三木文蔵
三木文蔵(みつぎの ぶんぞう、三ツ木文蔵、別名・大見山文蔵、1809年 - 1840年6.月29日)は幕末の侠客、博徒。国定一家。国定忠治の代貸。
略歴
- 1809年、上野国新田郡三ツ木村または世良田村大字三ツ木の貧しい農家に生まれる。
- 無宿人となり、国定一家の参謀格として活躍した。
- 手裏剣にたくみであったという。
- 天保5年(1834年)、国定忠治とともに島村伊三郎を殺し、8年捕らえられた。
- または天保8年3月28日、世良田の朝日屋(世良田の祇園で有名な八坂神社の参道入り口の西角にあった)の賭場で襲われ、逃げるが捕まる。
- 1838年、江戸小塚原で処刑される。墓碑によれば天保11年(1840年)6月29日、32歳で死去。
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