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* 春田一家 [#q4fca3f0]
''春田一家''(はるたいっか)は現在の愛知県名古屋市に本拠を置いた博徒一家。
** 略歴 [#vbfee5b1]
-尾張国海東郡春田村周辺に本拠を置いた。
-幕末の頃、[[岩塚忠右衛門]]に端を発する。
-子分[[須成長左衛門]]が跡目を継ぐ。この頃までは家名はなかった。
-子分[[春田円六]]に至り勢力が大きくなり多数の子分を養った。その出生地春田村(大治村春田)から春田一家を名乗る。
円六は明治初年から明治30年代まで親分として勢力を張った。著名な子分に[[秋竹源造]]こと佐藤源造、[[戸田岩次郎]]、[[長須賀梅次郎]]、[[春田岩次郎]]、[[戸田松蔵]]、万場ノ某らがいた。
-明治30年代に[[春田円六]]が引退し跡目を定めなかったため、勢力が匹敵していた各子分が費場所を分割して守ったが、新刑法の実施によりほとんどが正業に就いた。
[[秋竹源蔵]]は七宝村で古家の売買をやり、[[戸田岩次郎]]は名古屋に出て堅気となり、[[長須賀梅次郎]]は行方不明、[[春田岩次郎]]は七宝村で八百屋をやったとされるが果たして本当に堅気になったかは不明であった。
[[秋竹源造]]は七宝村で古家の売買をやり、[[戸田岩次郎]]は名古屋に出て堅気となり、[[長須賀梅次郎]]は行方不明、[[春田岩次郎]]は七宝村で八百屋をやったとされるが果たして本当に堅気になったかは不明であった。
-別説では[[戸田岩次郎]]が円六の跡目となった。
-大正10年頃、[[春田円六]]が死去。
-大正13年頃、[[戸田岩次郎]]が狂死。
-先代の実子佐藤源蔵([[秋竹源造]])が生存していたが老齢により勢力なく春田一家は消滅した。
** 系譜 [#cdf73bf5]
 祖  - [[岩塚忠右衛門]]
初 代 - [[須成長左衛門]]
二代目 - [[春田円六]]こと牧野熊次郎
三代目 - [[戸田岩次郎]]こと西川岩次郎
*** 別説 [#cee4b6bd]
初 代 - [[岩塚忠右衛門]]
二代目 - [[須成長左衛門]]
三代目 - [[春田円六]]こと牧野熊次郎
四代目 - [[戸田岩次郎]]こと西川岩次郎
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