#author("2023-08-01T09:25:32+09:00","","")
*摺沢吉之助 [#q3537526]
''擦沢吉之助''(すりさわの よしのすけ、通称・崖吉)は幕末の[[侠客]]、博徒。
**略歴 [#e42f42d7]
#author("2024-09-02T23:19:47+09:00","","")
* 摺沢吉之助 [#q3537526]
''擦沢吉之助''(すりさわの よしのすけ、通称・崖吉、本名不詳)は幕末の[[侠客]]、[[博徒]]。
** 略歴 [#e42f42d7]
-東磐井郡摺沢村の人。
-大番組にて體驅頗る肥大、容貌魁偉、一見堂々の偉丈夫なり。
-大番組にて体躯頗る肥大、容貌魁偉、一見堂々の偉丈夫なり。
-自ら侠客を以って任じ、藩法を恐れずして仙台領内を跋扈し、人を殺すこと羊を屠るが如く、人之を恐れること甚し。
-吉之助は柔道、撃剣等五ケ條の伝授取にて矯捷比なく、乾分[[摺沢染之助]]なるもの最も名あり。
-吉之助は東磐井郡摺澤村(岩手県東磐井郡大東町)の崖下に住したるを以って崖吉(がけきち)と呼べり。
-吉之助会て侠客[[及川静次]]と争闘の事人口に膾炙す。[[及川静次]]の項に、静次、吉之助と仙台に遭い、大喝一声互に刀を抜きて奮闘せしが清次遂に支へず、逃げて最上に走り鉄砲吉の家に匿る。吉之助追跡して天童に至り、裸體吉の家を訪ふ。鉄砲吉は弾丸を刀にて受け留め、打割に妙を得たるを以って此の稱あり。又裸體吉は争闘の時必ず裸體にて白刃を胃し、踊躍飛蝶の如く、能く之に抗するものなし。故に裸體吉と稱せらる二人共に一方の親分にて常に氷炭相容れず。鉄砲吉は清次を助け、裸體吉は吉之助に左祖し、日を期して決闘を約束し、各乾分を募りて某所に抵る。清次戦はざるに先づ遁る、鉄砲吉は誤り躓きて遂に裸體吉に首を斬られ互に死傷あり。
-其の後数年、清次、吉之助と復び涌谷に曾ふ、清次再び遁れんとす。吉之助大に怒り奮躍して清次の背を斫ること一尺八寸、創浅くして奔り去れり。清次遂に之が為に死し、吉之助も漸く老い、幾くもなく落魄して死せり。或は吉之助を以って陸軍中将摺澤静夫の父となすは誤り、静夫の父は行安と云ひ、明治初年に歿し、墓は仙台北山町輪王寺にあり。
-摺沢吉之助は柔道、撃剣等五ケ條の伝授取にて矯捷比なく、子分[[摺沢染之助]]なるもの最も名あり。
-摺沢吉之助は東磐井郡摺沢村(岩手県東磐井郡大東町)の崖下に住したるを以って崖吉(がけきち)と呼べり。
-摺沢吉之助会て侠客[[及川静次]]と争闘の事人口に膾炙す。[[及川静次]]の項に、静次、吉之助と仙台に遭い、大喝一声互に刀を抜きて奮闘せしが清次遂に支へず、逃げて最上に走り鉄砲吉の家に匿る。吉之助追跡して天童に至り、裸体吉の家を訪ふ。鉄砲吉は弾丸を刀にて受け留め、打割に妙を得たるを以って此の称あり。又裸体吉は争闘の時必ず裸体にて白刃を胃し、踊躍飛蝶の如く、能く之に抗するものなし。故に裸体吉と称せらる二人共に一方の親分にて常に氷炭相容れず。鉄砲吉は清次を助け、裸体吉は吉之助に左祖し、日を期して決闘を約束し、各子分を募りて某所に抵る。清次戦はざるに先づ遁る、鉄砲吉は誤り躓きて遂に裸体吉に首を斬られ互に死傷あり。
-其の後数年、清次、吉之助と復び涌谷に曾ふ、清次再び遁れんとす。吉之助大に怒り奮躍して清次の背を斫ること一尺八寸、創浅くして奔り去れり。清次遂に之が為に死し、吉之助も漸く老い、幾くもなく落魄して死せり。或は吉之助を以って陸軍中将摺沢静夫の父となすは誤り、静夫の父は行安と云ひ、明治初年に没し、墓は仙台北山町輪王寺にあり。
-仙台人名大辞書に名あり。
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