岐阜弥太郎
岐阜弥太郎(ぎふの やたろう、別名・水野弥太郎、小海弥太郎、本名・水野弥三郎、1805 - )は幕末の侠客、博徒。
略歴
- 美濃国稲葉郡岐阜村の人。
- 弥三郎の生家水野家は代々医業を営んでおり、岐阜にありながらも京都西本願寺の典医を務めていた。
医家に生まれたが、医業を嫌って武を好み、鈴木長三郎という一心流の剣客に入門してその腕を磨いた。
その為に家を勘当され、博徒の道に進んだ。
- 武儀郡の関小左衛門、安八郡の神戸政五郎と肩を並べ「美濃三人衆」と呼ばれる大親分となった。
- 大場久八の舎弟とも言われ、逃亡していた黒駒勝蔵を匿った。
- 兄弟分には関小左衛門、信濃屋喜兵衛、津島伝右衛門。
- 子分に喧嘩幸治こと生井幸治、高井辰蔵がいた。
- 和歌山高野山にある小林佐兵衛記念碑に岐阜・岐阜弥太郎と刻名あり。
- 赤報隊の偽官軍事件に関係し捕縛され獄死。
- 明治元年2月5日歿。行年64歳。墓所は岐阜県岐阜市上加納山の市営共同墓地。
- この項目は書きかけ項目です。
- 役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
※誹謗中傷や悪戯、あらし行為、悪質な売名行為、他サイトの宣伝などは厳禁とします。
- 編集される際は「テキスト整形のルール(詳細版)」をご覧下さい。
- 編集を依頼される場合、他のユーザーに編集協力を依頼する時は下記の【このページの編集依頼】または【加筆・編集依頼】から編集対象のページタイトル・編集内容をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。
運営宛に編集依頼する時は【メールで編集依頼】から依頼して下さい。
【このページの編集依頼】