柳川組
二代目柳川組(やながわぐみ)は大阪府大阪市北区に本部を置いた愚連隊系暴力団で、三代目山口組の二次団体。
略歴
- 1958年、柳川次郎が柳川組を結成。
- 1959年、柳川次郎が三代目山口組若頭・地道行雄の舎弟となり山口組傘下となる。
- “殺しの軍団”と呼ばれ、組長・柳川次郎以下、在日朝鮮人が多く所属していたことでも知られる。
- 全盛期には傘下73団体・組員1700名(準構成員含むと約2800名)を抱え、全国1道2府10県に進出。山口組の勢力拡大に貢献した。
- 三代目山口組時代に二次団体でありながら広域暴力団に指定された唯一の組織。
- 1969年4月1日、大阪府警により柳川次郎は名古屋刑務所から大阪の田辺警察署に移送された。
ここで第一次頂上作戦の対象とされ、厳しい追及により田辺署は柳川次郎の口から柳川組の解散を引き出した。
- 同年4月8日、柳川次郎は二代目柳川組組長・谷川康太郎を大阪刑務所で説得し三代目山口組組長・田岡一雄に無断で解散を宣言。
(なお「解散声明書」及び柳川次郎が署名した「解散同意書」は1969年4月9日付となっている。)
- 同年8月1日、田岡一雄は柳川次郎、谷川康太郎を本家に無断で組を解散したと云う理由で絶縁処分とした。
柳川組系譜
初 代 - 柳川次郎こと梁元錫
二代目 - 谷川康太郎こと康東華
二代目柳川組組織図
組 長 - 谷川康太郎(三代目山口組若中)
主な出身者
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