瀬戸愛吉
瀬戸愛吉(せとの あいきち、別名・井上愛吉、本名・井上松吉または井上新兵衛)は幕末の侠客、博徒。水野吉五郎の子分。瀬戸一家初代。
略歴
- 文政12年(1829年)、東春日井郡瀬戸村宮脇に井上相吉の長男として生まれる。
- 水野吉五郎の子分となる。
- 明治初年頃、水野吉五郎は跡目を北熊実左衛門へ譲り、1884年(明治17年)に没する。北熊実左衛門は明治維新の際、尾張侯の越後隊へ加わり会津戦争へいったため、費場所を今村伊三へ預けた。瀬戸愛吉は自分より格下の今村伊三へ費場所を預けられたことに不満を持っていた。
- 北熊実左衛門が戦争より帰ると親分の吉五郎一家を名乗らず自身の住居である愛知郡北熊村(現在の長久手市北熊)をとり北熊一家を名乗った。これに対し瀬戸愛吉は北熊実左衛門を絶縁し、自身の住居である東春日井郡瀬戸村(現在の瀬戸市の一部)より瀬戸一家を名乗った。これより瀬戸一家と北熊一家は大いに勢力争いをしていくこととなった。
- 瀬戸愛吉には実子の愛金こと瀬戸金之助、子分のドン尻屋良吉こと河本良助らがいた。
- 1884年(明治17年)、瀬戸愛吉は2年の懲役刑を受け獄死した。
または明治17年の大刈込で検挙され2年の懲役をくらい服役中に病死した。明治19年1月30日歿。行年58歳。墓所は愛知県瀬戸市川合町の春雨墓地。
- 跡目は一の子分・河本良助が継ぐ予定であったが、病弱であったため実子の瀬戸金之助が継いだ。
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