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* 横川三之助 [#t4690245]
''横川三之助''(よこかわの さんのすけ、本名・関綱吉)は幕末から明治の侠客、博徒。[[新井一家]]四代目。
''横川三之助''(よこかわの さんのすけ、別名・玉木三之助、本名・関綱吉)は幕末から明治の侠客、博徒。[[新井一家]]四代目。
** 略歴 [#z21166e4]
-現在の群馬県碓氷郡松井田の人。
-天保8年(1837年)または天保14年(1843年)、関倉右衛門の三男に生まれる。
-[[新井一家]]三代目・[[山田丈之助>土塩城之助]]の子分となる。
-警察の密偵の藤田錠吉というものがいた。これと相識の間柄であった。
錠吉は綱吉をたぶらかして、自由民権党の集会に兇器を携えて加わった罪を、自首すれば罪を軽い刑にするといった。
判決は重禁錮10年の重罪が申し渡された。それに子分の[[町田鶴五郎]]と[[神宮茂十郎]]が怒り、ある夜錠吉の家に放火した。かねて、報復を予想していた錠吉は日本刀をもって躍り出し、鶴五郎と格闘となり助太刀に出た茂十郎がわきから錠吉に斬りつけ重傷を負わせた。
同じく重傷の鶴五郎を茂十郎は肩にかけて逃げたが、途中で鶴五郎は絶命した。錠吉も三日後に没す。
茂十郎は東京で逮捕され重懲役9年を言い渡された。 
-綱吉は脱獄して子分を集め、親分の[[土塩城之助]]と一緒に群馬事件に加担したが、失敗に終わり捕らえられた。


-別名・玉木三之助ともいい、信州や岐阜県にある[[玉木一家]]とも関係が深かったとされる。
-綱吉は晩年眼病を患い威勢は無かった。
-明治37年5月31日没。行年67歳。墓所は群馬県碓氷郡松井田町横川の稲荷神社境内。
-明治37年5月31日病没。行年67歳。墓所は群馬県碓氷郡松井田町横川の稲荷神社境内。
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