住吉会
住吉会(すみよしかい)は東京都新宿区新宿7-26-7 ビクセル新宿507号室に本部を置く指定暴力団。
主要施設
概要
- 前身は港会→住吉会→住吉連合→住吉連合会→住吉会。
- 道仁会とは兄弟会であり、五代目工藤會とは親戚である。
- 勢力範囲は、警察白書では八代目住吉会継承以降、北海道から九州地方まで全国規模の1都1道2府31県に勢力を持つ博徒組織。
- 2023年から、中核組織や実力者は特例とし、九代目住吉会会長を親とする一組織一直参制にて厳格化、二次団体又はその傘下での役職名が、
旧来の若頭や若頭補佐、若中を使う組織が多く確認出来ることも分かった。
- 警察庁「令和5年における組織犯罪の情勢」では、2023年末の時点で構成員2200人(前年比-8.3%・-200人)、準構成員等1300人(前年比-7.1%・-100人)とされる。
略歴
住吉一家〜港会
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住吉会〜住吉連合〜住吉連合会
- 1964年、港会は住吉会に改称した。青田富太郎の後に港会会長に就いていた磧上義光が住吉会会長に就いた。
- 同年6月20日、磧上義光が親睦団体・関東会の二代目会長に就任した。
- 1965年、第一次頂上作戦により磧上義光が逮捕され、同年住吉会は解散した。
- 同年、友愛会が解散した。
- 1967年、磧上義光が死去。同年、中里一家四代目・堀政夫が住吉一家五代目を継承した。
- 1969年、旧住吉会が再集結し住吉連合が結成。堀政夫が住吉連合代表に就いた。
- 旧・友愛会の幸平一家、圡支田一家、滝野川一家が住吉連合に加入した。
- 1972年、北関東の博徒の連合組織親和会が住吉連合に加入した。
- 1974年、福島・茨城の博徒の連合組織丸唐会が住吉連合に加入した。
- 1978年から1983年、住吉連合・幸平一家・池田会が極東関口会三浦連合会と抗争事件を起こした(池袋抗争)。
- 1979年、石巻市の西方二代目が住吉連合に加入した。
- 1982年、住吉連合は住吉連合会に改称した。堀政夫が住吉連合会会長に就いた。
- 1986年、北海道釧路市の三心会が住吉連合会に加入した。
- 1988年、堀政夫が住吉連合会総裁に退き、日野一家四代目総長・川口喨史が住吉連合会会長に就いた。
- 1989年、住吉連合会傘下の小林会が寄居真会本部を完全占拠し、抗争事件を起こした(住吉連合会と寄居一家の抗争)。
- 1990年1月11日、住吉連合会本部長の小林楠扶死去。
- 1990年5月未明、住吉連合会会長の川口喨史が死去。
- 同年、住吉連合会理事長で、向後二代目・西口茂男が新会長に就いた。住吉連合会理事長に沼澤春男、総本部長に鈴木康夫体制。
- 同年10月、住吉連合会総裁である堀政夫が死去。
- 1991年3月、暴力団に対する法整備を改正し、暴力団新法が公布された。
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六代目
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七代目
- 1998年、西口茂男が住吉会会長を退き、小林会二代目・福田晴瞭が会長に就いた。
- 2001年、二率会が解散し、二率会・東京小金井一家の新宿・十二社・渋谷・府中・四軒寺(吉祥寺)等の都内勢力が住吉会に加入した。
- 同年8月、東京都の葬儀場で向後睦会会長・向後四代目・熊川邦男と滝野川一家七代目総長・遠藤浩司?が稲川会・七代目大前田一家組員に射殺された(四ツ木斎場事件)。
