#author("2023-02-15T18:32:01+09:00","","") *宝田多三郎 [#i2be8d04] &size(16){''宝田多三郎''(たからだ たさぶろう、別名・生井多三郎、本名・宝田多惣次)は幕末から明治の侠客、博徒。[[生井一家古河>古河生井一家]]三代目。}; **略歴 [#fc10681a] -上辺見の生れ。 -25、6歳の頃、[[辺見貞蔵]]の子分[[越後ノ彫常>越後彫常]]の子分となり、総和町柳橋に住むが、すぐ諸川宿の貸元森田龍助の跡目となり諸川に移る。 -明治の初め旅に出る。 始めは、信州の屋代へ行き、屋代の多三郎で顔を売る。 後に信州松本へ行き、[[間之川一家>間ノ川一家(群馬県)]]旅人の燕の喜三郎こと鈴木喜三郎、[[生井一家]]の半七の三人で斎藤一家に草鞋をぬぎ兄弟分となり、当時、枯れかかった斎藤一家の勢力を取り戻した。 そして越後に帰郷した親分の彫常を頼り越後高田に住んでいたが、明治26、7年頃、[[間之川一家>間ノ川一家(群馬県)]]若林釜内、同一家高橋啓助(後の長野、畑中の貸元)、青木作太郎、森寺森之助の四人をつれて二十数年と言う 長旅から、故郷に立帰り、古河に家を構え[[生井一家古河>古河生井一家]]三代目を継ぐ。 -[[間之川一家>間ノ川一家(群馬県)]][[松本新五郎>間ノ川新五郎]]と[[大橋金太郎>間ノ川金太郎]]、[[生井一家]]森田龍助と藤井庄蔵墓に刻名あり。 -明治37年2月23日歿。行年69歳。墓所は茨城県古河市中央の福法寺。 -多三郎跡目は大場平次が継ぐ。 ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 ※誹謗中傷や悪戯、あらし行為、悪質な売名行為、他サイトの宣伝などは厳禁とします。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -編集を依頼される場合、他のユーザーに編集協力を依頼する時は下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 運営宛に編集依頼する時は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 ---- 【このページの編集依頼】 #author("2023-02-15T18:53:16+09:00","","") #comment ~ IP:133.106.74.135 TIME:"2023-02-15 (水) 18:53:16" REFERER:"https://www.yakuza.wiki/?cmd=edit&page=%E5%AE%9D%E7%94%B0%E5%A4%9A%E4%B8%89%E9%83%8E" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (Linux; Android 12; CPH2353) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko) Chrome/109.0.0.0 Mobile Safari/537.36"