池田一家
池田一家(いけだいっか)は岐阜県岐阜市を本拠を置いた博徒系暴力団。
略歴
- 信濃屋喜兵衛の舎弟・上田屋五右衛門を祖とする。
- 明治初年、清水次郎長身内の池田金五郎が故郷の揖斐郡池田村に池田一家を興す。
- 池田金五郎は火の玉金五と呼ばれ、わずか数年で北は越前、南は伊勢まで縄張りをつくった。
- 二代目から四代目は不明。山田儀一が五代目総裁となる。
- 昭和23年12月、五代目・山田儀一が地元の博徒秋葉一家に射殺される。
- 跡目がおらず、池田分家黒田家の旧井太之丞が総裁職を預かる。
- 昭和35年春、旧井が病死。池田の竜虎、板東光弘と中島巌が争い、長老の浅野元義が総裁に就く。
- 板東が不服とし池田一家を脱退。浅野が総裁を返上。代わって長老の森岡弁次郎が総裁に就く。
- 板東は稲川組幹部、林喜一郎の妹の亭主、綱口和夫の舎弟になる。
- 池田一家幹部、岩沢倉二も稲川組に加盟。
- 坂東は稲川組岐阜支部長に就く。
- 昭和33年7月、的屋の名門芳浜会菊田派菊田吉彦が、パチンコの景品買いからのし上がった瀬古安会鈴木康雄と対立。さらに芳浜会杉本重太も加勢。
- 昭和37年9月16日、杉本派の組員が坂東を射殺。林ら稲川組が岐阜に乗り込む。
- 同年同月17日、芳浜会西松政一が林らに謝罪。稲川組は引き上げた。
- 同年11月、実業家に転身していた中島巌が、九代目池田一家総裁に就任。
池田一家系譜
祖 - 上田屋五右衛門こと渡辺五右衛門
初 代 - 池田金五郎こと渡辺金五郎
二代目 -
三代目 -
四代目 -
五代目 - 山田義一(山田儀一)
六代目 - 旧井太之丞
七代目 - 浅野元義
八代目 - 森田弁治郎
九代目 - 中島 巌
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