- 2002年9月21日、新宿区歌舞伎町の大型喫茶店「パリジェンヌ」で、午後19時頃に幸平一家十二代目組員と東北系中国マフィアが話し合いの場を持っていたのだが、話し合いが決裂、東北系中国マフィア側がテーブルに拳銃を置き、「撃ってみろ」と挑発。組員側の1人が、その拳銃に手をかけた瞬間、東北系中国マフィア側が拳銃を取り出し組員に向け一斉射撃。組員側の1人が即死、1人が重傷を負った。翌月の10月、主犯の運転手を務めた東北系中国マフィアが新宿区上落合の路上にて、全身14カ所以上の刺し傷を負った惨殺死体で発見された(パリジェンヌ事件)。
- 2003年1月、幸平一家十二代目・矢野睦会組員が稲川会・大前田一家幹部を銃撃、巻き添えになった一般人が死亡した(前橋スナック乱射事件)。
- 同年、住吉会傘下の親和会が五代目山口組・弘道会と抗争事件を起こした(北関東抗争)。
- 2004年10月24日、住吉会・三代目中村会幹部・片桐 俊が、五代目山口組・貴広会幹部2名を浅草ビューホテル内の喫茶店で射殺した(浅草発砲事件)。
- 2005年、福田晴瞭が住吉一家七代目を継承した。
- 2007年2月5日、東京港区西麻布の路上で住吉会・住吉一家・小林会三代目会長秘書・直井組組長代行・杉浦良一?が、六代目山口組・五代目國粹会組員により射殺された(麻布抗争)。
- 2008年、住吉会・伊勢野会が、六代目山口組・二代目小西一家・二代目堀政連合傘下の鈴木寛茂?相談役を刺殺し、住吉会・三角一家八代目を含めた抗争事件に突入した(埼玉抗争?・ふじみ野抗争事件)。
- 福田晴瞭は、住吉会会長、住吉一家七代目総長の要職には就いたが、組織自体の権限は高円寺(西口茂男)が実権を把握していた。住吉連合会前本部長で早世した小林楠扶への義理立てだったのかもれないが、住吉会八代目を、高円寺は成田に継承させ、銀座を特別相談役にさせた。
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八代目
- 2014年、住吉会会長代行・六代目共和一家総長・関功が会長に就いた。
- 2017年9月、高円寺・西口茂男が死去。
- 特殊詐欺事件が頻発し、逮捕された犯人グループに組員も加担してる事件が目立ち始め、組織犯罪処罰法と犯罪収益処罰法の適用、使用者責任として数億単位で損害賠償を求められる訴訟が多くなった。
- 2019年頃から、東京都多摩地区、新宿区歌舞伎町、神奈川県北東部・湘南地域・群馬県中部・西部地域で住吉会・十三代目幸平一家系と稲川会系二次団体との衝突が頻発し、両組織による発砲事件や殺害事件に発展していく。
- 2021年2月、十三代目幸平一家総長・加藤英幸の尽力により、道仁会会長・小林哲治と、会長・関功が熟慮協議を重ね、九州親睦団体・四社会承認のもと、業界初となる道仁会と住吉会は「五分の兄弟会」の親戚縁組を交わした。首領三名と四社会の粘り強い協議の結果八代目住吉会の発展改革を実現させたが、負の遺産として、次世代への継承を拒み続け、それでも住吉一家の総長職を誰にも譲らず頑として退かない福田を、権限無しで一人親方のまま格下げを幹部総会で決定、関功は会長職を退き住吉会では一代限り代表へと就いた。ここで九代目住吉会へ移行する。
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九代目
- 2021年4月20日、新役員改正と組織改革により、関功が会長から一代限り代表となった。主な特徴として代表職、代理職を新設し、事実上住吉会は代表、代理、役員のみで構成される組織となり、外部からも分かりずらい組織形式になった。その理由が、組織の若返りは理解しつつも、己の住吉一家七代目総長の立場は頑として誰にも譲らせない福田晴瞭により、古今大住吉の象徴としていた住吉一家を完全に切り離し格下げされた。会長を小川修司(七代目共和一家総長)が九代目住吉会会長に就任。
