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*  田村武志 [#le2cd450]
''田村武志''(たむら たけし 1931年-2001年10月18日)は日本のヤクザ。指定暴力団・五代目[[山口組]]若中、二代目[[誠友会>誠友会(山口組)]]会長、[[田村組>田村組(誠友会)]]初代組長。
** 人物 [#bdb01991]
-北海道亀田郡七飯村大中山の出身。
-実父は、戦前の北海道の博徒組織「[[丸茂一家]]」系の親分で函館貸元・田村勘五郎。
-田村武志は7人兄弟の長兄で、四代目[[誠友会>誠友会(山口組)]]で最高顧問を務めた「二代目[[田村組>田村組(誠友会)]]」組長・[[田村一夫]]は実弟。
** 略歴 [#tbf70248]
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-初代北海道誠友会(旧[[柳川組>柳川組(山口組)]]北海道支部)副会長、二代目北海道誠友会会長。

-北海道一の大親分と言われた[[会津家>會津家]]一家小高初代・小高龍湖こと小高孫吉のもとで一家名乗りした長岡宗一(通称・ジャッキー)の若い衆として稼業入り。
-長岡宗一の実子分であった田村武志は、[[石間春夫]]とのトラブルから、時間と場所を決めて決闘することになった。
大人数で待ち構えていた[[石間春夫]]に対し、田村武志は舎弟1人を連れて指定された場所に乗り込んだ。
[[石間春夫]]は、たった2人で決闘の場に来た田村武志を気に入り、決闘を中止して2人は仲良くなった。

-長岡宗一は小高一門でも最大勢力を誇る実力者だったが、小高と折り合いが悪くなり、長岡宗一が逆破門状を出して独立し、長友会を結成。
小高龍湖も破門状を出し、長岡宗一は道内のヤクザを敵にまわした。
*** 北海道同志会を結成
-長岡宗一は北海道の愚連隊の統一を図るべく、長沼町に勢力を持つ[[石間春夫]]一派と砂川市の谷内二三男一派と手を結び、「北海道同志会」の結成を目論んだが、[[石間春夫]]とは面識が無かったため、長岡実子分の田村武志がパイプ役となった。
[[石間春夫]]は、田村武志から「長岡と兄弟分に」との話を聞き、「俺は長岡という人間は知らないが、実子(田村武志)が望むなら構わないよ」と快諾し、長岡宗一、[[石間春夫]]、谷内二三男が五分の兄弟盃を交わし、「北海道同志会」を結成した。
*** 柳川組へ加入
-1962年(昭和37年)暮れ、長岡宗一、[[石間春夫]]、谷内二三男は、三代目[[山口組]]・[[柳川組>柳川組(山口組)]]組長・[[柳川次郎]]の舎弟となり、「長岡宗一の自宅兼事務所に「[[柳川組>柳川組(山口組)]]北海道支部」として北海道で初めて[[山口組]]の代紋を掲げ、支部長には長岡宗一が就任した。
-1963年(昭和38年)秋、長岡宗一は札幌北警察署に覚醒剤取締法違反で逮捕され、罰金50万円・懲役2年6ヶ月の実刑判決を受け、釧路刑務所に服役。
*** 柳川組の解散
-1969年(昭和44年)4月8日、服役中の[[柳川次郎]]が、二代目[[柳川組>柳川組(山口組)]]組長・[[谷川康太郎]]を大阪刑務所で解散の同意を取り付け、[[山口組]]本家に無断で[[柳川組>柳川組(山口組)]]を解散した。
-谷内二三男は独断で脱退を決め、源清田一家・萩原敬士の舎弟となり、萩原敬士や源清田一家長江四代目・塚本修翠、本郷清らを通して、小高龍湖に詫びを入れ許された。
*** 北海道誠友会
-1970年、谷内二三男は、旧「[[柳川組>柳川組(山口組)]]北海道支部」を「北海道誠友会」と改称。
谷内二三男が会長、田村武志が副会長に就任。[[石間春夫]]は服役中だったため、相談役となった。
北海道誠友会は「[[山口組]]とは縁を持たない」という条件で、北海道のヤクザ組織から設立を認められた。
-同年6月、[[石間春夫]]は、宮城刑務所からの出所前日に、[[柳川組>柳川組(山口組)]]が既に解散していること、小高龍湖の肝煎りで「北海道誠友会」が結成され、会長に谷内二三男が就任したこと、自分が相談役になっていることを知り、すぐに北海道誠友会から脱会、旧[[柳川組>柳川組(山口組)]]北海道支部幹部らとともに「北誠会」を結成した。
-その後、谷内二三男は病気で引退。二代目北海道誠友会会長に田村武志が就任した。
*** 初代誠友会の結成
-1970年(昭和45年)、北誠会会長・[[石間春夫]]と、二代目北海道誠友会会長・田村武志は「北誠会」と「北海道誠友会」を統合して独立組織「''[[初代誠友会>誠友会(山口組)]]''」を結成、総長に[[石間春夫]]、総長代行に田村武志が就任した。
-1990年(平成2年)1月4日午後4時すぎ、[[石間春夫]]が[[初代誠友会>誠友会(山口組)]]本部から帰宅途中、北海道神宮近くで[[共政会]]系維新天誅会会員2名に射殺された。
*** 二代目誠友会
-同年4月、田村武志が[[誠友会>誠友会(山口組)]]の二代目を継承し、[[誠友会>誠友会(山口組)]]に於いて総長名乗りは[[石間春夫]]一代限りとした事から、田村武志は総長を名乗る事なく会長とし、五代目[[山口組]]直参に昇格。
以降、[[誠友会>誠友会(山口組)]]の総長名乗りは初代・[[石間春夫]]のみとされる。
-2001年(平成13年)10月18日、田村武志が病死。69歳没。
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