#author("2024-12-22T10:40:12+09:00","","") #author("2024-12-22T10:55:10+09:00","","") * 砂子川組 [#f293b2f8] ''砂子川組''(すなこがわぐみ)は大阪府守口市滝井町2-25-3に本拠を置いた博徒系暴力団。 ** 略歴 [#d5275ca1] ***初代 [#ef2592d4] -明治4年11月3日、西村伊三郎が深草村西村伊兵衛とステの長男に生れる。 西村伊三郎は、相撲取りで四股名を砂子川といった。 -明治37年、日露戦争の二〇三高地の戦いで西村伊三郎率いる砂子川一家の五十数人が軍夫として働き、陸軍からその功労賞として陸軍の印の山形印を貰い、砂子川一家の代紋とした。 -[[会津小鉄会]]初代・[[上坂仙吉>会津小鉄(人物)]]の子分で、[[いろは会]]初代・[[いろは幸太郎]]の舎弟または子分であった。 -兄弟分には、大阪の松島小寅こと[[直嶋寅蔵]]、岸和田の糸ヶ浜こと伊東由松、神戸の富永亀吉。 -[[大阪国粋会>國粹会]]初代会長を務める。 -九条寅一家・山本丈之助の娘(妹の子)とみと結婚する。 -九条寅こと木村寅吉墓に山本丈之助内[[砂子川伊三郎]]とある。 -伏見区藤ノ森神社にある蒙古塚に寄附者砂子川こと[[西村伊三郎>砂子川伊三郎]]とある。 -大正9年1月15日歿、行年50歳。墓所は京都市伏見区の宝塔寺。 ***二代目 [#h3857456] -砂子川二代目は稲荷庄助こと山崎庄助が伊三郎歿後の昭和18年に継承。 -稲荷庄助は伏見稲荷の近くに住んでいた。 -昭和28年、引退。 ***三代目 [#i862782d] -三代目は稲荷庄助の舎弟で[[山岡組]]・山岡豊吉の子分で一家違いであったが、二代目の再三再四の説得もあって、岡田卯一郎が継ぐ。 -岡田卯一郎は明治35年8月10日、八幡市橋本町に岡田豊二郎(砂子川伊三郎の子分)の伜として生れ、初代砂子川[[西村伊三郎>砂子川伊三郎]]の妻の養父・山本丈之助の兄弟分麦音の伜・米友の子分山岡豊吉の子分であったが、二代目稲荷庄助が昭和28年に引退し庄助の再三再四の説得もあって、成田不動尊本殿にて大安で無く仏滅の日を選んで盛大に、三代目砂子川を襲名披露する。 -兄弟分には、京都の三代目[[会津小鉄]]会長・[[図越利一]]、下関の[[合田一家]]総長・[[合田幸一]]、大阪の三代目[[中政組>中政組(大阪府)]]組長・末広勝郎。 -舎弟に、[[い聯合]]・[[池田大二郎]]。 -昭和53年11月引退、四代目は若頭の山本英貴が継承する。 ** 系譜 [#r8093fd9] 初 代 - [[砂子川伊三郎]] 二代目 - 山崎庄助 三代目 - 岡田卯一郎 四代目 - 山本英貴 五代目 - 山崎 満 ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 - 伊三組 -- &new{2024-12-22 (日) 10:31:51}; - 伊三組 -- &new{2024-12-22 (日) 10:33:09}; - 伊三組 -- &new{2024-12-22 (日) 10:40:12}; #comment ~