- 同年5月13日、七代目共和一家本部にて、住吉会・道仁会・五代目工藤會での懇親会が行われた。現在勾留中の野村悟総裁、田上文雄会長、菊池啓吾理事長の代理として、五代目工藤會最高幹部が出席した。
- 同年10月20日、同年4月から小川修司会長の住吉会体制となっていたが、新型コロナ感染拡大や東京オリンピックなどに配慮していた「九代目住吉会会長代目継承盃」の儀式が、警視庁、千葉県警、埼玉県警の私服捜査員が20人ほど敷地内で待機し、厳戒態勢の中で埼玉県日高市の関連施設にて執り行われた。
- 2022年5月31日午前、千葉県いすみ市内の別荘で代表・関功が脳内出血で倒れ、千葉県内の病院に救急搬送されたが、同日正午過ぎに死亡が確認された。享年76歳。
- 同年6月3日・4日・5日、共和一家本部で関功の住吉会葬儀が営まれ、全国27団体の組織代表や最高幹部らが参列した。
3日は東日本の主要組織を中心に多くの組織からトップが弔問に訪れ、4日には西日本を中心とした多くの主要組織のトップらが参列した。
出迎えには住吉会、共和一家ともに後継となった会長・小川修司が中心となり、2日間にわたり全国の首領が集結する盛大な葬儀となった。5日は住吉会会葬とし、盛大に関を送り出した。
- 同年7月20日、埼玉県日高市の関連施設にて関功の四十九日法要が執り行われ、会長・小川修司をはじめ、執行部を含む幹部ら約350人が参列した。
- 2023年6月20日、九代目住吉会継承披露書状には、執行部が刷新される大型新人事を発表。新役員改正により、一代限りの代理職を廃止し、九代目住吉会会長を頂点とした体制を強化した。
- 古くからの連合体意識が残る組織から組織一本化へと強化を図る為、一家一門が協議し、会長・小川修司と、各一家の当代が舎弟、親子盃を執り行う方向で合意した。
- 同年9月18日、埼玉県日高市の関連施設で、親 九代目住吉会会長小川修司と、上席含め盃無し10名・舎弟8名・若中59名・参与2名による義兄弟・親子血縁盃儀式が執り行われた。この盃儀式は、一組織一直参体制にて序列が改めて明確となる大住吉の歴史的な大改革となった。書状には、九代目住吉会と筆書きで確認されている。
- 2024年5月16日未明、九代目住吉会常任顧問・三代目小林会会長の小林忠紘が死去。
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系譜
初 代 - 伊東松五郎(日本橋住吉町貸元)
二代目 - 倉持直吉(初代中里一家直系若衆)
三代目 - 阿部重作(芝浦高木組代貸)
四代目 - 磧上義光(旧住吉会会長・磧上会会長)
五代目 - 堀 政夫(中里一家四代目総長)
六代目 - 西口茂男(向後二代目会長)
七代目 - 福田晴瞭(小林会二代目会長)
八代目 - 関 功(六代目共和一家総長)
九代目 - 小川修司(七代目共和一家総長)
住吉会組織図
会 長
小川修司
特別相談役
加藤英幸(十三代目幸平一家総長)
最高顧問
福田晴瞭(住吉一家七代目総長)
会長補佐
児島秀樹(京王会会長)
最高幹部六役
会長代行 - 小坂 聡(十三代目幸平一家総長代行)
理事長 - 藤生一男(九代目大前田一家総長)
幹事長・東京西南地区統括長 - 津波宏志(六代目向後睦会会長)
本部長・東京城北地区統括長 - 近藤耀靖(二代目東京共和会会長)
総務長 - 相良福一(三代目小林会会長代行)
組織統括長 - 入里林一(十三代目幸平一家幹事長)
執行役
組織委員長・東関東地区統括長 - 大多和賢治(八代目共和一家総長)
