#author("2024-12-08T22:21:59+09:00","","")
*上鈴木平五郎 [#j19cce30]
#author("2024-12-09T00:35:04+09:00","","")
* 上鈴木平五郎 [#j19cce30]
''上鈴木平五郎''(かみすずきの へいごろう、別名・上鈴木平親王)は幕末の侠客、博徒。
**略歴 [#ie091594]
** 略歴 [#ie091594]
-小平市上鈴木の人。
-通称・平親王平五郎と呼ばれた。これは背中に平将門(平親王)の立派な入れ墨が入ってたからだと言う。
-[[小川幸八]]の兄弟分。
-天保11年(1840)に二塚明神前で、幸八らに加勢して[[小金井小次郎]]と大抗争を行う。
-後に俠名を馳せた小次郎とは和解し、独立の親分として地盤を保った。
-弘化2年(1845)頃、武州[[高萩万次郎]]方に滞在していた[[清水次郎長]]と、賭場で勝負をし、打ち負けたとの話がある。(村松梢風『清水の次郎長』)
-天保11年(1840年)、二塚明神前で、幸八らに加勢して[[小金井小次郎]]と大抗争を行う。
-後に侠名を馳せた小次郎とは和解し、独立の親分として地盤を保った。
-弘化2年(1845年)頃、武州[[高萩万次郎]]方に滞在していた[[清水次郎長]]と賭場で勝負をし、打ち負けたとの話がある(村松梢風『清水の次郎長』)。
-平五郎は地元民に愛され、「平親王がいてくれたから、上鈴木では百姓が安心して出歩けた」との話も残る。
-子分に[[恋ヶ窪彦太郎]]。
-墓は小平市の宝寿院、明治5年歿。倅は軍次郎。
-墓は小平市の宝寿院、明治2年または明治5年没。倅は軍次郎。
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