鯉淵一家
鯉淵一家十三代目(こいぶちいっか)は茨城県水戸市泉町3-7-12 鯉淵総業に本部を置き、茨城県水戸市五軒町2丁目に本家を置く、指定暴力団・松葉会の二次団体。
略歴
- 鯉淵一家の祖である中野家は佐竹氏の家臣とされ、家系図には桓武天皇の時代からの記載がある。
- 慶長10年(1605年)、徳川家康が大坂城を攻めた際、佐竹氏は中野忠春(中野時三郎忠春)に援助を命令。
- 中野忠春は次男・中野晴忠(中野与六郎晴忠)を大坂城に遣わすが中野晴忠は戦死。
- 中野忠春の末子・中野忠照は河和田郷に隠れる。
- 祖・中野忠国はこの中野忠照の子孫とされる。
- 中野広義の頃、鯉淵一家を名乗ったとされる。
- 共和一家初代・坂本林蔵は鯉淵一家で修業し、佐原に戻り一家を興した。
- 明治44年、中野義徳が死去。
- 跡目を継ぐべき中野梅夫は官職高等官として内務省の役人となっていた。
鯉淵村から高等官が出たことは名誉なことであり、一家一門の者たちは中野家と鯉淵一家の関係を隠した。
- 跡目不在で4人の貸元が4つの地区を治めていたが、金成豊彦が一つに束ねた。
- 七代目・五十嵐保男の頃、松葉会に加入した。
- 鯉淵一家総長代行・金成四代目郡司組組長・郡司東光が九代目を継承した。後に十三代目に改めた。
系譜
整理前
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整理後
祖 - 中野忠国(中野与十郎忠国)
祖 - 中野忠師(中野与重忠師)
祖 - 鯉淵与重こと中野忠広(中野九兵衛忠広)
初 代 - 鯉淵与重こと中野広義(中野九郎兵衛広義)
二代目 - 鯉淵与重こと中野迪忠(中野九八郎迪忠)
三代目 - 鯉淵与重こと中野忠通(中野九兵衛忠通)
四代目 - 鯉淵与重こと中野忠堅(中野八十郎忠堅)
五代目 - 鯉淵与重こと中野義堅(中野八郎兵衛義堅)
六代目 - 鯉淵与重こと中野義直(中野八郎兵衛義直)
七代目 - 鯉淵与重こと中野義徳(中野八百之助義徳)
八代目 - 市毛子之太郎
九代目 - 金成豊彦(金成初代)
十代目 - 広瀬徳太郎(広瀬?初代)
十一代目 - 五十嵐保男
十二代目 - 圷 隆志
十三代目 - 郡司東光
鯉淵一家十三代目組織図
総長
郡司東光(松葉会本部長)
最高幹部
総長代行 - 平澤聡史(松葉会役員補佐・小谷六代目平澤組組長)
理事長 - 平澤雄二(松葉会役員補佐・金成四代目内大工町責任者)
幹事長 - 赤木広之(松葉会総務・荻谷三代目赤木組組長)
統括長 - 荒井栄治(黒羽根二代目荒井組組長)
本部長 - 野上篤秀(松葉会総務・金成四代目内天王町責任者)
総本部局長 - 田中清一(松葉会役員補佐)
事務局次長 - 小沼貞夫(松葉会副会長)
事務長 - 寺島 清(松葉会総務)
直参
與沢鉄也(松葉会副会長・小谷六代目平澤組舎弟頭)
小堤貴志(松葉会総務・本家責任者)
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