宅見組
二代目宅見組(たくみぐみ)は大阪府豊中市緑丘4-31-1に本家を置く暴力団。
概要
- 旧本部:大阪市中央区千日前1-8-23(売却済・解体予定)
略歴
初代
- 1963年、宅見勝が福井組に加入。
- 1970年、宅見組が結成され、宅見勝が福井組若頭に就任。
- 1978年、三代目山口組の二次団体に昇格。
- 1983年7月、宅見勝が三代目山口組若頭補佐に就任。
- 1989年5月10日、宅見勝が五代目山口組若頭に就任。
- 1997年8月28日、新神戸オリエンタルホテル4Fの喫茶店で、宅見勝が中野会傘下組員に銃撃され搬送先の神戸市立中央病院で死去。
二代目
- 1997年12月、若頭の入江禎(勝心連合組長)が宅見組の二代目を継承し、五代目山口組若中に昇格。
- 2005年6月、入江禎が五代目山口組若頭補佐に就任。
- 同年8月、入江禎が六代目山口組総本部長に就任。
- 2013年10月、入江禎が六代目山口組舎弟頭に就任。
- 2015年8月26日、六代目山口組を脱退。
- 同月27日、神戸山口組が結成されると、入江禎は副組長に就任。
- 2022年5月8日、豊中市の本家に三代目弘道会傘下組員が車で特攻。
- 同年9月9日、入江禎の尽力により、池田組と神戸山口組が五分の親戚団体となる。これにより、実質的に池田組と親戚関係にある絆會、神戸山口組の3派連合体が結成された。
- 同月21日、入江禎が神戸山口組を脱退した為、二代目宅見組は独立組織となり、前述の連合体も解消された。
- 同年10月5日付で神戸山口組は入江を除籍した。
- 2023年3月23日、神戸山口組の中核組織であった二代目宅見組が2022年10月に神戸山口組を離脱した事について、偽装の可能性も視野に入れ実態調査をしていた大阪府警は、離脱が事実と確認できたとして入江禎の自宅がある大阪府豊中市を特定抗争に係る「警戒区域」から除外することを決定した。
- 同年4月、2021年以降、使用を差し止められていた大阪市中央区千日前の本部事務所を、民間企業が約3億円で買取り、建物は解体される予定(※)。
系譜
初 代 - 宅見 勝(五代目山口組若頭)
二代目 - 入江 禎
二代目宅見組々織図
組 長 - 入江 禎
副組長 - 永野昌弘?(永野組?組長)
副組長 - 鹿田次郎(鹿田組組長)
副組長 - 萩尾敬一(敬心連合組長)
若 頭 - 森島 厚(厚和会会長)
舎弟頭 - 酒井冨士男(酒井興業組長)- 勾留中
統括委員長 - 須藤基之(須藤会会長)
副本部長 - 渡邊 誠(三代目石川一家総長)
舎弟頭補佐
金澤慶福(金澤興業組長)
宮永俊文(宮永組組長)
南岡正男?(二代目南岡組?組長)
石原正吉?(石原総業?組長)
大丸 仁?(禎仁会?会長)
若頭補佐
加納龍二(二代目坂本組組長)
本田義博(二代目剛竜会会長)
田中敦之(七代目倭奈良組組長)
若中
和泉友慈(和泉総業組長)
中嶋 靖?(二代目森嶋組?組長)
春山謙二(二代目剛竜会舎弟頭・春山組組長)
岡本健二
幹事
船田光夫(敬心連合副組長・船田組組長)
大西正孫(敬心連合若頭)
井ノ上広幸(宮永組若頭)
土江 剛(酒井興業副組長)
阿部辰雄(三代目石川一家若頭)
加藤謙蔵(四代目大山組?舎弟頭)
友好団体
池田組
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