坊主勝は岩淵の遊人で、[[岩淵源七]]とは仲が悪かった。 -ある時、蒲原の海岸で果し合いをし、坊主勝が一刀を抜き源七は手拭を出して両端に石を包み「とつこ」を作ってブンブン振回し「これでいい、さぁ来い」と立向かった。然し脇差と「とつこ」では問題にならない源七はたちまち全身に疵を負って倒れた。 あとで調べたら三十七ヵ所も斬られていたという。源七の度胸に恐れ入った坊主勝が弟分にしてくれと折れて出た。 -その後坊主勝は、遠州[[山梨巳之助]]のところに寄食し、[[森ノ五郎>森五郎八]]の娘を女房にして顔を売ると、岩淵に戻り源七と協力し、岩淵、蒲原、由比、本市場、元吉原、吉原と富士、庵原の二郡にわたって賭場があったという。 -坊主勝の墓は富士市今泉の法雲寺にあるが、墓には鈴木小市、妻かね、鈴木種吉、下野国豊吉、遠江国勝蔵墓と刻んであるだけで、法雲寺の過去帳にも勝蔵の戒名や歿年は記録がない。 -鈴木小市は[[大場一家]]貸元[[今泉小市]](明治15年歿)で、墓左側面の多作、吉兵エ、幸吉の三人は[[今泉小市]]の子分。鈴木種吉、下野国豊吉については判らない。 -[[遠江勝蔵]]は鈴木勝蔵か。 ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する時は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~