木村覚心
木村覚心(きむら かくしん 木村覚(さとる)1934年1月1日-1994年6月19日)は日本のヤクザ。極東関口初代分家仲三代目。指定暴力団・極東会・三代目仲連合会会長。
略歴
- 東京都北区赤羽に隣接する志茂町育ち。親は運送業を営む資産家。
- 家庭不和をきっかけに16歳からグレはじめ、18歳の時、母親によって領家・鎌田武夫のもとに預けられる。その後、修業を重ね、22歳で鎌田一家の代貸となるが、戦後の赤羽にあって幾多の抗争事件に加わり、その大半を刑務所で過ごす。10年目の頃、他組織最高幹部への暴行沙汰の責任を取る形で鎌田を出る。
- 赤羽で関東木村一家を名乗り数年の愚連隊生活を送った後、地元代議士の仲裁で一旦領家に復帰するも喧嘩沙汰により再度出る。その後、城北一帯の親分衆を集めた総長賭博で検挙され1年6ヶ月服役。出所後、かねての縁から極東入りし、曲折を経て関口愛治の分家・仲秀五郎の若い衆となり一家名乗りを許される。
- 1981年(昭和56年)、極東の内部抗争により射殺された仲二代目綾部藤治郎の後を受け、仲三代目を継承。以後、仲連合会を率いた。
- 1994年(平成6年)6月19日、肝臓ガンのため死去。享年61。
- 五分兄弟分に極東関口谷畑二代目・佐藤儀一、極東飴徳宗家四代目・永持英哉、奥州西海家五代目・菅原孝太郎、飯島一家内山四代目・金子政敬?など。
- また弘田組組長・弘田武志の五厘下がりの舎弟。
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