#author("2023-02-28T20:53:37+09:00","","") #author("2024-10-26T18:47:39+09:00;2024-04-28T22:26:00+09:00","","") * 紅幇 [#re9b24d3] &size(16){''紅幇''(ホンパン)は中国の秘密結社(上海[[黒社会]])。同時期に存在した[[青幇]]と対のようにいわれる民間発祥の秘密結社。 }; ** 概要 [#c12b983d] -広義の紅幇は、''哥老会''と''天地会''の2つの幇会の総称となっているが、狭義には長江中下流域の哥老会に限定して呼ばれる場合が多い。 -一般社会では[[青幇]]と区別するため、哥老会を紅幇と呼んだ。 ** 略歴 [#vf341b96] -''天地会''は乾隆帝の時代、主に華南を中心に東南アジアにかけて客家の地域で発展した。 -1786年、台湾の羅漢党による林爽文の乱により、天地会の存在は内外に知れ渡った。 -''哥老会''は清朝前半期、四川省を中心とした内陸部に起こった沿海部から流入した移民と、土着の組織が融合したものとも、内陸部の水運業者が母体となったとも言われ、白蓮教徒の乱を経て哥老会として成立した。 太平天国の乱の際に反革命軍の湘軍・淮軍のなかには哥老会が多く含まれ、乱の終結とともに解散した兵士たちの助力によって、長江中下流域に勢力を拡大していった。 やがて哥老会は、長江下流域や大運河帯を巡って、糧船水手など他の幇会と抗争をするようになった。 -19世紀半ば、内陸水運が衰退しはじめ、紅幇の経済基盤はアヘンの流通に移っていった。 -諸情勢の変化から、[[青幇]]との共存や連携の関係が生まれる。 -1899年、[[青幇]]の首領・徐宝山と、紅幇の首領・任春山が異姓兄弟の結拝を行い、互いが相手の幇に入会するに至った。 -辛亥革命を経て、四川の哥老会系紅幇は軍閥化への道をたどる。 日中戦争において、蔣介石が重慶に政府を移したとき、多くの哥老会系紅幇が政府に協力した。 一方、上海の天地会系紅幇は小刀会起義以後勢力が衰え、[[青幇]]に併呑された状態となった。 ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 ※誹謗中傷や悪戯、あらし行為、悪質な売名行為、他サイトの宣伝などは厳禁とします。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -編集を依頼される場合、他のユーザーに編集協力を依頼する時は下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 運営宛に編集依頼する時は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【このページの編集依頼】 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~