石川裕雄
石川裕雄(いしかわ ひろお 1948年6月4日- )は日本のヤクザ。一和会常任理事。悟道連合会会長。
略歴
- 少年時代から少年院に入るような不良だった一方、出所後は関西経理専門学校に進学し、経理を学ぶなど勉強熱心な一面もあった。
- 関西経理専門学校を卒業後、大阪学院大学に進学するも中退。
- 国粋主義色のある独立組織「石川屋総業」を結成する。
- 石川裕雄は地場の暴力団とトラブルになり、組員を殴り倒した際に、山口組系北山組組長・北山悟が仲介役となったことがきっかけで山口組入りした。
- 1970年代前半頃、山口組では薬物をシノギにするのが御法度となっていたが、北山組の若衆に覚せい剤を売りつけていた山口組系小西一家の若頭を日本刀で斬殺したことでその名が知られることとなった。
事件後、石川裕雄は小西一家の若頭を病院に運び込んだ後、警察に自首し傷害致死罪で逮捕され、約5年ほど服役。
- 出所後、石川裕雄はアメリカ・ネバダ州に留学。
- 1970年代末頃、日本に帰国し渡世に復帰した。
- のちに悟道連合会を率い、北山組の若頭を務めた。
- 一審では死刑を求刑。
- 1987年3月14日、大阪地方裁判所により無期懲役の判決が下りて検察が控訴。
- 1989年3月20日、大阪高等裁判所により控訴が棄却されて無期懲役の判決が確定。
- 2020年現在、旭川刑務所で服役しており求刑されて33年経過している。
現在でも極道である、との信念から仮釈放申請も許可されない事を本人は十分承知しており、身内や弁護士が申請を勧めても頑なに拒否しているという。
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