高萩万次郎
高萩万次郎(たかはぎの まんじろう、本名・清水万次郎または清水喜右衛門、1805年 - 1885年4月8日)は幕末の侠客、博徒。高萩一家三代目。
略歴
- 埼玉県入間郡高萩村の人。
- 草が生えた高萩一家を再興する。
- 清水次郎長が凶状持ちの旅に出たとき、万次郎は自宅に次郎長を匿い、次郎長は生涯、万次郎を親分と敬った。一方、万次郎は次郎長と呼び捨てにすることができたと言う。
- 寺谷一家供養碑に世話人高萩・清水喜右衛門、飯能市万福寺にある手洗石に願主高萩宿・清水万次郎、慶応二、三年頃に飯能で興行された相撲番付に世話人鶴屋喜右衛門とある。
- 兄弟分に獅子ヶ嶽重五郎こと仲野重五郎。
- 弟分に藤屋万吉や小金井小次郎、小川幸蔵らがいた。
- 国分三蔵と同一人物という説がある。
- 明治18年5月22日歿。行年81歳。墓所は埼玉県日高市高萩の清水家墓地。
- 跡目は双柳清五郎が継ぐ。
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