砂子川組
砂子川組(すなこがわぐみ)は大阪府守口市滝井に本拠を置いた博徒系暴力団。
略歴
初代
- 明治4年11月3日、西村伊三郎が深草村西村伊兵衛とステの長男に生れる。
西村伊三郎は、相撲取りで四股名を砂子川といった。
- 明治37年、日露戦争の二〇三高地の戦いで西村伊三郎率いる砂子川一家の五十数人が軍夫として働き、陸軍からその功労賞として陸軍の印の山形印を貰い、砂子川一家の代紋とした。
- 会津小鉄会初代・上坂仙吉の子分で、いろは会初代・いろは幸太郎の舎弟または子分であった。
- 兄弟分には、大阪の松島小寅こと直嶋寅蔵、岸和田の糸ヶ浜こと伊東由松、神戸の富永亀吉。
- 大阪国粋会初代会長を務める。
- 九条寅一家・山本丈之助の娘(妹の子)とみと結婚する。
- 九条寅こと木村寅吉墓に山本丈之助内砂子川伊三郎とある。
- 伏見区藤ノ森神社にある蒙古塚に寄附者砂子川こと西村伊三郎とある。
- 大正9年1月15日歿、行年50歳。墓所は京都市伏見区の宝塔寺。
二代目
- 砂子川二代目は稲荷庄助こと山崎庄助が伊三郎歿後の昭和18年に継承。
- 稲荷庄助は伏見稲荷の近くに住んでいた。
- 昭和28年、引退。
三代目
- 三代目は稲荷庄助の舎弟で山岡組・山岡豊吉の子分で一家違いであったが、二代目の再三再四の説得もあって、岡田卯一郎が継ぐ。
- 岡田卯一郎は明治35年8月10日、八幡市橋本町に岡田豊二郎(砂子川伊三郎の子分)の伜として生れ、初代砂子川西村伊三郎の妻の養父・山本丈之助の兄弟分麦音の伜・米友の子分山岡豊吉の子分であったが、二代目稲荷庄助が昭和28年に引退し庄助の再三再四の説得もあって、成田不動尊本殿にて大安で無く仏滅の日を選んで盛大に、三代目砂子川を襲名披露する。
- 兄弟分には、京都の三代目会津小鉄図越利一会長、下関の合田一家・合田幸一総長、大阪の三代目中政組?末広勝郎組長。
- 舎弟に、い聯合・池田大二郎。
- 昭和53年11月引退、四代目は若頭の山本英貴が継承する。
系譜
初 代 - 砂子川伊三郎
二代目 - 山崎庄助
三代目 - 岡田卯一郎
四代目 - 山本英貴
五代目 - 山崎 満
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