薬師梅吉
薬師梅吉(やくしの うめきち、本名・石本梅吉、1812年3月6日-1893年9月16日)は幕末の侠客、博徒。薬師一家初代。
来歴
- 大阪の人。
- 文化9年(1812年)3月6日、大和国(奈良県)薬師村の元武士の家に生まれた。
- 早くから奈良に道場を持つ中条流の真壁源左衛門の道場に通い、19歳で免許皆伝を受けた。
その間、相次いで両親を失いながらも20歳まで道場で礼奉公をした。
- 20歳の頃、大阪に出てお多福一家・木谷福蔵の子分となる。
四天王寺で巾着切りに巾着をすりとられ、凄まれたときに木谷福蔵に助けられたのが縁だった。
その後、代貸の一人に数えられる兄貴分となり、木谷福蔵の親戚の娘を親分の仲人で嫁にもらった。
- 天保3年(1832年)、堂島の島仙一家?の親分を殺し旅に出る。
- 武州熊谷の権現喜三郎?の所に草鞋を脱ぎ世話になっていた時、島仙一家のシャグマの虎が稲荷吉兵衛(現・深谷市稲荷)の子分を助っ人に頼み梅吉の不意を襲う。梅吉は左肩に重傷を負う。
偶然にも通りかかった国定忠治に助けられ、忠治の家に厄介になる。
- 梅吉は上州から3年振りに帰阪したが、お多福こと木谷福蔵は病死していた。親分福蔵の遺言に「梅吉がお多福二代目を継ぐように」とあったが、梅吉は親分の死に水をとれなかったことを悔やみ、二代目を継がずに薬師一家を興す。
- 伏見稲荷山の出入りの時、足を撃たれ跛になる。
- 明治26年(1893年)9月16日没。行年82歳。
- 跡目は伜の石本米吉が継ぐ。
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