渉外委員長 - 金 亨東(十三代目幸平一家幹事長補佐)
統括委員長・北海道・東北地区統括長 - 水戸龍哉(九代目西海家総長)
運営委員長・埼玉地区統括長 - 時田康雄(六代目川越平塚一家総長)
総務委員長・北関東地区統括長 - 田中政明(初代田中会会長)
諮問委員長 - 時田雅章(四代目中村会会長)
審議委員長 - 高瀬輝明(七代目領家一家総長)
風紀委員長 - 河本正宝(初代四軒寺一家総長代行)
懲罰委員長 - 稲葉和三(四代目親和会本部長・八代目山越一家総長)
事務局長・東京城東地区統括長 - 松山博文(六代目江島一家総長)
事務長 - 仁木昌弘(六代目鶴川一家総長)
特別常任相談役
長久保征夫(三代目青田会会長・初代府中一家総長)
永井 實(六代目中里一家総長)
村田吉弘(初代四軒寺一家総長)
菊池紘一(浅草五代目高橋組組長)
佐藤鉄栄(十三代目幸平一家総長舎弟・上板橋貸元・佐藤睦会会長)
舎 弟
内山文男(六代目丸唐会会長相談役、六代目大里一家総長)
関 秀夫(四代目牧友睦会長)
中野 勉(六代目奥州山口一家総長)
山口 徹(十代目武州前川一家総長)
高橋勝郎(二代目西和一家総長)
洗 亨(四代目親和会会長)
粉川 彰(飯倉睦会会長)
井桁勇司(七代目馬橋一家代表)
幹 部
代行補佐 - 上﨑将貴(二代目十二社一家総長)
代行補佐 - 山川光則(四代目稲毛一家総長)
岩田光芳(九代目三角一家総長)
松戸一郎(三代目大日本興行会長)
山田 孝(六代目丸唐会会長)
福田孝夫(六代目丸唐会会長代行)
会長付 - 鎌田俊昭(四代目中村会会長代行)
会長付 - 土屋研二(十三代目幸平一家本部長補佐・加藤連合会本部長、聡仁組組長)
会長付 - 柴田智生(三代目沼澤会会長)
会長付 - 小島 洋(八代目平塚一家総長)
直 参
梅田幸三(四代目花田会会長)
鈴木義治(鈴木組組長)
明 南秀(九代目滝野川一家総長)
杉沼 登(七代目廣瀬一家総長)
桑子利雄(四代目親和会会長代行、十二代目須永一家総長)
渡辺幸雄(四代目親和会理事長補佐・渉外委員長、八代目泉一家総長)
山野井保夫(四代目親和会理事長補佐・懲罰委員長、八代目武士一家総長)
高山國男(四代目野田一家総長)
渡辺進次(八代目音羽一家総長)
山内 登(十代目山ヶ井戸一家総長)
齋藤 治((四代目親和会理事長・十三代目勘助一家総長)
児玉信夫(八代目波木一家総長)
竹内佳広(三代目中原会会長)
山本豊佳(八代目日野一家総長)
斎藤貞夫(四代目親和会事務局長・八代目田野一家総長)
小山 博(二代目田中同人会会長)
大塚 尚(四代目親和会理事長補佐・慶弔委員長・四代目光京家一家総長)
曲山憲一(四代目親和会理事長補佐・組織委員長、八代目稲葉一家総長)
酒井功芳(四代目稲葉興業会会長)
猪刈隆文(四代目丸唐会常任相談役・七代目小柳一家総長)
篠田重正(四代目親和会理事長補佐・統括委員長・八代目下馬木一家総長)
遠藤勝広(四代目丸唐会常任相談役・六代目小名一家総長)
荒井謙一(四代目長者町会長)
宮田康弘(大和田田久保一家六代目総長)
小田倉隆(四代目広川会会長)
田村輝典(三代目福中総長)
鈴木精一(二代目青心会会長)
宮崎英治(十一代目武蔵屋一家総長)
遠藤喜男(六代目丸唐会本部長・五代目神谷一家総長)
浜口和秀(二代目武州伊勢野一家総長)
奥山孝史(十代目圡支田一家総長)
参 与
小倉正治(六代目江島一家代表)
大野吉英(九代目家根弥一家総長)
友好組織
■ 道仁会 - 五分の兄弟会
■ 五代目工藤會
■ 関東親睦会
■ 極東会
■ 九州親睦団体・四社会
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