#author("2023-05-06T13:44:57+09:00;2023-03-28T22:46:24+09:00","","") #author("2024-10-18T11:22:17+09:00;2024-04-28T22:23:00+09:00","","") *古河多三郎 [#i2be8d04] ''古河多三郎''(こがの たさぶろう、別名・宝田多三郎、生井多三郎、本名・宝田多惣次)は幕末から明治の侠客、博徒。[[生井一家古河>古河生井一家]]三代目。 **略歴 [#fc10681a] #ac(h,open){{ -上辺見の生れ。 -25、6歳の頃、[[辺見貞蔵]]の子分[[越後ノ彫常>越後彫常]]の子分となり、総和町柳橋に住むが、すぐ諸川宿の貸元森田龍助の跡目となり諸川に移る。 -明治の初め旅に出る。 始めは、信州の屋代へ行き、屋代の多三郎で顔を売る。 後に信州松本へ行き、[[間之川一家>間ノ川一家(群馬県)]]旅人の燕の喜三郎こと鈴木喜三郎、[[生井一家]]の半七の三人で斎藤一家に草鞋をぬぎ兄弟分となり、当時、枯れかかった斎藤一家の勢力を取り戻した。 そして越後に帰郷した親分の彫常を頼り越後高田に住んでいたが、明治26、7年頃、[[間之川一家>間ノ川一家(群馬県)]]若林釜内、同一家高橋啓助(後の長野、畑中の貸元)、青木作太郎、森寺森之助の四人をつれて二十数年と言う 長旅から、故郷に立帰り、古河に家を構え[[生井一家古河>古河生井一家]]三代目を継ぐ。 -[[間之川一家>間ノ川一家(群馬県)]][[松本新五郎>間ノ川新五郎]]と[[大橋金太郎>間ノ川金太郎]]、[[生井一家]]森田龍助と[[藤井庄蔵>磯部庄五郎]]墓に刻名あり。 -明治37年2月23日歿。行年69歳。墓所は茨城県古河市中央の福法寺。 -多三郎跡目は大場平次が継ぐ。 }} ** 検索用 [#i256877e] #ac(h,alt){{ 古河多三郎、生井多三郎、古河ノ多三郎、生井ノ多三郎、宝田多三郎 }} ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 ※誹謗中傷や悪戯、あらし行為、悪質な売名行為、他サイトの宣伝などは厳禁とします。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -編集を依頼される場合、他のユーザーに編集協力を依頼する時は下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 運営宛に編集依頼する時は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【このページの編集依頼】 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~