富永 清
富永 清(とみなが きよし)は日本のヤクザ。指定暴力団・旭琉會初代会長。富永一家初代。元・沖縄旭琉会会長。
略歴
- 1946年(昭和21年)5月15日、沖縄県久米島生まれ。兄を頼って横浜の高校を卒業後、大学に進学するも暴力事件を起こした退学となり地元の沖縄県久米島に戻った。
- 1967年(昭和42年)山原派の先輩を頼った形で渡世入り。
- 1990年、旭琉会会長・翁長良宏派と、理事長の富永一家総長・富永清派との対立が表面化。
- 同年9月17日、発砲事件を機に旭琉会は富永清ら反主流派を絶縁。
- 同月19日、理事長だった富永清の率いる9組織が「沖縄旭琉会」を結成。
そのまま一般市民を巻き込む暴力団抗争に発展し、高校生や警察官らが犠牲になった(第6次沖縄抗争?)。
- 同年のうちに抗争終結が宣言されたが、2つの「旭琉会」が並立し緊張を伴う冷戦状態が以後20年余にわたって継続した。
- 2010年、旭琉会三代目会長・翁長良宏が退き、理事長を務めた花城松一が四代目を継承。
四代目旭琉会会長・花城松一の後見人となったのは沖縄旭琉会会長・富永清だった。
- 2011年、分裂から21年を経て「沖縄旭琉会」が「旭琉会」を吸収合併する形で両組織の一本化が正式決定。
組織名称を「旭琉會」として富永清が会長に就任し、沖縄で長らく続いていた流血抗争を乗り越え、22団体、約300人をまとめ悲願の再統一を果たした。
- 2019年7月12日15時45分頃、沖縄本島北中城村の病院で病気のため死去。
同月23日~26日、全国の暴力団関係者が続々と沖縄入りし弔問に訪れた。
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