#author("2024-11-13T02:03:45+09:00;2024-11-12T22:41:34+09:00","","")
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* 浜田会 [#w6d72356]
''浜田会''(はまだかい)は福岡県大川市大橋に本部を置いた暴力団。
** 略歴 [#x23b446c]
-昭和30年代に、福岡県久留米市の浜田組組長の甥が福岡県大川市で''浜田興産''を結成。覚醒剤の密輸・密売をシノギとしており、大規模密輸事件や密造事件などに関連していた。
-福岡県内及び佐賀県に勢力を拡大。浜田興産と浜田組が合併し''浜田会''に改称。久留米市の浜田組、大川市の小川組、柳川市の鳥巣組などを傘下に置き、昭和50年代の最盛期には、約300名の構成員を誇っていた。福岡県筑後地方の大川、柳川では圧倒的な勢力を誇り、甘木、久留米、筑後、大野城、八女、福岡市内、佐賀市内にも傘下組織を有していた。会長は尾道[[俠道会>侠道会]]初代・[[森田幸吉]]、久留米[[道仁会]]初代・[[古賀磯次]]、穂波町[[九州侠友連合会]]会長・[[定岡英二]]らと兄弟分であった。
-昭和55年、大野城[[友松会]]と抗争。
-昭和58年、佐賀[[石川一家]]と抗争。
-昭和60年、田川[[太州会]]と抗争。
いずれの抗争でも死者を出す。特に[[石川一家]]との抗争は激しく、双方に多数の死者を出した。この[[石川一家]]との抗争の手打ち式には、九州全土の代紋頭が集まっており、九州全土の親分が集まった手打ち式は、このほかには[[山道抗争]]のみである。平成に入った頃から組員の流失が相次ぐ。
-平成8年、浜田会の覚醒剤密造を内定していた福岡・宮崎・熊本各県警が、同会会長の関連会社の所有する宮崎県内の施設を捜索する。
-2001年頃まで約50名ほどで組織運営されていたが、有力幹部の死去や会長の体調不良などが重なり2003年に解散。解散後は[[古賀圭輔]]が[[道仁会]]・[[松尾組>松尾組(道仁会)]]・[[小林組>小林組(道仁会)]]に加入。
** 系譜 [#f2ee7ada]
初 代 - 浜田義弘
** 浜田会組織図 [#d4ff91b8]
会 長 - 浜田義弘こと大隈善人
理事長 - 小川美吉
舎 弟 - 鳥巣元広
舎 弟 - 古賀 稔
相談役 - 古賀繁實
理事長補佐 - 浦 盛隆
事務局長 - 古賀曙實
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