熊谷正敏
熊谷正敏(くまがい まさとし、1961年- )は日本のヤクザ。指定暴力団・稲川会渉外委員長・東京ブロック統括長、十一代目碑文谷一家総長。熊谷組組長。
略歴
- 1961年、宮城県仙台市生まれ。父親の転勤で小学三年生の時に東京都大田区に引っ越した。当時の将来の夢は警察官であったという。
- 碑文谷一家・西山組内に熊谷組を結成。面倒を見ていたカタギからトラブルの相談を受け、相手企業の上司と話し合いをするも相手は逃げて回り、更にその上部企業と話し合いをするも一向に応じず、最終的に某ゼネコン一次企業本社にアポイントを取り、数日後その本社から面会の許可を得て後日本社へ熊谷一人で出向き、自社高層ビル最上階に近い副社長室の部屋を案内された。テーブルには大金が積まれており、副社長から「手を退いて貰えませんか?」との申し出に対し、金に一切手を付けないばかりか怒号や脅迫もせず、冷静に淡々と副社長と話し合いをするも結果は平行線のままだった。数日後、熊谷に責められていた某大手企業の副社長から相談を受けていた稲川会二代目会長の石井隆匡から、熊谷は直に総本部に呼び出され、事の成り行きの尋問を受けたが、企業側から目の前に積まれた大金にも一切動じない姿勢、私利私欲で全く動こうとしない熊谷の姿勢を稲川会二代目本部長の稲川裕紘が目に留まり、稲川会三代目体制で直参に昇格。後に会長付、本部長補佐を歴任。
- 2006年、持病の悪化により、臨終期が迫る三代目会長稲川裕紘の遺言に忠実に従い、稲川会四代目に実子を、会長の遺言に筋を通し数十人の稲川会三代目最高幹部が担いだ結果、稲川会分裂騒動に陥り、稲川会四代目会長角田吉男に決定後、自らの意思により三階級下の代表理事にまで降格した。
- 2010年、稲川会五代目会長である清田次郎が承認し、稲川会直参に昇格。
- 2016年、碑文谷一家十一代目を継承。
- 2018年、稲川会理事長補佐に就任。
- 2020年、稲川会渉外委員長・東京中央ブロック統括長に就任。
- 2021年9月6日、七代目三本杉一家総長の國近哲也が、東京ブロック統括長として稲川会本部から毎月支給される経費の使い込みを、要職を引続いた熊谷が発見し内堀和也理事長に報告した。その後稲川会本部から許可を得て追及したが、國近は関東の別組織から億単位の借金を自供し、引退させ、國近の組織は碑文谷一家預かりになった。
- この項目は書きかけ項目です。
- 役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正にご協力ください。
※誹謗中傷や悪戯、荒らし行為、悪質な売名行為、他サイトの宣伝などは厳禁とします。
- 編集される際は「テキスト整形のルール(詳細版)」をご覧ください。
- 編集を依頼される場合、他のユーザーに編集協力を依頼する時は下記の【このページの編集依頼】または【加筆・編集依頼】から編集対象のページタイトル・編集内容をできるだけ詳しく記載の上、依頼してください。
運営宛に編集依頼する時は【メールで編集依頼】から依頼してください。
【このページの編集依頼】