#author("2024-09-08T09:04:22+09:00","","")
#author("2024-10-18T21:58:28+09:00;2024-09-08T09:04:22+09:00","","")
* 松阪米太郎 [#h187d74d]
''松阪米太郎''(まつさかの よねたろう、別名・神谷米太郎、本名・紙谷重太郎または紙谷重次郎、1842年-1895年7月4日)は幕末の侠客、博徒。[[伊勢紙谷一家>紙谷一家(弘道会)]]初代。[[吉良仁吉]]の子分。
** 略歴 [#zfdef25c]
#ac(h,open){{
-北伊勢に神谷米太郎なる者あり。一志郡奥津村(美杉村)の出身。
-天保13年(1842年)1月15日、紙谷重兵衛の長男に生まれる。
-人形使いからヤクザの道に入る。遠州浜松に住んでいたといわれる。
-明治7、8年頃、津に移り[[黒田屋一家]]喜代造の跡目を継いで''藤枝米太郎''」と称した。貸座敷「山半」を経営した。
-のちに松坂に移り妓楼を開業し、''松坂米太郎''と呼ばれた。
-[[吉良一家]]四代目・[[吉良勘造>吉良勘蔵]]の舎弟分なる神谷米太郎の創始する処にして、米太郎は明治の初年、伊勢の国に赴き、同地の親分[[黒田屋一家]]喜代造([[祐蔵>黒田屋勇蔵]]か)の跡目を相続し、松阪町に住せしが、自己の姓を以って家名とし、神谷一家([[紙谷一家]])を名乗れり。
-寺の過去帳には紙屋重次郎、[[清水次郎長]]香典帳には神谷十次郎とある。また東京[[神山栄五郎]]墓に世話人伊勢松阪・山本米太郎とある。
-[[久居才次郎]]六分、米太郎四分の兄弟分。子分には[[松永富五郎]]、[[一身田勘五郎]]、[[塩浜治郎助]]、[[上野鉄五郎]]などがいた。
-[[吉良一家]]二代目親分[[藤村馬之助]]([[寺津間之助]]か)の食客となる。
-当時幡豆郡寺津村に天野と称する有力な半稼師あり、その実子[[天野良蔵>天野稲次郎]]が実父の妾と通じて父の怒りを買う。天野は神谷米太郎に息子良蔵の殺害を依頼する。
-神谷米太郎は良蔵に見所ありとして旅費を与え、自己の故郷伊勢に落とし、良蔵を殺害したと偽った。
-伊勢に落ちた良蔵は亡魂竹または[[天野稲次郎]]と称して北伊勢を抑え、伊賀国にまで勢力を伸ばした。
-良蔵は恩人である神谷米太郎を迎えて初代親分として''[[神谷一家]]''を興した。
-[[穴太徳次郎]]が荒神山観音寺で賭場を開催した際に出席を拒絶した。
-[[荒神山の喧嘩]]及びその手打式に参加している。
-明治28年7月4日没。享年54歳。墓所は三重県松阪市仲町の法久寺。
-跡目は[[天野稲次郎]]が継ぐ。
-三女の「まさ」は映画説明家駒田好洋の妻となった。
}}
----
-この項目は書きかけ項目です。
-役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正にご協力ください。
''※誹謗中傷や悪戯、荒らし行為、悪質な売名行為、他サイトの宣伝などは厳禁とします。''
-編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧ください。
-編集を依頼される場合、他のユーザーに編集協力を依頼する時は下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼してください。
運営宛に編集依頼する時は【[[メールで編集依頼]]】から依頼してください。
-役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
-編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。
-他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。
-運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。
-&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。
----
【このページの編集依頼】
【他の利用者に編集協力を依頼する】

#comment
~

トップ   編集 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS