#author("2024-10-26T00:28:23+09:00;2024-10-25T23:42:38+09:00","","") #author("2024-11-14T08:41:20+09:00","","") * 松井本家 [#mb1b4707] ''松井本家''(まついほんけ、松井源水一家)は東京都に本拠を置く[[的屋]]。 ** 概要 [#b85888a1] -昭和まで代々松井源水の名跡を襲名した。 -昭和まで代々[[松井源水]]の名跡を襲名した。 ** 略歴[#a34f5bc5] #ac(h,open){{ -松井本家は松井源水の先祖が興した。先祖は越中の人で、反魂丹という薬を創製したという。 -松井本家は[[松井源水]]の先祖が興した。先祖は越中の人で、反魂丹という薬を創製したという。 -松井源水の先祖は富山の薬売りで、反魂丹を売っていたとされる。 松井源水の家に伝わるものに越中富山反魂丹記があった。それによると越中戸波の郷に松井玄長という者がいた。松井玄長は神仏への信仰が厚く、周囲の人に信頼されていた。 ある時松井玄長の母が病に倒れたが老翁が現れ薬の作り方を教え立ち去り、その通り薬を作ると母の病は治った。正慶元年6月20日、その薬を越中富山反魂丹と名付けた。この伝承を永正9年6月とする説あり。 -文禄年間、松井道三の時代には富山袋町に住み武田信玄から褒美を得た(もしくは売薬御免の朱印を得た)という。 -これは松井源水の先祖が反魂丹を売るために勝手に作り上げた出鱈目とされ、富山県売薬同業組合によると、富山の反魂丹が諸国へ行商に出たのは元禄時代からであり、富山の薬売りは天保年間に始まるとされる。反魂丹は天保3年に備前片上の医師・万代常閑という者が富山藩主前田利次に献じたのに始まり、その後元禄年間富山の薬商・松井屋源右衛門に反魂丹の薬方を授け調整販売し、それを八重崎屋源六なる者が諸国に行商し広めたとされる。 -松井源水の先祖が江戸に来たのは延宝・天保の頃とされるが、更に後とも言われる。松井源水の先祖が松井を名乗ったのはこの松井屋源右衛門と関係があるかのごとく見せかけたとされる。 -松井道三が二代目、松井源春が三代目とされ、四代目・松井源水こと松井玄水が初めて松井源水を名乗り、延宝・天和(1673~84年)の頃、江戸に出てこの薬を売り広め、その宣伝に初めは枕返しなどを演じていたが、流行の居合抜きを取り入れて客を集めるようになった。 また、当時流行していた博多独楽の曲独楽を稽古しそれで集客した。 この頃から歯磨粉や歯薬も売るようになり、のちにはそのほうが有名になった。 -享保(1716~36年)の頃、博多独楽を取り入れ、曲独楽を演じるようになったとの説もある。 -享保11年11月3日、浅草寺本堂で将軍家の御覧に供した。 -五代目・松井源水は上総に住んだ。 -六代目・松井源水こと松井九兵衛は江戸に住んだ。 享保・文化の頃、松井源水こと松井九兵衛が独楽を回し薬売りをし、歯磨きを売ったり抜歯をしたとある。松井九兵衛の先祖は紀州の医師・宇留野という者の門人であり松井源水を継いだとされる。 -七代目松井源水こと松井弥兵衛は水戸から出てきた者が継いだ。大谷友哲の僕をしていた者で歯科医術に長けていた。 -松井源水は浅草奥山に見物人を集め、曲独楽の芸を見せていた。 源水の芸は「枕返し」といい、多数の木箱の枕を積み重ねて、手の上で様々な形に操るというものであった。また、「源水コマ廻し」といって、博多から伝わった曲独楽に工夫を加えて編み出した、1本の麻紐で目方5貫500匁(約3kg)の大独楽を軽々と回す芸も披露していた。 -1726年(享保11年)11月13日、将軍世子、家重(後の9代将軍)が浅草寺にお成りの時に、松井源水が本堂において曲独楽や枕返しの芸を上覧したことから、その後、「御成御用」の符を拝領し、代々浅草田原町の自宅に御用の高張提灯を掲げ、威勢を誇っていたという。 -享保20年以前に源水は歯磨き売りに転じた。 *** 十二代目[#lfbef661] -1831年(天保2年)、万八楼にて開かれた大食い大会で、何代目かは不明であるが松井源水がこの大会に参加し、生豆5合と水1升という記録を残した。 しかし、源水は帰宅後に激しい苦痛に襲われ一昼夜悶絶、最期を覚悟した源水は最後の死力を振り絞り一子に奥義の秘曲を伝授すると死亡したという記録が残る。 これは七代目・松井弥兵衛との説あり。 *** 十三代目[#r5433a9e] -十三代目松井源水は1866年(慶応2年)に曲独楽の芸をもって洋行興行も行っている。 -代々江戸・浅草奥山に居住していたが、明治期には凌雲閣の下の入歯の店の前に出て呼び込みの芸を演じた。 -浅草蔵前の長井兵助とともに大道物売りの芸人として代々有名であった。 *** 十五代目 [#nac31ea4] -十五代目松井源水は1834年(天保5年)生まれ。豪農松本勘三郎の長男で本名は芳五郎。 十四代目松井源水の門に入り、曲独楽の芸を継いだ。 文久3年、十五代目を襲名。明治3年から7年間欧米を巡業。 1907年(明治40年)1月26日死去。74歳。 -十五代目を角川藤三郎とする資料あり。 *** 十六代目 [#cd5aac02] -十六代目松井源水は安政5年(1858年)生まれ。 -大正時代の寄席芸人。曲独楽師。 -明治17年〜20年、海外巡業。 -のち柳派の寄席に出演。 -百萬圓という歯痛止めの薬を売っていた。 -十六代目が居合抜きを行ったとも。 -大正8年(1919年)4月3日死去。62歳。 *** 十七代目[#o9c77ff1] -1948年(昭和23年)頃死去。 }} ** 系譜[#bb730466] 初 代 - 松井玄長 二代目 - 松井道三 三代目 - 松井源春 四代目 - 松井源水こと松井玄水 五代目 - 松井源水 六代目 - 松井源水こと松井九兵衛 七代目 - 松井源水こと松井弥兵衛 八代目 - 松井源水 九代目 - 松井源水 十代目 - 松井源水 十一代目 - 松井源水 十二代目 - 松井源水 十三代目 - 松井源水 十四代目 - 松井源水 十五代目 - 松井源水こと松本芳五郎 十五代目 - 松井源水こと新井金次郎 十六代目 - [[松井源水>松井源水(十六代目)]]こと松井国太郎 十七代目 - [[松井源水>松井源水(十七代目)]]こと後藤松次郎 代目不詳 - 松井源水(戒拾四代目) ** 組織図 [#iba9ba28] 松井源水(戒拾四代目) ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~