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#author("2024-10-18T12:59:32+09:00;2024-07-24T04:58:43+09:00","","")
* 江戸屋一家 [#b73a6d71]
''十一代目江戸屋一家''(えどやいっか)は[[群馬県館林市青柳町1600-14:https://maps.app.goo.gl/4etkTThVDsy5AAX3A]]に本部を置く暴力団で、指定暴力団・[[稲川会]]の元二次団体。旧・''虎五郎一家''。
#ref(稲川会/稲川会.jpg,right,nowrap,画像)
** 略歴 [#fce546f9]
#ac(h,open){{
-[[江戸屋虎五郎]]は、文化11年(1814)1月5日、武蔵国新座郡岡村(現朝霞市)に生まれる。
若い頃に入間郡藤久保の相撲取上りの親分、[[獅子ヶ嶽重五郎]]こと仲野重五郎の子分となるが、親分重五郎の女房おたきの実弟・萬吉を殺し、遠州・三河・甲州と旅をして館林に逃げて来て、[[香具屋一家]]・[[香具屋彌七]]こと栗原彌七のところに厄介になっていた。
[[江戸屋虎五郎]]の男らしさに惚れたのが、香具屋の兄弟分[[江戸屋兵右衛門]]こと岡安兵右衛門で虎五郎を娘のチカの婿養子にした。
虎五郎は[[大前田栄五郎]]の舎弟分で、兄弟分には三島の[[大場久八]]、佐野の[[京屋元蔵]]、舎弟分には三州の八尾ヶ嶽宗七([[保下田久六]])らがいた。虎五郎跡目は柴田三吉が継ぐ。
[[大前田栄五郎]]墓に大世話人タテハヤシ・寅五郎、[[間之川又五郎]]碑に周旋・岡安虎五郎、足利市野田にある不名の碑に上州館林町・寅五郎と刻銘あり、[[大前田一家]]に伝わる栄五郎の位牌の中にあるヘギ板に小林虎五郎、明治28年10月20日歿とあるので虎五郎の旧姓は小林虎五郎だと思われる。
虎五郎の墓の台石には、[[間之川一家>間ノ川一家(群馬県)]]、[[京屋一家>光京家一家]]、[[大前田一家]]、[[香具屋一家]]、[[上州小金井一家]]、[[太田一家]]、[[広瀬一家]]の貸元と虎五郎の子分、計67名の刻銘がある。
-1951年9月18日、江戸屋虎五郎一家として団体等規正令に指定。当時の親分は六代目・柏木渡。名跡が途絶える。
-2007年頃、[[石井堅三郎]]が十代目を継承。
-2017年頃、[[鈴木孝広]]が十一代目を継承。
-2024年、[[鈴木孝広]]が破門。
}}
** 江戸屋一家系譜 [#p7597cc5]
初 代 - [[江戸屋兵右衛門]]こと岡安兵右衛門
二代目 - [[江戸屋虎五郎]]こと岡安虎五郎
三代目 - [[柴田三七]]
四代目 - [[大黒屋喜三郎]]こと堀越喜三郎
五代目 - [[谷津元吉]]
六代目 - [[木村市蔵]]
七代目 - [[茂木慶次郎]]
八代目 - [[針ヶ谷荘吉]]
九代目 - [[柏木 渡>柏木渡]]
十代目 - [[石井堅三郎]]([[稲川会]]直参)
十一代目 - [[鈴木孝広]]([[稲川会]]直参)
** 十一代目江戸屋一家組織図 [#s1800683]
総 長 - 空 席
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